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三重県桑名市 六華苑 (旧諸戸清六邸)、諸戸家住宅
Rokkaen (old Moroto Seiroku residence)/Morotoke,Kuwana city,Mie


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桑名市桑名鷹場663-5 旧諸戸家住宅(三重県桑名市) 洋館 重文 近代/住居 大正 大正2(1913) 木造、建築面積219.45u、二階建、塔屋付、スレート及び銅板葺 19971203
桑名市桑名鷹場663-5 旧諸戸家住宅(三重県桑名市) 和館 重文 近代/住居 大正 大正元(1912) 桁行29.6m、梁間10.2m、一部二階、入母屋造、南・北及び西面庇付、北面東端及び西面便所附属、桟瓦葺、東面洋館に接続 棟札1枚 19971203
桑名市太一丸18 諸戸家住宅 主屋 重文 近代/住居 明治 明治20(1887)頃 "木造、建築面積333.88u、一部二階建、主体部、仏間、茶室、洋室よりなる 主体部 寄棟造、本瓦葺、一部桟瓦及び銅板葺き 仏間 南面切妻造、北面寄棟造、桟瓦葺 茶室 切妻造、桟瓦葺、北面及び東面庇附属、杉皮葺 洋室 切妻造、西面主体部に接続、スレート葺、下屋銅板葺" 20021226
桑名市太一丸18 諸戸家住宅 表門 重文 近代/住居 明治 明治中期 一間一戸薬医門、両側袖塀付、本瓦葺 20021226
桑名市太一丸18 諸戸家住宅 玄関及び座敷 重文 近代/住居 明治 明治中期 木造、建築面積274.02u、桟瓦葺 20021226
桑名市太一丸18 諸戸家住宅 広間 重文 近代/住居 明治 明治24(1891) 木造、建築面積269.43u、桟瓦及び銅板葺 棟札1枚 20021226
桑名市太一丸18 諸戸家住宅 洋館 重文 近代/住居 明治 明治中期 木造、建築面積86.93u、桟瓦葺 20021226
桑名市太一丸18 諸戸家住宅 玉突場 重文 近代/住居 明治 明治中期 木造、建築面積74.16u、鉄板葺 20021226

June 3,2015 中山辰夫

諸戸家庭園と六華苑

諸戸家庭園の菖蒲が見事であると聞いていたので再度訪れた。菖蒲は期待通りであった。改修中の本邸は屋根が出来上がっていたが、完成は5年先とのこと。
恐らく見る機会はないと思いつつ去った。
六華苑は、相変わらずの落ち着いた雰囲気の中に有り、庭園からの景色を楽しんだ。
諸戸家庭園

延々と続く本邸・御殿(国重要文化財)と周辺
御殿は西本願寺の建物の写しといわれる。前庭の汐入式の庭園は初代清六の代に作庭された。

六華苑
六華苑は、相変わらずの落ち着いた雰囲気の中に有り、庭園からの景色を楽しんだ。

 




Nov.07.2014 中山辰夫

六華苑
三重県桑名市大字桑名字鷹場663−5

国重要文化財:洋館・和館 三重県有形文化財:6棟 桑名市有形文化財:離れ屋 庭園:国名勝

六華苑(旧諸戸清六邸)は、山林王と呼ばれた桑名の実業家 二代目諸戸清六氏の邸宅として1913(大正2)年に竣工した。
特にその洋館部分は、鹿鳴館などを設計し「日本近代建築の父」と呼ばれた、ジョサイア・コンドルが手掛け、地方に唯一残る作品である。

揖斐・長良川を望む約18000uの広大な敷地に、洋館と和館、蔵等の建造物群と「池泉回遊式」日本庭園で構成されたこの邸宅は、創建時の姿をほぼそのままに留めている貴重な遺構である。
桑名市は平成3年に土地を取得し、建物は諸戸家から寄贈を受け、整備工事を経て、平成5年に六華苑という名称で一般公開した。

●所在と配置図

●長屋門が入り口 入前式の若いカップル

スロープの先に現れる洋館は一見シンプルで可憐な印象を与える。

●●邸宅全体

●イベント「六華苑 舞楽」の準備

●内玄関(受付)

●●洋館
全体的にはシンプルなデザインとなっているが、圧倒的な存在感を持つ4階の塔屋が印象強い。また、当時には珍しい塔屋の曲面ガラスの他、ベランダとサンルームのデザイン、各種の暖炉など、細部までの配慮が見どころ。
●洋館外観

●外観細部

洋館内部へすすむ
1階は玄関・ホール・応接室・客間・食堂で構成されている
●玄関

床に貼られたタイルは戦災の被害を受けず残った。このタイルは同じくコンドルが手掛けた古川邸「大正6年竣工」にも使われている。

●塔屋は応接室

コンコルド設計で重要な構成要素である塔屋は見事な細工の塊である。

●1階ホールと客間

コンコルド設計の洋館には、1階の中心にホールを設け、その周りに部屋を配置するスタイルを多く見受ける。このホールは隣の和館と繋がっており、扉を開くと和館の廊下に出る。
客間と食堂の仕切りは和風の引き戸を設け、和洋折衷としてある。什器類には目を見張るものが多い。
シャンデリア
客間は創建時の意匠を最も残している部屋とされる。シャンデリア付け根部にあるバラのレリーフはコンドルの象徴的なもの。

●階段

1階ホールから2階へと続く階段。コンドルの装飾の手法が用いられている。特に手すりの部分に手の込んだ装飾がみられる。

●2階の洋館
ホール・応接室・寝室・女中部屋・居間・書斎。サンルームがある。
応接室

初期の西洋建築によく見られる洋風の部屋内に和風の襖が設けてある和様折衷のスタイルもある。。

新婚時代に建設されたこともあって、居間の暖炉や階段にハートマークがみられる。新婚旅行のカバン

●1階ベランダ

ベランダはコンドルのこだわりが一番現れる。ポイントとされる。日本では明治の中頃から、日射しを遮ることから、あまり作られなくなったが、コンドルは最後まで作り続けた。コノベランダは岩崎家駿河台邸と共通点があるとされる。
軒先のひさしがゆるやかな曲線を描き、日本流にデザインされている。

●2階のサンルーム

光がさんさんと降り注ぐ。多角的に張り出したデザインで、朝日から夕陽迄、それぞれに景観が楽しめる。



●●和館
明治期の洋風建築には和館を併設する例が多く見られたが、別棟に築くのが一般的であった。しかし、ここほど大規模な和館が、壁を接して建てられたのは珍しいとされる。
洋館とはホールで接続されている。

●和館全体

●ホールと千羽鶴

一般の千羽鶴は、一羽の鶴を千羽折ってつないだものだが、桑名の千羽鶴は、一枚の紙から複数のつながった鶴を作る折り方で、江戸時代に考案された。立体的な作品が好評で、市文化財に指定されている。

●畳廊下と板廊下

和館の周囲を巡るように板廊下が続いている。畳廊下は、和館北側の板廊下の内側、各部屋との間に設けられた。主に主人と家族、客人が畳廊下を使用していた。

●一の間付近

メインの客座敷として使われていた。日本庭園の眺めはここからが一番よい。

意匠

池に面して縁先手水鉢が組まれている。
和室からの庭園の眺め

一番蔵

通称宝蔵と称されるもので、書画を主とした調度品を収納していた。

番蔵棟

内部は4室からなりたち、主にコメを納めていた。

離れ屋

昭和13年に建てられた仏閣。内部には客人が手を清めるための水屋や茶炉がもうけてある。

旧高須御殿

岐阜県海津市にあった高須藩の御殿の一部を移したと伝えられる離れ座敷。二間からなり、段違いに組まれた床の間が目を惹く。

●●庭園
国名勝
庭園は邸宅と同時に築造された。
主庭園は洋館と和館の南に広がる芝生広場と池庭式日本庭園から構成されている。その後の幾度かの改築や戦災で変化した部分もあるが、全体的には創建時の姿をよくとどめているとされる。2001(平成13)年に国の名勝に指定された。

●水

各所に瀬や淵、州浜つくり、水の流れに様々な変化を与える様工夫された居る。渓流全体のデザインや石組には、茶匠・松尾宗吾ノセンすが随所に表れている。枯流れの技法も採用されている。
●広場

芝生広場から池を望む際の最も良い場所に灯籠が立っている。中には高さ2m近くの春日灯篭に、日・月・星の他、動物の姿が浮き彫りされている。他に貴重な新羅型灯篭もある。露地風に構成されている箇所もある。
●樹木越しに見る建屋

●意匠残り






Nov.26.2014 中山辰夫


三重県桑名市太一丸18

国重要文化財:本邸・大門・御殿・玉突場・洋館 国名勝:庭園

諸戸氏邸宅は、三重県随一の規模と豪華さを誇る「六華苑」に隣接する。

室町時代に「江の奥殿」とも呼ばれ、既に邸宅・庭園が設けてあったといわれている諸戸氏庭園は、1686(貞享3)年に豪商山田彦左衛門が下屋敷・隠居所として買い求め、沼築庭を造園したことに始まる。
その後、米取引、田地、山林などによって一代で資産を築いた実業家で、諸戸家の基礎を築いた諸戸清六(1864〜1906)氏が、1884(明治17)年頃に、富商として知られていた太一丸所在の山田家の屋敷地を購入し、事業と生活の拠点とした。

●●【住宅関連の部】

諸戸(宗)家住宅は、江戸期から大正期にかけての住宅施設、庭園が複合した大規模な事務所兼用住宅である。
諸戸清六氏は、1884(明治17)年に土地を買い上げてから1906(明治39)年に没するまで建設工事は止むことなく、3000坪の広大な敷地に思い思いの建築を行った。その後、二代目諸戸請太の代にさらに手を加え、現在に至る。
主屋一棟 洋室一棟 御殿(玄関及び座敷)二棟 洋館一棟 玉突場一棟 表門一棟が平成14年12月に国重要文化財に指定された。
配置図

諸戸家住宅主屋他5棟
重要文化財の指定を受けている建築群は、バリエーション豊かで、建築様式としては土蔵造・書院造・洋館・茶室など、屋根葺材は本瓦葺・桟瓦葺・銅瓦葺・スレート葺・杉皮葺で成る。
壁仕上げは白漆喰・黒漆喰・中塗り仕上げ・大津壁・砂壁・障壁画・ペンキ仕上げなど多岐にわたる。
広大な土地を前にして様々な構想を膨らませながら、喜々として建設工事に檄を飛ばす清六氏の姿が浮かんでくる。と同時にここに賓客を招こうとした野心もあったとされる。

120年を経過した建物の破損が著しく、12年計画の保存修理事業が行われており、平成33年3月完了の予定で工事が継続されている。
従って建物の詳細は見られないが、資料・他を含めてまとめる。

●本邸(主屋)
国重要文化財

1889(明治22)年頃に建てられた。 前部が惣堀で、米や木材の集積場の港となっていた。
受付になっている本邸。黒漆喰塗り土蔵造り2階建での重厚な外観の建物で、店と住居に使われていた。
玄関奥の格子戸から手前を公的な部分、奥を私的な部分(住居)として明確に区分されている。
使われている建材はすべてが型破りの逸材である。後に建て増しされた仏間、茶室、洋間が付属している。国の重要文化財の土蔵造り2階建てある。

往時の本邸 
写っているポストは今も健在である

庭園から見た本邸

●大門
国重要文化財

1894(明治27)年、御殿建築と同時につくられたとされる。医薬門形式。門の中心が前方に片寄っているのが特徴。

●御殿前・玄関・車寄せ・玉突場
国中用文化財
御殿玄関の寄木張りの床は当時の外務省を模したといわれている。木材の濃淡を活かした精密な細工が見ものとされる。(修復中)
玉撞場は社交の場として当時大邸宅で設けられることが多かった。

●御殿
国重要文化財
御殿は1890(明治23)年頃に着工。数年かかって完成した。庭をよく眺められるように、床は高く、柱の少ない豪放な造り。
大隈重信、山県有朋など、明治の政治家がここを訪れた。
柱間五間、当時としては前代未聞の構成で最大の柱間であった。そのため見えないところに新しい構造が使われている。
「桔木 はねき」が三重に入れて屋根の重量を支えている。

御殿広間は庭園も建築も高低差が大きいが、盛土が関係しているとされる。
『大広間の敷地はもと田沼にてありければこれを土盛りする入れ土につき、父は揖斐、長良両川の中州十萬山より運ばんと思ひたち、官聴に願ひて囚人を人夫にあて、船にて土を運ばせ今の高殿を築きあげたり』 糟谷常子『おもひいづるまま』「初代清六氏の娘」

●洋館
国重要文化財
本邸の右側に増設された。ステンドグラスやイオニア風柱頭を持つ繊細なデザインが施された建物。

●煉瓦蔵と煉瓦堀 (土蔵含む)
三重県文化財 

煉瓦蔵は明治20年頃に創建されたもので、当初は5棟連続の木造蔵であった。明治28年に放火により焼失したが、直ちに煉瓦造で再建された。しかし、1945(昭和20)年の戦災で西側の2棟を失い、現在は3棟が残存する。煉瓦はイギリス積で、大小の組合せ。
外観は3棟とも同一で、南北両面の上部に窓、南面中央に両開きの鉄扉が付く。ただし西側2棟が北側に裏戸口を設けるのに対し、東端のものは東面の北寄りに戸口を設ける。これらの開口部には全て庇の付いた痕跡があるが、南面では全て失われている。
裏口の戸は片引戸で東端のものは銅板張りだが、他は板戸である。内部は板床で、壁は煉瓦のままで仕上げとし、キングポストトラスの小屋組みも露出している。
米蔵であった。蔵の前の惣構堀に船を着けて、米を搬入した。
庭園側

往古の写真 火災以前の5棟が見える

煉瓦塀は、北面の一部が失われているものの比較的当初の姿を留めている。塀の頂部には2段の持ち出しがあって、桟瓦葺の屋根を載せる。内側には煉瓦造りの控柱が一定間隔に設けられ、この上にも切妻の瓦屋根を付ける。

土蔵

石取祭りの山車を収納する車庫。建築年代は不明。山車の太鼓には明治30年の銘がある。諸戸家は自費で石取祭車を建造し、太一丸の町内に貸し与えていた。土蔵造り、平屋建て。

惣堀の土手の紅葉

(参 考)



●●【庭園の部】

国名勝:諸戸市庭園

諸戸氏庭園は、江戸期から続く旧山田氏林泉を改修した菖蒲池を中心とする回遊式庭園として、明治期に敷地を拡張して造営した庭園である。
初代清六氏が1884(明治17)年にこの地を取得してから続けられた普請は、二代目清太に引継がれ、主屋に連なる茶室・伴松軒とその露地の造営によって完成と見る。東京から招いた宮内省技師・小平義近と、京都から招いた狩野宗朴宗匠が構築したもの。
従い、伴松軒が完成した時代を保存修復の指標とされており、大正末期〜昭和初期とされる。

配置図

山田彦左衛門がこの庭園を買い求めた1686(貞享3)年頃の様子は、『久波奈名所図会』に描かれている。

当時既に推敲亭や橋杭燈籠が描かれ、存在がうかがえる。

庭の見方

庭園内に進む。洋館横より入る。園内に入った瞬間、園内の景色に圧倒される。

切石と玉石を敷き詰めた延段が奥へと導く。

●御成書院
三重県指定文化財

江戸中期に、豪商山田彦左衛門が桑名藩主・松平越中を迎えるために建てたもの。
書院は南面して、桁行七間半、梁間四間、二層入母屋造り。 屋根は五寸勾配によって形成し、むくり反り等なく一直線の桟瓦葺きで、入母屋破風も単調な形式を示し、妻格子も板張りで簡素で淡白な形式となっている。
茶趣味を取り入れた高雅な意匠に富み、気品風格のある貴重な書院遺構である。

●藤茶屋

江戸時代には藩主が藤を愛でるために立ち寄ったと言われるが、戦災により焼失している。昭和43年に再建された。
棚に面して6畳間は建具を用いず、建物全体が庭に向かって開いた台形状の間取り。丸太柱。6畳と4畳の2室を雁行式に配置。
南にゆくほど柱間が広くなる設計である。「扇の間」ともよばれる。

石の水受けには「結」という字が彫ってあり、他にも模様が刻まれており、庭園の石は、長島城、桑名城、鳥羽城から運ばれたと聞く

●菖蒲池

江戸時代には杜若が植えられていたが、現在は菖蒲である。蘇鉄は江戸時代からの植栽である。桃山以降、外来の珍しい樹木が流行したが、蘇鉄もその一つである。菖蒲は種類の数も多い。

●伴松軒
国重要文化財

4畳半に一間床を加えた茶室 山田彦左衛門時代から、橋杭灯籠が庭石と苔の緑とで一体化している。

名勝指標の決め手となった伴松軒を移した写真

●神祠周辺

神社は明治時代に改築された。金毘羅神社・住吉神社・伏見稲荷・玉船稲荷・菅原神社が祀られており、これらには海運業を営んだ山田家時代からの祭神も含まれている。神祠は豪商の宅に多く見かける。

●推敲亭
三重県文化財

三畳に障子をめぐらし、小さくとも開放的な空間を作っている。月見や歌会に使われた。説明板が詳しい。

●中門

●紅葉

●灯籠

庭園内に80塔以上立っている。春日灯籠、雪見灯篭、橋杭灯籠など、ファンには堪らないと思われる。中には「米俵」もある。

●汐入りの庭
庭園の特徴の一つに、「汐入りの庭」がある。
広間の前に拡がる園池は、敷地の北〜西にめぐらされた溝渠を通じて取水されており、その溝渠が揖斐川と繋がっているため、満潮時には水位があがって下段の護岸が水に沈み、水面が広がり、汐入りの庭として景色が変わる。
揖斐川とはつながっている。 邸宅横の諸戸家所有とされる空地と県道をまたぐと揖斐川。邸宅前は外塀・惣掘跡

通常水位と満潮時

現在は調査を兼ねた修復工事の真最中。 池は琵琶湖を模している。

●溝渠
汐入りの庭を支える溝渠には土砂が堆積し、護岸の石積にも痛みが来ている。修復調査が行われている。
溝渠は煉瓦塀の内側に掘削され、基壇は石積で外側の上部は煉瓦塀となっている。
南端はアーチ型の水門を通じて外部の水路と連絡し、北面西端ちかくでも外部への連絡の痕跡がある。

萌えるもみじ

●大小、様々な巨岩
庭園内にある巨岩、そのすべてにも目を奪われる。長島城・桑名城からも集められたとされるが、今でも入手不可能と思われるものばかりで、庭園の景観をひきたたせている。

●庭から見る六華苑の塔屋

参考資料≪パンフレット、公益財団法人 諸戸財団発行資料、ほか≫

 






Sep.2012 酒井英樹


諸戸家住宅

 撮影:2010年11月
 
<主屋>

《洋室部》

<表門>

<広間>

<玄関及び座敷>

《内部》

<洋館>

 

 







July 2011 瀧山幸伸 HD video

A camera

諸戸家住宅



六華苑 (旧諸戸清六邸)



B camera


Feb.2009 撮影:高橋久美子



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