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京都府京都市上京区 廬山寺
Rozanji,Kamigyoku,Kyoto city,Kyoto

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Aug.22.2014 中山辰夫


京都市上京区北之部町

桔梗のシーズンである。女性にことのほか人気がある。





Oct. 2012 中山辰夫

廬山寺
京都市上京区寺町広小路上る

宗派:天台系圓浄宗
本尊:阿弥陀如来
開山:元三大師良源

阿弥陀如来の光明、観音菩薩の慈悲、勢至菩薩の智恵、元三大師の法力に守られた浄域である。
紫式部邸址に立つお寺とわかったのが、昭和40年(1965)、寺関係者もびっくりだったと思われる。


今出川通と丸太町通の真ん中あたり、寺町通理と河原町通りに挟まれてある。道路を挟んで前面は御所である。

天慶9年(938)、比叡山第十八世座主元三大師良源(慈恵大師)が、北山に「與願金剛院」を創建。寛元3年(1245)に法然上人の弟子覚愈が
船岡山の南に再興。秀吉が行った都市改造の天正13年(1585)に現在地(紫式部邸宅址)に移転した。

元三大師像 大師堂内に安置され、鎌倉時代の大作

この地は、平安時代紫式部の祖父藤原兼輔(堤中納言877〜933)の屋敷があったとされ、伯父の為朝、父の為時へと伝えられた広い邸宅であった。
鴨川の西側の堤防の西にあったため「堤邸」とよばれた。紫式部は百年ほど前に兼輔が建てた「旧い家」で、一生を過ごし、源氏物語を書いたとされる。
紫式部顕彰碑 邸宅址は考古学者角田文衛博士によって考証され、新村出博士によって揮毫された顕彰碑。

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな (紫式部)
有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする (大弐三位)

現在の本堂は、宝永5年(1708)、天明8年(1788)相次いでの焼失後、寛政6年(1794)の光格天皇が仙洞御所の一部を移築し、女院、閑院宮家
の御下賜でもって改装されたもの。

山門

境内

本堂裏の庭

大師堂

本堂玄関

ここからは、庭園以外は撮影禁止である。

本堂前庭 「源氏の庭」
庭園は、紫式部邸址に立つお寺とわかった昭和40年(1965)に作庭された。「キキョウ」の花は、紫式部や源氏物語の連想から選ばれたようだが
一部には、織田信長の天台系寺院焼討の際、明智光秀に請願して難を逃れたことから、その家紋とも関係あるとされるが、取って付けであろう。

     
一面の白砂に設けられた苔地のたおやかな曲線が優しい平庭の枯山水、源氏庭と呼ばれます
この地に住んでいたとされる紫式部の大作「源氏物語」をモチーフにした枯山水。白砂とコケが描く柔らかい曲線は、絵物語の雲のイメージ。

源氏物語に出てくる朝顔の花は今のキキョウのことで、紫式部に因み、紫の桔梗が6月から9月末まで花開く。

庭に植えられた紫色の花を咲かせるキキョウは、名残りの紫、名残りの暑さ、ゆく夏をゆったりとした時間の流れの中で惜しむがベストとされる。

勅使
このお寺は天皇家とも関係が深い。勅使の通用門と本堂へ上がり口である。

追儺式鬼法楽(通称鬼おどり)
京都の冬の代表的行事である当山の節分会。
開祖元三大師良源が村上天皇の御代に宮中において300日の護摩供養を修せられていた時に三匹の鬼(人間の善根を毒する三種の煩悩
即ち貪欲、瞋恚、愚痴の三毒を表現している)が現れ、この三鬼(三毒)を節分の日に追払い、開運をはかり、新しい節を迎えるという法会行事。

【寺宝】
阿弥陀三尊坐像(平安時代)
京都府指定文化財
本堂内に安置されている来迎の三尊仏。両脇侍像にみられる動きのある容姿と風の表現を意図した造形はこの時代にあって出色したもの。
中央の阿弥陀如来像は坐像でも「結跏趺坐」というポピュラーな坐り方であるが、脇侍の両菩薩は跪坐(きざ)と呼ばれる珍しい坐り方である。
正坐(大和坐り)に近い坐り方であるが、これから立とうとしているその過程を表現し、像に動きを加えている。

如意輪観音半跏像(鎌倉時代)
国重要文化財
洛陽三十三カ所観音霊場の32番札所の本尊

選釈集(鎌倉時代)
国重要文化財
法然上人筆 「往生之業念仏為先」

これから先は廬山寺境内の裏側に当たる。

慶光天皇陵(追尊天皇)
閑院宮典仁親王、世襲新王家、閑院宮第二代当主。第119代光格天皇は典仁天新王の子。明治天皇の高祖父にあたるため、「慶光天皇」の
諡号と「太上天皇」の尊号が贈られた。

仁孝天皇皇子鎔宮墓

天皇陵のすぐ横、椿の生垣の中にある「雲井の井(もみずのい)」跡 井戸の石段を下り途中に石仏がみられる。謡曲「東北」にも出てくる。
法成寺東北院にあった井戸跡とされ、紫式部が身だしなみの際に、顔を写したともいわれる。
法成寺は藤原道長がこのあたりに建立した東大寺をしのぐほどの大きな寺で、その東北に造られたのが東北院。

御土居
史跡
天正19年(1591)天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が京都の防御と鴨川の氾濫を防ぐために、京都を囲むように造らせた御土居跡。
ここは東側で、北野天満宮には西側、鷹ケ峰には北西の堀跡が残っている。数少ない遺構として貴重とされる。




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