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京都府京都市東山区 東福寺 2010

(Tofukuji, Higashiyamaku,Kyoto city,Kyoto)

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Nov.2010 撮影:大野木康夫

鐘楼(重要文化財)

室町時代中期の建築

構造 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、桟瓦葺

所在地 京都府京都市東山区本町13丁目万寿寺境内

JR・京阪東福寺駅から九条陸橋の北側を東に向かうと,東福寺の塔頭万寿寺があります。

昭和10年に開通した九条陸橋によって東福寺と隔てられており,見つけにくい場所にあります。

万寿寺は,元は下京区の万寿寺町近辺にあった大寺で,京都五山の第五位に数えられていましたが,室町時代に火災に遭い,天正年間に現在の場所に移りました。

その後,明治時代に,隣にあった三聖寺(万寿寺東北に三聖病院という病院があります。)を合併し,東福寺の塔頭になりました。

鐘楼は,二王門,愛染堂とともに,元は三聖寺の建物で,東福寺の釈迦三尊像も三聖寺のものでした。

なお,万寿寺は非公開寺院です。

六波羅門(重要文化財)

鎌倉時代前期の建築

構造 棟門,本瓦葺

東福寺本坊伽藍の南側に建っており,伽藍内に入る車両はここから出入りしています。

元は六波羅政庁の門であったものを移築したと伝えられています。

柱に残る矢傷は,元弘3(1333)年の鎌倉幕府滅亡の際に,六波羅が足利高氏,佐々木道誉等に攻められた時のものとされます。

この日は紅葉も終わりかけでしたが,境内はたくさんの人で賑わっていました。

朝8時30分の開門前は,紅葉の盛りでも人は少ないですが,写真を撮る場合,通天橋は逆光になります。


Nov.29 2010 瀧山幸伸 source movie

A camera

即宗院

龍吟庵

B camera


Aug.2010 野崎順次

京都市東山区本町

臨済宗 大本山東福寺

東福寺の起源は、1236年に九条関白 藤原道家の発願とされる。当初は普門院だけが営まれ居所として利用されていた。そのときの建築は常楽庵(現在の開山堂)のみであったとされる。現在、境内の敷地20万平米と広大で、京都の禅宗の寺院の中では最大の規模。江戸時代初期には47の塔頭を数え、今でも25の塔頭が残り、その中には国宝の三門をはじめ重要文化財が11棟指定されている。

西側中央の日下門から入る。

重文 禅堂

東司の北に位置する禅堂は禅宗道場として1347(貞和3年)に建てられた現存する最古の唐様建築で重要文化財指定されている。

府文 経蔵(江戸)と 殿鐘楼(室町)

重文 東司(室町)

禅宗における東司とは便所の通称である。禅堂の横には必ず「東司」が置かれる。禅宗の便所としては日本最古最大で、現存する唯一の遺構である。俗に百間便所(百雪隠)と称し、子供たちは「100人便所」とも云っている。使用に際して厳しい規則が定められていた。当時の排泄物は貴重な堆肥肥料であり、京野菜には欠かせない存在であった。また、現金収入の大きな糧となっていたと云われる。

国宝 三門(室町)

室町時代初期の至徳年間(1384〜87)の建立とされ、天正11年(1585)の地震で傾いたが、豊臣秀吉の寺領寄進により修復されている。建築様式は室町時代初期の特色を示すもので、現存する最古の山門として国宝に指定された。数ある山門の中でこの東福寺の山門は、そのフォルムが最も美しいものとされ、三門−本堂−方丈が一直線にならぶ禅宗様式の境内においては、一層その壮麗さを感じさせてくれる。 三門は唐様・天竺様・和様をたくみに取り入れた堂々たる門で、高さは33メートルもある巨大なものである。昭和44年から7年計画で修理が行われた際、応永年間(15五世紀)の再建を証明する資料が発見された。各主柱の下から創建当時の根石が出土し、焼土の層が一層だったので、現在のものは再建当時と見て間違いないとされた。楼上の天井は柱・虹梁・長押も彩色模様を施したもので、いわゆる化粧屋根裏であった。壇上には釈迦如来と十六羅漢像が安置されているが、残念ながら一般には公開されていない。

重文 浴室(室町)

府文 五社成就宮

府文 大鐘楼(江戸)など

本堂

三門の北にあるのが本堂で、法堂をかねたものとして使われている。昭和9年の再建で高さ25.5メートル、間口41.4メートル、奥行33.4メートル、天井の龍は堂本印象筆によるもので顔の長さが約3.6メートルもある。

方丈と庭園

東福寺方丈庭園は別名、八相庭とも呼ばれる。禅宗の方丈には、古くから多くの名園が保存されているが、この方丈には四周に庭園がある唯一の方丈である。この庭園は昭和13年、重森三玲氏が作庭した枯山水の禅院庭園で、当寺が鎌倉時代の創建であることから、鎌倉時代庭園の風格を基本とした上で、これに現代芸術の抽象的構成をとり入れて表現されている。

方丈南庭(前庭)は、巨石十八尺の長石を基本として逢来、方丈、瀛洲、壷梁の四仙島を表現し大胆な配石と荒海の砂紋とによる躍動を表現。右方(西部)には五山が築山として表現され、苔地と砂紋が斜線に区切られている。

方丈の西庭は、さつきの刈込と砂地によるもので、刈込が大きく、市松模様に図案化された井田の抽象表現が意図されている。

北庭(方丈の裏)はもとあった敷石を利用したもので、これを市松模様としたものであるが、この敷石の配置は幾何学の構成によるもので、その配置はモンドリアンの絵画の影響とも考えられる。

東庭はもと東司(重要文化財旧便所)の柱石の余材を利用したもので、北斗七星の抽象的構成として表現されている。以上の、逢来、方丈、瀛洲、壷梁、五山、井田市松、北斗七星の八相の表現を、八相成道に因んで八相の庭と命名された。近代禅宗庭園として世界各国にも紹介されている。

通天橋 方丈の北を流れる洗玉澗は谷をなし、東から偃月橋・通天橋・臥雲橋がかかる。紅葉の名所として有名な通天橋は開山堂にいたる廊下の中程に位置する。

重文 開山堂

常楽庵と呼ばれる楼閣風の建築。2層からなり上層部分を伝衣閣という。現在のものは1823年の建立で、重要文化財に指定。この東福寺 開山堂の前は庭園がつくられ普門院庭園と呼ばれている。作庭は江戸時代初期とされるもので、建物正面参道の左には市松模様の砂紋が、右には池庭が広がる。ここには楼閣建築と禅宗庭園の調和した空間が生み出されている。

再び、通天橋、日下門を通って、京都の町中に戻る。

参考資料

建築マップ(ARCHITECTURAL MAP)HP by FORES MUNDI


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