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京都府京都市中京区 紫織庵
Shiorian,Nakagyoku,Kyoto city,Kyoto

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Mar.2012 中山辰夫

紫織庵(しおりあん) 川崎家
京都市中京区新町通り六角上がる

京都市指定有形文化財

建築年代 :大正15年(竣工)
構造形式 :木造2階建 瓦葺
設計・施工 :上坂浅次郎(大工棟梁) 武田五一(設計参与)

江戸時代後期、名医・荻野元凱がこの地で初めて医院を開業した。
大正15年、豪商・四代目井上利助氏が荻野元凱時代をそのままに、最新のライト様式の
モダンな洋間を加えて新築。
表に高い塀があって家が直接表通りに面していない、京都の伝統的な「大塀造」建築の代表例。
綿布商であった井上利助氏が,商談や取引の場として使用した。

現在は、町屋の美術館として、明治から大正期の長襦袢などと共に展示公開されている。

大工棟梁は、数寄屋大工の上坂浅次郎で、建築家・武田五一も設計に参与している。
「大塀造り」は、大正から昭和にかけて京都の街家に普及した。通りに面して高塀(大塀)と
門口を設け塀に接して棟(通常は応接室)を配し、その奥に玄関棟、居住棟が接続する構成で
川崎家住宅では応接室を洋館としている。瓦屋根の門越に洋館が見える。

門口からのアプローチ〜玄関口

玄関

玄関は3ケ所ある。客人用・家人用・使用人用と使い分けられていた。

東玄関
踏込み土間と4畳半の部屋からなる。

洋館
玄関右の棟である。

洋館の外観は,大谷石と煉瓦タイルを貼り,当時流行したF・L・ライト風の意匠となる。

洋間の天井は格天井、床は寄木貼り床、内装の木製はすべてチーク材。

暖炉は電熱式である

茶室
畳板入の茶室が接続して造られ,紫織庵と名付けられている。
明治から大正期にかけての数奇屋の名工・上坂浅次郎が手がけた茶室で、前庭に位置し
長四条の小間で、下座床を構え、点前座には北山杉の中柱が立ち、雲雀棚が特徴。
呂は台目切で、入口は2枚障子の貴入口がある。

中庭
    

マリア灯籠、トイレの入り口は網代編み

広縁と波打ちガラス
広縁と庭を隔てる大正時代の波打ちガラスは一枚も割れずに現在残っている。

居住棟の1階は、中廊下を配して和室4室が取られる。

一階客間・仏間 15畳と12畳半の和室である。
15畳の和室は付書院・床の間・床脇(天袋・地袋)を備えた、当家で最も格式の
高い部屋で、正客を迎える部屋として利用されてきた。
山鉾町の旧家では、祇園祭に代々伝わる屏風を飾る風習がある。
ここでは秘蔵の屏風や衣装を常設展示している。

客間と仏間の境の欄間 
日本画家・竹内栖鳳の作東山三十六峰の稜線が桐柾目の一枚板に彫刻されている。

12畳半の和室 仏壇も置かれ仏間の役目もする。

明治から大正時代にかけての長襦袢をずらりと展示したもある。

二階洋間・サロン
大正時代の贅を尽くした造りとなっている。
20畳の洋間。グランドピアノも控えた豪華な社交場
2階に本格的な洋間を設ける点は、洋風応接付住宅から洋風化が一歩進んでいることのあかし。

ステンドグラスやシャンデリアが大正ロマンの香りを伝える。手の込んだチェアー

鎌倉彫りの調度

寄木細工の床、欄間の桐の紋


切妻造本葺2階建て土蔵が敷地西側に2棟並んで建っている。
北側の大きい方の蔵は、桁行4間・梁間3間半で道具類や建具を入れ
南側の小さい方の蔵は桁行2間・梁間3間で祭りや行事に使う衣装を保存した。

川崎家は明治末から昭和初期の長襦袢や肩裏柄、切りビロード、友禅染ゆかたを今も製造している染元。
蔵は業務用であり、展示即売もしている。

鉾見台
屋上と母屋を渡り廊下がつないで設けてある。
祇園祭の当日、鉾見台から京都の夏の代表的な料理「活鱧づくし懐石料理」を舞妓さんの接待と踊りで
味わいながら、巡行を見守る催しがある。その他の催しも開催されている。

紫織庵が建つ新町通りは、御池通を西に進む山鉾が左折して新町通を下がり、それぞれの鉾町に
帰っていく、巡行の最後経路にあたっている。

 


Oct.2008 撮影/文:高橋久美子





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