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宮崎県宮崎市 本野原遺跡

Motonobaru Iseki,Miyazaki city,Miyazaki

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Dec.21,2013 瀧山幸伸 source movie

国指定史跡

指定日:平成16年(2004)9月30日 基準:(史1)

所在地:宮崎県宮崎市田野町字本野原

本野原遺跡は、宮崎県中央の田野町南部、標高約千メートルの鰐塚山の麓に広がる扇状地に位置し、標高約180m前後の台地上に立地している。平成12年度より県営農地保全整備事業に伴い、田野町教育委員会が発掘調査を行ったところ、約2万年前の旧石器時代から縄文時代にかけての複合遺跡であることが判明し、特に縄文時代後期には九州地方では極めて類例の少ない大規模な集落を形成していたことが明らかとなった。

このため田野町教育委員会では遺跡の保存を図るとともに、集落の範囲及び内容を確認するための発掘調査を行った。

集落内には、人工的に掘り窪められた直径80mから最大100mに及ぶすり鉢状にアカホヤ火山灰を大規模に削平、除去した後に、広場と考えられる空閑地が設けられ、中心付近に大きな石を置き、その周囲を土坑(墓)が、さらに外側を掘立柱建物・貯蔵穴・竪穴住居が直径100mほどの環状に取り囲むように配置される構造である。広場は集会や祭祀などの儀式空間と見られる。

このような広場は東日本では多く確認されているが、本野原遺跡の発見により、西日本にも存在することが明らかとなった。

広場の外側にも、100棟を超す竪穴住居や、列を成して南北方向に並ぶ掘立柱建物が見つかっている。

また、集落の北西部には硬化面をもった土木工事により舗装された道路が確認されている。

土坑からは炭化した堅果類が出土したものがある。また、骨粉が出土したものは墓坑の可能性がある。

南東部の斜面からは大量の土器が出土していることから、捨て場が形成されていたものと考えられる。出土遺物では土器が多く、石器では磨り石や石皿などの食料加工具の比率が高い。さらに、土製円盤も多く出土している。

また、集落の西側にも遺構や遺物が濃密に分布しており、出土遺物等から集落が西側へ移動したことが推測されている。

この遺跡は集落構造及び出土遺物から見て、南九州を代表する縄文時代後期の拠点的集落と考えられ、この地域の縄文社会・文化を考える上で極めて重要な遺跡である。

また、環状を呈する集落構造全体が判明したものとしてはこの地域における初めての事例であり、歴史的価値が極めて高く、西日本最大の縄文時代集落遺跡として史跡に指定された。

現在、遺跡全体は埋め戻されており、3〜4年を目途に史跡公園として整備される予定である。

(国指定文化財等データベース・宮崎市教育委員会から抜粋要約)(発掘・航空写真=宮崎市教育委員会資料より)

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