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京都府京都市山科区 旧東海道
Old Tokaido in the Yamashina Basin, Yamashinaku, Kyoto city,Kyoto

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January 7,2017 大野木康夫 movie

旧東海道(山科)

山科盆地内の旧東海道を歩いて風景を撮影しました。

起点の「追分」に向かう途中

名神高速道路京都東インターチェンジ付近

    

奈良街道 山科区小山、四ノ宮、音羽が入り混じる地域

          

芝町遺跡(諸羽神社・若宮八幡宮御旅所 通称「紋の木」)

縄文時代から奈良時代にかけての土器が発見された遺跡です。

        

「追分」付近

東海道と奈良街道の分岐点を「追分」と呼び、京阪電鉄の駅名にもなっています。
厳密には分岐点は大津市髭茶屋町にありますが、旧東海道の南側は山科区です。

         

「追分」から旧東海道を西に向かいました。
旧街道のすぐ北を現在の国道1号線が通っています。

                  

国道1号線を歩道橋で越えました。

      

越えたところは大津市横木です。
横木とは簡易舗装のために固い木を横に敷き詰めたところからきた地名だそうです。
木はすぐ腐るので、後年は荷車の車輪の轍を刻んだ「車石」に変わります。

           

園城寺方面に向かう「小関越え」の分岐点

   

さらに横木地区を西へ向かいました。

       

京都市四ノ宮に入ります。

 

四ノ宮はかつては宇治郡大国郷にしており、平安時代、仁明天皇の第四皇子人康親王が剃髪後に住んだため「四ノ宮」と呼ばれるようになったということです。
旧東海道はこのあたりから「三条街道」と呼ばれています。

                

四ノ宮地蔵徳林庵

                

四ノ宮東部

  

四ノ宮の東は安朱(あんしゅ)と呼ばれます。
かつては安祥寺村と朱雀村でしたが、合わせて安朱と呼ばれるようになりました。
JR山科駅や毘沙門堂は安朱にあります。

            

山科駅前付近
三条街道の北側は安朱、南側は竹鼻です。
竹鼻は天智天皇陵の陵守の長であった竹鼻氏が住んだところからそう呼ばれたとされており、かつては四ノ宮、安朱、音羽とともに大国郷に属していました。
現在では山科の商業の中心となっています。

              

安祥寺川の手前あたりから御陵(みささぎ)になります。
天智天皇陵があることからそう呼ばれています。

                       

五条別れ

旧東海道から別れ、渋谷街道から東山を越えて五条、本願寺、今熊野方面に向かう分岐点です。
宝永4(1707)年に建てられた道標が現存しています。
南に下がった旧京阪国道(府道四ノ宮四ツ塚線)の信号にも「五条別れ」の表記があります。

                 

五条別れから西に向かうと、大型の民家が並ぶところを通って、旧京阪国道(三条通)に一旦合流します。

            

天智天皇陵の入り口付近から旧京阪国道から別れて細い道になります。

      

住宅街の中を通って、東山に向かって進みます。

        

山裾あたりから日ノ岡になります。
日ノ岡は東が開けたところで日の出の太陽が当たるところからそう呼ばれたということです。
ここから峠道になります。

               

峠を三条方面に下る道

ほどなく三条通に再合流します。

                   

合流点当たりは上花山で、かつては京阪電鉄京津線の線路がありましたが、地下鉄の開通によって配線となり、三条通が拡幅されています。

   

粟田口解剖所跡

   

九条山

九条家の領した山なので九条山と呼ばれていますが、日ノ岡の一部で、日ノ岡峠(粟田口峠)とも呼ばれます。
江戸時代には粟田口の刑場があり、供養の石塔が建てられていましたが、廃仏毀釈で破壊されて峠の切り下げ工事により石垣などに転用されました。
後年、京津国道改良工事の際に出土した供養塔の一部が、旧国道の山科側に移されています。

           

山科区の限界(日ノ岡)から見た京都盆地

   

旧国道を山科方面に戻りました。

        

かつて峠道に敷かれていた車石や粟田口刑場にあった経王塔が道路の法面の石垣に転用されています。

          

旧東海道との合流点付近でニホンザルの群れに遭遇しました。
群れはこのあと旧国道を渡って南に行きました。

               

京津国道改良工事の記念碑の土台に車石が使われています。

 

国道改良工事により粟田口にあった法華の宝塔が発掘され、法華倶楽部の創設者小島愛之助が日ノ岡の登り口に断片を集めて供養塔を建立しました。
断片は台座に使用されています。

         

南無阿弥陀仏の供養碑も発掘され、工事の犠牲者の供養塔として近くに建てられました。

         

普段は車や自転車で往来しているところも、歩いてみれば何らかの確認があり、面白いと思いました。



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