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京都府京都市下京区 杉本家住宅
Sugimotoke, Shimogyoku, Kyoto city, Kyoto

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京都市下京区綾小路新町西入矢田町116 杉本家住宅 主屋 重文 近代/住居 明治 明治3(1870) "店舗部及び居室部からなる 店舗部・木造、建築面積116.79u、二階建、切妻造、桟瓦葺 居室部・木造、建築面積187.03u、二階建、切妻造、桟瓦葺" 棟札1枚、御本宅積り書1冊、旧米蔵1棟、旧漬物小屋1棟、高塀6棟 20100629
京都市下京区綾小路新町西入矢田町116 杉本家住宅 大蔵 重文 近代/住居 江戸後期 文政5(1822)以前 土蔵造、建築面積37.61平方メートル、二階建、切妻造、本瓦葺、東面庇付、桟瓦葺 20100629
京都市下京区綾小路新町西入矢田町116 杉本家住宅 隅蔵 重文 近代/住居 江戸後期 文政5(1822)以前 土蔵造、建築面積19.09u、二階建、切妻造、本瓦葺、東面庇付、桟瓦葺 20100629
京都市下京区綾小路新町西入矢田町116 杉本家住宅 中蔵 重文 近代/住居 江戸後期 文政5(1822)以前 土蔵造、建築面積23.50u、二階建、切妻造、本瓦葺、南面庇付、桟瓦葺 20100629

Apr.2012 中山辰夫

国重要文化財:杉本家住宅
国名勝指定 :杉本氏庭園

四条烏丸から徒歩約5分、新町通りから少し西へ綾小路に面して杉本家がある。
この界隈は、その昔、呉服屋さんの大店が集中しているところだった。
杉本家は、町家が立ち並ぶ山鉾町の中でも最大規模を誇った。

杉本家は寛保3年(1743)、呉服商「奈良屋」を烏丸四条下ルで呉服商を創業。
明和4年(1767)、現在地に移った。
現在地に本店を構えて京呉服を仕入れ、支店を千葉県の佐原・佐倉に設けて販売
を行う「他国店持京商人」であった。
初代は江戸時代の円熟期に伊勢から奉公のため上京してきた。以来、今日まで
270年余に亘り先祖を敬い、繁昌して受け継がれてきた。

現在の主屋は、元治の大火後に再建され、6代目当主により明治3年(1870)に
上棟された大型表屋造り町家で、棟梁もはっきりしている。
現在当家は、公益財団法人奈良屋記念杉本家保存会が管理・運営を行っている。

杉本家の解説

杉本家住宅一階平面図

杉本家住宅の構造について
杉本家住宅は、商家や仕舞屋町(しもたやまち)に多く見られる典型的な構成をもっている。
一階部分には京格子を建て、厨子二階に虫籠窓を開く典型的な京町家の外観を持つ。

外観
間口16.6間(約30m)奥行27.2間(約52.5m)「間口八間に土蔵をかまえる」を理想とした
町家の表構えをもつ大戸。

表構えを守る大戸

虫籠窓と京格子は。格子は「細目格子」「糸屋格子」「仕舞屋格子」の三種類が使われている。

格子の桟(さん)は台形状に、内側に面取りされており、中から外が見えるよう細工されている。

犬走りの犬矢来(いぬやらい)と駒寄(こまよせ)

江戸時代は出格子が禁止されていた。屋根の庇の下は公道だった。明治に入り、出格子を作る
ようになると、雨のはね防止や、犬除け、格子の傍に人が立たない、等の目的で犬走りを設けた。

・ いよいよ邸宅内に入るが、カメラの撮影は禁止である。

杉本歌子学芸部長による、生の丁寧な説明は京町家全般にわたる。
非公開であるが、見学可能な公開時の聴くポイント、観るポイントを羅列する。

・玄関と内玄関
店を持つ町家では、通りに面した入り口は「門口 かどくち」もしくは「表 おもて」と言う。
玄関は住居への入口を指し、座敷へ通す客用の「玄関」と日常の暮らし向きの対応用の
「内玄関」に区別されている。使い勝手を考えた機能豊かな戸の説明がある。

・通り庭と走り庭 
門口から奥へまっすぐに伸びる通路には、店の間→玄関→内玄関→台所→走りもと→洗い場→
風呂場→庭と続く。
店とダイドコとの境に「猿戸 さるど」と称する中戸を設けることで、店庭(通り庭)と走り
庭を二分する。走り庭は一直線に作られるのが一般的だが、当家は曲げてある。
庭は、普通土ではなく、「たたき」と呼ばれる地面を持ち、粘土と石灰とニガリを混ぜて、板や
棒やコテで叩き締め固めて出来ており、深草土が使われる。使っている間に自然の模様が出る。

・火袋
台所庭の上部は屋根を露出するのが一般的。吹き抜けにつくられ、松の太い牛梁、南北に延びる
継ぎ無しの梁、それに小屋束(こやつか)を使った梁組が見事であった。
上部に空間を持たせ、「煙だしの窓」が設けてある。

・洋間
洋間は見世の間の隣である。以前は見世の間用の奥座敷を昭和4年に改造した。
アールデコを意識した内装で、コルクの床材や厨子二階の天井を上げて部屋の天井を高く改造。
格子は細目の出格子。障子紙一枚で外部と隔てる。

・「八畳の間」と「露地庭(薮内流)」
7代目夫婦の居室用に、明治26年頃増築。部屋の開口部から木漏れ日が移り込む美しい部屋。
数奇屋造、北山の磨き丸太の面皮柱、障子の桟も華奢な造りで気配りが感じる。
当家の襖には2cm程の細かい「桐置き上げ京唐紙」と、5cm程の「菱形の木版摺京唐紙」が
使用されている。昨今では作り直しも難しいようだ。障子を開けると露地庭である。
当家は本願寺の直門徒として繋がりが深いことから、本願寺と同じ茶道・薮内流としている。
砂雪隠、三小袖石、松明垣、井戸、兎、燈籠、モッコク、ねずみもち、うばめ樫、もみじ
自生の苔を育成中でした。湿気があって育ちに期待が持てるようだ。

・仏間
独立した立派な仏間が備わる。本願寺派浄土真宗(西本願寺)の仏壇。
真宗への深い信仰と教えを守り、それを暮らしの基本としてきた。
元治元年(1864)の大火で家屋焼失後の再建に当り、仏間建立に特に配慮を施した。
それが仏間を独立した部屋となった。
仏壇、欄間を、万一の災害から保全するために切石の地下室がある。
仏壇は部分に外しバラバラに仕舞い込めるようだ。欄間は林羅山より寄進されたもの。

・仏間庭
仏間の横に2方の塀で囲って造られたもの。唐銅の大水盤と滑り石が置かれている。

・奥座敷
座敷は10畳敷き。さらに6畳の次の間が続く。
奥の座敷は真、表の座敷は北山丸太をあしらい行、お茶室は草の趣。
一畳半の床、狆くぐり、地袋、深い色彩を放つ砂摺りの壁と個性豊かに凝ったしつらえである
全体は簡素な仕上がりに見えるが、かすかな採光の変化で微妙な色彩を放つ。
端正な中に大店の座敷らしい趣が感じられる。

・座敷庭
桂離宮にみられる木賊張り(とくさばり)の袖垣、黒文字の細枝で作った柴垣、伽藍石 石燈籠
いずれも明治期の作庭の好みをよく伝える。
夏に向けた「ととのい」は6月から始まる。風や日差しの気配を感じる生活が始まる。

・土蔵
蔵は3蔵とも二階建で、屋根を本瓦葺とし、絵様を入れた大きな鬼瓦を乗せている。
戸口の上部には角に「瘁@すぎ」の文字が塗り出されている。

・祇園祭前後の飾りや季節ごとの飾り
7月に約1ケ月かけて行われる祭。平安初期に疫病の退散を祈願して鉾をたてたのが
始まりとされる。
このお祭りに際しては、装いが一変する。
町家の正面には家紋入りの幕が張られ、提灯が吊られる。店には屏風や活花を飾る。
町内には高張提灯が建てられ、路上には鉾や山が建つ。年に一度の賑わいである。
当家は当町の「伯牙山」のお飾り場となる。

丁寧な説明でよくわかった。百聞は一見に如かずである。

参考≪保存会発行資料、見学時配布資料、などから抜粋≫

図子(ずし)

図子とは、平安京以来の方一町「40丈=約120m」街区を分断するようにして、主に中・近世に
開かれた街路のことで、道幅が2m前後。通り抜けている道のことをいう。
写真
他に、「了頓図子 りょうとんのずし」「革堂図子 こうどうのずし」などがある。

膏薬図子 (こうやくのずし)
京都市下京区綾小路通西洞院東入ル上ル

自転車がなんとかすれ違える程度の細い路地。
程近い四条通の喧騒とは縁がない静けさである。

「膏薬図子」という変わった名前は、この地に空也聖人が平将門を供養するために念仏道場を
開いたことに由来する。
「空也供養」が訛って「膏薬図子」となったとされる。「図子」は「小路」よりも狭い路地のこと。
幅約2m、長さおよそ100m、杉本家住宅の西側をめぐる通りである。

杉本家の横の路地から入る。反対方向から入る。

反対側から入る

神田明神

この路地の一角に、一見尾家を借り切るように、小さな祠が安置されている。
この屋内に置かれた小さな祠が京都の神田明神であり、祭神は平将門である。

関東で乱を起こした将門は討たれ、その首は京都に持ち帰られて四条川原町辺りに曝されたとされる。
この曝された場所が実はこの祠のある場所といわれる。

その後、将門の首は胴体を求め関東へ飛び去ったとされるが、空也上人が、さらし首のあった場所に
念仏道場を建てて供養することになる。

神田明神の名は、東京神田明神が将門を祀ることから、その名が付けられたという。

一帯は、祇園祭の山鉾町で、膏薬図子のあたりは伯牙山、郭巨山を出す山町。杉本家は伯牙山のお飾り所
となる。祇園祭の宵山には、日頃人通りの少ない狭い図子も、多くの見物客の往来で賑わう。

薮内家
下京区西洞院通正面下ルにある茶道の家元。
当主は代々紹智(じょうち)を襲名。紹智門下で千利休の弟弟子にあたる剣仲紹智(けんちゅう)を
初代として現在に至る。
代々西本願寺の保護を受けた。邸内には茶室燕庵(えんなん)がある。京都の上京に住んだ三千家が
「上流 かみりゅう」と呼ばれたのに対し、下家の同家は「下流 しもりゅう」と呼ばれた。





June 2011 酒井英樹

撮影:2011年5月







Nov.2010 撮影/文 大野木康夫

所在地 京都府京都市下京区綾小路新町西入矢田町116

杉本家住宅は、京都市街の中心部に所在する町家で、綾小路通に面して広い屋敷地を占める。
主屋は、表側の店舗部と裏手の居室部を玄関で結ぶ表屋造(おもやづくり)の形式で、主屋の後方に大蔵、隅蔵、中蔵が並び建ち、屋敷の周囲には高塀を廻らせる。
杉本家住宅の主屋は、伝統的な京都の町家形式をよく示し、保存状況も良好で、市内に現存する大規模な町家建築として、高い歴史的価値を有している。
また、江戸期の土蔵とともに、明治期から昭和初期にかけて整えられた茶室なども保存され、町家の屋敷構えをよく伝えている。
(国指定文化財等データベースから)

杉本家は江戸時代中期から呉服商奈良屋として続いた家柄で、現在の主屋は、前の建物が元治元(1864)年の禁門の変に伴う「どんどん焼け」と呼ばれる大火により焼失した後、明治3(1870)年に建造されたものです。
建物も住まい方も建築時のままとされ、京町家を代表する建物として平成22年6月、重要文化財に指定されました。

主屋(重要文化財)
店舗部及び居室部からなる
店舗部・木造、建築面積116.79u、二階建、切妻造、桟瓦葺
居室部・木造、建築面積187.03u、二階建、切妻造、桟瓦葺
周囲の高塀も附指定となっています。
撮影した日は特別公開の日でしたが、現在も住居として使用されている建物であり、内部の撮影はできませんでした。
主屋の奥にある、蔵に囲まれた庭がきれいでした。

大蔵(重要文化財)
文政5(1822)年以前の建築
土蔵造、建築面積37.61u、二階建、切妻造、本瓦葺、東面庇付、桟瓦葺
隅蔵(重要文化財)
文政5(1822)年以前の建築
土蔵造、建築面積19.09u、二階建、切妻造、本瓦葺、東面庇付、桟瓦葺
中蔵(重要文化財)
文政5(1822)年以前の建築
土蔵造、建築面積23.50u、二階建、切妻造、本瓦葺、南面庇付、桟瓦葺
内部が撮影禁止のため、横の路地から高塀越しに撮影しました。

 




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