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宮崎県西都市 日向国分寺

Hyuga Kokubunji.Saito city,Miyazaki

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Dec.20,2013 瀧山幸伸 source movie

県指定史跡

指定日:昭和9年4月17日

所在:宮崎県西都市大字三宅

一国一寺制による全国の国分寺の建立は、天平12年(741年)3月14日の詔(みことのり)によって始まったとされ、日向国分寺は天平勝宝8年(756年)に建立されました。

後年、全国に広まった荘園制度のもと、国分寺は衰退をたどることとなり、日向国分寺も例外ではありませんでした。

後に当地を訪れた行脚僧・木喰(もくじき)上人が、天明8年(1788年)〜寛政9年(1798年)までの10年間当寺の住職となり、その間、「宝生(ほうじょう)」「薬師(やくし)」「大日(だいにち)」「阿弥陀(あみだ)」「釈迦(しゃか)」の五体

の如来座像(楠木製)を完成させました。中央の大日如来の高さが約2.5mもある仏像で、木喰彫刻では最大のものとされています。

木喰上人によって一時は復興はされたものの、明治初年の廃仏毀釈の波は日向国にも及びました。

そのとき「五智如来像」は幸いにして一民家に移され、難を逃れ現存しています。

現在は、礎石・石階段・仁王像(寺との関連は不明) が往時を偲ばせます。

※木喰上人=1718年(享保3年)〜1810年(文化7年)、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家。

(火食・肉食を避け、木の実・草のみを食べる修行)を受けた僧のこと。

日本各地に仏像を残した遊行僧としては、木喰より1世紀ほど前の時代に活動した「円空」がよく知られるが、円空の荒削りで野性的な作風に比べると、木喰の仏像は微笑を浮かべた温和なものが多いのも特色である。

推定樹齢:約600年 幹周:約8m 樹高:約20m

日向国分寺を再興した「木喰上人」は、この樹に龕(がん−仏像を安置するくぼんだ場所)を造り、自作の小さな像を祭って「この樹生い育ち、樹皮が龕を包み込んだ時、我、再び世に現れん・・・」と告げてこの地を旅立ったと伝えられています。


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