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ルクセンブルグ大公国、ルクセンブルグ市 ルクセンブルグ中心部

(Luxembourg, Luxembourg)

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Nov.2012 撮影:野崎順次 source movie

撮影日: 2012年10月25日

地理学的な統計によれば、ルクセンブルク大公国の面積は約2,600?、南北84km、東西58km、人口は約46万人で、世界で最も小さな国の一つである。

中世には、ルクセンブルク市は「北のジブラルタル」と呼ばれ、難攻不落の要塞だった。当時の城壁や要塞の一部は現在も残っており、旧市街と要塞群は、ユネスコ世界遺産に登録されている。

ジークフロイト伯爵が、963年にアルゼット川を見下ろす岩壁の上にリュシリンブルフク (小さな城の意味)を築いた。ローマ街道を横切る戦略的な場所にあって、この「小さな城」は急速に発展した。ジークフロイト王朝は、婚姻や政治的な協定に基づいて正統な同盟を結んで拡大していく。中世になると、ルクセンブルク家から幾人もの神聖ローマ皇帝を、近隣諸国においては数え切れないほどの王を輩出した。ルクセンブルク市は、プロシア、オーストリア、ブルゴーニュ、スペインを始めとする外国列強によって包囲されたり占領されたりしてきた。

ウィーン会議によって大公の位が与えられ、オランダのオレンジ・ナッサウ家のギョームⅠ世王が君主を兼ねることにより、この国の運命が決まった。ルクセンブルクとオランダの同君連合は1890年まで続いた。この時代に、政治的な独立と自治は強化され、民主主義体制も発展した。1890年から、大公の位はナッサウ家の古い支流に受け継がれ、ルクセンブルク家は独自の王朝を持つことになった。現在の統治者であるアンリ大公は、2000年に彼の父である大公ジャンから王位を継承した。ルクセンブルクの行政は、大公と12名の国務大臣によって行われる。立法権は、ルクセンブルク国民であって投票権を有する18歳以上の男女が選出した議会により行使される。

http://www.visitluxembourg.jp/turner.html

多くの外国の侵略者達によってルクセンブルク市は破壊されたが、今度は占領者達となった彼ら(特に、聡明なフランス軍隊の技師ヴォーバン)が、堅牢な難攻不落の要塞都市を創出するに至った。城塞は三重の城壁と24の城砦によって守られ、要塞の地下には穹窖(きゅうこう)を結ぶ全長27kmの地下壕が張り巡らされていた。この城塞は、ロンドン条約にしたがって解体される1867年まで、その荘厳さを保ち続けた。この解体作業には20年かかったが、すべてを解体してしまうと街全体が壊滅しかねないため、いくつかの城塞構造物は保たれた。ペトリュス渓谷の城塞構造物は、自然の岩を利用して人が築き上げた岸壁に、固い岩を切り出して作った砲門や秘密の通廊が構築された完璧な城塞であった。

(ルクセンブルグ観光局 東京事務所オフィシャルサイトより引用、文体など若干調整)

目次

(1)リベルテ通りからオールド・ブリッジを経てノートル・ダム大聖堂

(2)旧市街の広場から法務関係官庁街

(3)渓谷の町と要塞群

(4)旧市街の繁華街とダルム広場

(5)アドルフ橋周辺

(6)リベルテ通り周辺

(1)リベルテ通りからオールド・ブリッジを経てノートル・ダム大聖堂

オールド・ブリッジ(1859〜1861年)

全長290m、高さ45mの連続24アーチ橋、途中でカーブしているのは軍事戦略上のため。上の道はF.D.ルーズベルト通りでノートル・ダム大聖堂、憲法広場を経て、アドルフ橋に至る。

それから

17世紀に建立されたノートル・ダム大聖堂がペトリュス渓谷を見下ろすようにそびえる。1622年にダニエル・ミューラーによって彫刻が施されたバロック様式の回廊は、イエズス会修道院の一部である。

左手の建物は、かつて修道士の教舎だったが、現在は国立図書館である。

ノートル・ダム大聖堂

(2)旧市街の広場から法務関係官庁街

ギョーム2世広場と市庁舎(1830〜1838年)、ネオ・クラシック様式

オランダ王兼ルクセンブルグ大公ギョーム2世(在位1840〜1849年)のブロンズ像

それから

クレールフォンテーヌ広場とシャルロット大公(在位1919〜1964年)ブロンズ像

少し行くと財務省分室、財務省との看板が出ているので、小さな国の財務省はこの程度の規模かと思ったら、本庁舎は別にあると教えられた。

トリニティー教会(1739〜1742年)

修道会教会(Congregationchuch)が正式名称。フランス革命時には没収されて劇場として使われた。1817年にプロテスタント守備隊の手に戻された。市内でも特に美しい教会。

幼稚園の散歩、谷底のような道

明るい新しい官庁街、法務省関係の建物が集まっている。ここからのアルゼット川渓谷の眺めが素晴らしい。

(3)渓谷の町と要塞群

エレベーターで谷底に降りるとグルントの町

ヴェンツェルの環状城壁

元は875mの長さで、37の塔と15のゲートがあった。

Originally 875 meters long, the wall comprises 37 towers and 15 gates.

ボックの要塞跡、虫歯のようなと形容される。

キャッスル・ブリッジ(1735)

旧市街とボックの要塞を地上と地下で結んでいた。

要塞跡

Neumunster 僧院とその周辺

14世紀末に遡る僧院であるが、その時々の統治者により、牢獄や病院に転用された。現在はNeumunster文化センター。

崖沿いの歩道の説明板に、渓谷の個々の建造物がフランス語などで説明されている。鉄道アーチ橋は1859年建設、城壁と要塞を結ぶ石橋は1450年の建設か。

石畳の坂道を上る。

グルント・ゲート(1632年)、スペイン人が建設した。

再び、渓谷の眺望

(4)旧市街の繁華街とダルム広場

旧市街に戻り、繁華街を超広角レンズと中望遠レンズでスナップ撮影。

街の主要な広場であるダルム広場は、元は軍隊がパレードを行う場所だったが、市民の「憩いの場」として親しまれている。正面の建物は Cercle Municipal、行政管理施設。

(5)アドルフ橋周辺

ペトリュス渓谷を見下ろすF.D.ルーズベルト通りに戻ってきた。

今朝渡ったオールド・ブリッジが見える。

ペトリュス渓谷

憲法広場の黄金の婦人像

1923年、世界第一次大戦で亡くなったルクセンブルグ人を追悼するために造られたが、1940年にナチにより引きずり降ろされた。1984年にやっと再建された。

それから

アドルフ橋(1900〜1903年)

当時は世界最大の石造アーチ橋であった。全長153m、高さ42mでペトリュス渓谷をまたぐ。

アドルフ橋からの眺め、西側

アドルフ橋からの眺め、東側、ノートル・ダム大聖堂遠景や渓谷の要塞跡

(6)リベルテ通り周辺

アドルフ橋を渡り、リベルテ通りの向こうにルクセンブルグ駅の尖塔を望む。

アドルフ橋南詰のメッス広場周辺

リベルテ通りより1本西側のサントジト通り

リベルテ通りに戻るとアルセロール本部(1922年)

アルセロール社の2005年総売上高は、326億ユーロと世界第一位の鉄鋼会社であったが、現在はインド資本に買収され、アルセロール・ミッタルとなった。

マルティル広場のオブジェ

ホテル周辺、OGASANGという寿司屋があったが、行く気がしなかった。

参考資料

ルクセンブルグ観光局 東京事務所オフィシャルサイト

Luxembourg City Tourist Office website

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