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京都府大山崎町 離宮八幡宮
Rikyuhachimangu, Oyamazaki town, Kyoto

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Nov.10,2017 中山辰夫

京都府乙訓郡大山崎町大矢尼崎西谷21−1

JR山崎駅からスタートである。
東海道線の開通ですっかり周囲の様相が変わった。その昔,離宮八幡宮が荏胡麻油(え胡麻)の専売権を持っていた頃は鳥居の両側に百数十件の社家屋敷が立ち並び、町はずれには遊女屋がびっしり並んでいた(国盗物語)。
そのよすがは何も残っていないが、東京油問屋市場、吉原製油、味の素、昭和産業といった食用油の全国の食用油の会社、組合が氏子になっている。
    

説明
     

「国家安泰、国土平安祈祷所」と書かれた離宮八幡宮の社伝説明板。清和天皇の頃の「荏胡麻」油の由来なども書いてある。
当社の歴史は、石清水八幡宮の神人として、特に油坐を結成して活躍した室町時代までの時期と離宮八幡宮として石清水から独立して行った戦国時代以降とに大きく分かれる。江戸時代に入って石清水八幡宮とは度々訴陳が繰り返された。
 

当社は2010(平成22)年には創建1150周年を迎えた。「油の神様」としても知られる。
神仏分離と東海道本線の開通で神域が著しく縮められた。現在の建物は1929(昭和4年)以降の建築である。
本殿、拝殿、中門、透塀、手水舎、高天宮神社(境内社)は国登録文化財

祭神:酒解大神・応神天皇・田心姫命ら姫三神 「油の神様 」として著名 創建:859(貞観元年) 開祖:僧・行教が豊前国宇佐より勧請。

東門と正門である「惣門 高麗門」 この二つの門は兵火から免れた。
     

境内に入る
鳥居と中門(奥)
       

拝殿・本殿 拝殿までしか入れない。
             

末社
     

宝塔礎石
  
多くの礎石が見られる。寛永11年造替された時に宝塔があった名残である。元の離宮八幡神社は現在の3倍以上の広さであった。
東海道本線の敷設や駅前広場の整備に寺跡が失われた。

境内には昔日の隆昌を語るものが多くある。

手水舎
  

河陽宮故址碑
 
離宮八幡宮は嵯峨天皇の離宮である「河陽宮」跡地に建てられたとされており、従い河陽宮故址碑が立っている。

旧「石清水井」の覆屋石清水(井戸) 今も水は湧いている。
  

手水舎
  
当社造替の際に贈られたもの

かしき石(相応寺の礎石)
  

菅原道真の腰掛け石
  

神馬
  

石燈籠
    
「石清水八幡宮」と刻まれた石燈籠、男山にある石清水八幡宮と離宮八幡宮との関係を物語っている。

油祖 離宮八幡宮
貞観年間(859〜77)に神官が神示を受けて「長木」(てこを応用した搾油器)を発明し荏胡麻油の製造が始まったことから、日本における製油発祥地とされる。
その後「大山崎油座」の制度で荏胡麻油の販売権を独占して、多くの兵火に焼かれながらも江戸時代まで栄えた。今も油の神様として親しまれている。
その当時の様子は司馬遼太郎の小説「国盗物語」の中にも描かれている。
     

『宵ごとに 都へい出づる 油売り ふけてのみ見る 山崎の月』−山崎の油の行商の働きぶりを京わらべがはやした唄。

石清水八幡宮の内殿灯油を調達した神人が、平安時代後期以降山崎を本拠に、近江・摂津・美濃・尾張など゙10か国に独占的な販売権を持った。
応仁の乱後は神人が一時四散し神人の威勢が低下したが、その後秀吉の保護もあって勢いを戻し江戸に続いた。
江戸に入ると山崎油は急速に地位が下がった。主たる理由は、菜種・綿実を原料とする製油が興ったのに対し、山崎油は荏胡麻を原料とする中世的技術に頼ったことによる。

「長木」
ミニチュア
  

倉庫に保管中の現物大の長木
          

関連遺留品
      

日使頭祭 (ひとのさい)
離宮八幡宮にて毎年4月に執り行われる春の例祭。
日使頭祭は平安時代の初めのころ、勅使が男山の八幡宮へ参拝する前に、離宮八幡宮へ詣でたことから起こった祭りで、現在の石清水八幡宮にも神さまを分けておまつりする為の御遷座祭として始まり、全国各地から油の製造販売関係者が参拝する。

参考資料≪京都府の地名・国盗物語≫


Feb.2011 大野木康夫


Dec.2010 撮影

所在地 京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1

860年(貞観二年)に僧行教が宇佐八幡神を嵯峨天皇の離宮の一郭に勧請したことにより、離宮八幡宮が誕生しました。
平安時代末頃に当地で始まった荏胡麻油生産は中世になると活発化し、生産者たちは八幡宮を本所として油座を組織し、全国の油専売権を握り、販売を独占しました。
その当時の様子は司馬遼太郎の「国盗物語」の中にも描かれています。

(大山崎町HPより)

小説「国盗り物語」の中で、松波庄九郎は京の油屋「奈良屋」の主人となり、美濃において国持大名にのしあがる斉藤道三と二重の人生を送っていました。
その中で、荏胡麻油の生産と販売を独占する離宮八幡宮の油座の神人が、中世の象徴(楽市楽座を進める道三や信長が近世の象徴)のように描かれています。
現在の研究では、斉藤道三がのしあがった過程は、親子二代に亘るものとする方が有力になっていますが、私が小学生であった昭和40年代後半においては、「国盗り物語」が大河ドラマとなった余韻で、歴史学習漫画にもそのような描写がありました。

   

JR大山崎駅から南へ少し歩くと、離宮八幡宮の東門があります。
東門は江戸時代の建築で、町指定文化財です。

   

東門を入ると、かつて西国街道沿いに建てられていた離宮八幡宮領の境界を示す道標が2本移設されています。

    

そこから北に向くと、石鳥居、本殿、河陽宮(嵯峨天皇離宮)跡の石碑、油祖像などがあります。
かつては、水無瀬から円明寺までの広大な神領を持ち、西の日光と呼ばれる社殿が建ち並んでいたそうですが、禁門の変の際に長州軍の屯所となったため兵火に掛かり、現在の社殿は近年に再建されたものです。
今でも、かつての油座の本所として、国内の製油業者の信仰を集めています。
本殿西側に残る塔の心礎は町指定文化財です。

         

境内地の南に建つ南門(総門)は江戸時代の建築で、町指定文化財です。

  

 


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