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京都府大山崎町 聴竹居(旧藤井厚二自邸)

Chochikukyo(Former residence of Fujii Koji)

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乙訓郡大山崎町大山崎谷田77 聴竹居(旧藤井厚二自邸) 本屋 重文 近代/住居 昭和 昭和3(1928) 木造、建築面積173.20㎡、鉄板葺一部桟瓦葺、導気口付 "家具4点:客室机1、同椅子2、食事室机1 山林3,706.81㎡:石段3所、池、水路を含む" 20170731

乙訓郡大山崎町大山崎谷田77 聴竹居(旧藤井厚二自邸) 閑室 重文 近代/住居 昭和 昭和3(1928) 木造、建築面積45.90㎡、銅板葺一部桟瓦葺 家具6点:下段の間机1、同椅子5 20170731

乙訓郡大山崎町大山崎谷田77 聴竹居(旧藤井厚二自邸) 茶室 重文 近代/住居 昭和 昭和3(1928) 木造、建築面積32.68㎡、銅板葺一部桟瓦葺、導気口付 20170731


Oct.2017 酒井英樹

 

聴竹居(旧藤井厚二自邸)
     京都府大山崎町

 聴竹居は、一級水系淀川本川が流れる京都と大阪の府境にある天王山の中腹の尾根筋の南端に位置し、京都帝国大学工学部教授藤井厚二の自宅として建てられた。
 藤井は大山崎に住み、日本住宅の改良に関する研究を進めつつ、自宅を繰り返し設計建築して試行を重ねた。
 その完成形が昭和3年(1928)に完成させた第五回住宅こと聴竹居である。

 施工は第三回住宅から担当している大工の酒徳金之助とみられる。
 昭和27年(1952)頃まで藤井の死後も家族が居住し、以降借家として使用されたが大きな改変がなく維持されてきた。
 敷地中央に本屋が建ち、北側に閑室、南東の少し下がった斜面に茶室が建つ。建築年代は本屋と閑室は昭和3年(1928)で、茶室は昭和8年(1933)に建てられた。
 いずれもメートル法に基づいて設計がなされている。

 聴竹居は日本の気候風土や起居様式に適合した理想的な住宅を追求した藤井が、自身の理論の集大成として完成させた秀逸な住宅建築であり、工学的理論に基づいた木造のモダニズム住宅の先駆的存在として建築学上重要でることから、本屋、閑室及び茶室の3棟は重要文化財に指定されている。


≪本屋≫
 木造、平屋建で、南北に長い不整形平面をもつ。
 屋根の緩勾配部は鉄板葺の切妻屋根を組み合わせた形とするが、大棟部は急勾配として屋根を高め、黄色釉薬の桟瓦を載せている。
 構造は、外周部基礎をRC布基礎とし、土台に柱をたてて桁、梁を組んでいる。
 内部基礎は独立基礎としている。小屋組は簡素な和小屋で、小屋東に倒れ止めの方杖を添えている。
 壁は竹小舞を編んだ土壁で、外壁基礎は青龍石を種石とする人造石塗仕上げ、上部壁面は黄白色漆喰塗大壁仕上げとする。
              

<内部>
                      

≪閑室≫
 木造、平屋建、L字形の切妻屋根、銅板葺、一部黄色釉薬の桟瓦葺
 構造は本屋とおおむね同じだが、外周部に布基礎を設けず礎石上に薄い土台を据え、柱を立てている。
 閑寂を楽しむための小規模な建築
      


≪茶室≫
 木造、平屋建、屋根は緩勾配の切妻屋根を主体とした銅板葺で、東側の棟廻りをやや高め、緑色釉薬の桟瓦葺とする。
 斜面地に建ち、閑室と類似の構造を持つが、外壁は土壁真壁の中塗仕上げとしている。
   


September 18,2017 大野木康夫 source movie

所在地 京都府乙訓郡大山崎町大字大山崎小字谷田77

聴竹居は,京都帝国大学教授藤井厚二が住宅の理想を追求し,試行を重ねて完成させた自邸である。

本屋は昭和3年の建築で,機能性や合理性を重視した平面計画になり,幾何学的形態と和風のしつらえを組み合わせ、洗練された空間を実現している。

また妻壁に換気窓を,床下に導気口を設けるなど,室内環境改善の工夫も試みられる。

敷地内には,閑寂を楽しむための「閑室」や「茶室」が建てられ,いずれも数寄屋の意匠を基本としながら伝統にとらわれない自由な設計となっている。

聴竹居は,工学的理論に基づいて設計された木造モダニズム住宅の先駆的事例として,住宅史上,建築学上,高い価値が認められる。

(国指定文化財等データベースより)

藤井厚二(1888-1938)は広島県福山市生まれ、東京帝国大学卒業後、請われて竹中工務店に入社し、その後縁あって同郷の武田五一が京都帝国大学に建築学科を設ける際に招かれて講師となり、ほどなく助教授、教授となりました。

聴竹居は環境共生をテーマに建てた自邸(実験住宅)の第5回住宅です。

平屋建て、耐震性を意識した銅板葺(銅板のみで葺いたら強風で損傷したため一部を瓦葺としています。)、夏の暑さ対策として床下に通気管を設けて温度が下がった空気を室内に入れるなど、様々な工夫がなされています。

本屋は居室を中心に、ほぼオープンスペースとなるような空間となっており、細部にまで凝った意匠など、こだわりが感じられるものとなっています。

現在は、竹中工務店が所有し、一般社団法人聴竹居倶楽部が管理しており、事前予約制で月、水、金は一般、火、木、土は学生を中心とした建築関係の人が見学できるようにされています。

外部は撮影可、内部も撮影許可願を当日提出すれば撮影可ですが、内部の写真の公開には所有者の許可が必要です。

見学時には、聴竹居倶楽部の方の細部にわたる詳細な説明を受けることができます。

藤井厚二が電化製品好きで工場並みの配電盤が設置されていること、読書室を二人の娘さんと本人の共用として失敗し、本人はほどなく閑室を建築してそこに書斎を設けたことなど、様々なエピソードとともに、風呂場のタオル掛けに至るまで細部にこだわりぬいた意匠の意味合いを知ることができます。

聴竹居遠望

大山崎山荘美術館の真下に位置します。

     

アプローチ

寶積寺に行く坂道の左の坂を登って行くと、聴竹居です。

           

道から見た聴竹居

    

伊藤忠太へのオマージュかもしれない怪獣

  

本屋(重要文化財)

昭和3(1928)年の建築

木造、建築面積173.20平方メートル、鉄板葺一部桟瓦葺、導気口付

                               

部分撮影

                      

閑室(重要文化財)

昭和3(1928)年の建築

木造、建築面積45.90平方メートル、銅板葺一部桟瓦葺

        

茶室(重要文化財)

昭和3(1928)年の建築

木造、建築面積32.68平方メートル、銅板葺一部桟瓦葺、導気口付

                 


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