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モンゴル共和国
Mongolia

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Sep. 2011 池田謙一

撮影 2009年8月

2009年夏にウランバートルから西に600キロあまりの調査旅行をしました。

到着した首都ではウランバートル・ホテルという名前の、元祖クレムリン風の建物に泊まりました。社会主義の名残のあるホテルだというので、興味津々で泊まったのでした。隣が元の共産党本部で(いまもその傍流の政党で議会を握っている)、2008年夏に選挙結果の不正を巡って大もめに揉めて、平和裏に民主主義に移行した社会主義からの無血革命だったのに、このもめ事で共産党本部には火が放たれ、民主党支持者は警察の銃弾をかぶる、という問題があった場所なのでした。まだ火事の跡が建物に残っているのが見えます。

このホテルにはその日はロシア人が、大勢泊まり込んでいました。というのも、首相のメドべージェフがはじめてウランバートルを訪問中なのでした。これがまた、ノモンハン事件戦勝70周年記念式典の出席を兼ねているとのことで、ここではじめてモンゴル軍もこの事件に関与していたことを知りました。考えてみれば当たり前で、傀儡の満州国から関東軍を率いて進入してきた日本軍はモンゴル領に進入したわけですから。
で、今回の目的のインタビューの仕事の最中に、こちらの民主党本部を出たところで、目の前の国会議事堂兼大統領府の前の大広場で閲兵をするメドべージェフを遠目で見てしまったのでした。
やれやれ、ロシアからは戦勝記念にメドべージェフが来て、対する日本側からはお前が来たのか、とからかわれました。え、式典に出ないのかい、と。それくらい見事に同じ日に到着。
思い出せば、ノモンハン事件のことは、ムラカミハルキが『ねじまき鳥クロニクル』で書いたように、モンゴルの草原の中の事件として出てきます。

それはともかく、この地の訪問の目的は、モンゴルの選挙制度について知り、国際比較調査にモンゴルの参加の可能性を探ることでしたが、上記の選挙結果のもめごとのように、彼らの制度はまだ手探り状態で、こちらも日本のことを講演するように求められました。当地の政治教育研究所でやった講演では、日本とモンゴル族との長い歴史の話から始めました。みんな元寇のことは知らなかったようです。13世紀には日本が勝ち、ノモンハン事件では日本が負け、いま相撲では旗色が悪い、みたいな冗談はなかなかウケがよかったです。相撲の話は誰でも知っている話なので、とてもやりやすい。

それやこれやで、首都では選挙関係を中心にかなりインタビューをしたのですが、交通事情はむちゃくちゃで、これは運転手でもなければつとまりません。メドべージェフのせいでもあるけれども、交通は大渋滞、車同士のけんかのような角の突き合わせ。信号はほとんどなく、歩く人もどこでも瞬間的に渡る。。。カオスでした。これでは田舎から出てきたモンゴル人はびっくりでしょう。ウランバートルにも山の上にたくさんのゲルがあり、田舎からの人たちが住み着いて社会問題になっているようなのですが。

その後、同様のインタビュー目的で田舎の選管を回りながら、経路上にあるカラコルムやゴビ砂漠のはじっこなども行った写真を掲載します。モンゴルの辺境はなかなかすごく、聞きしにまさる、とはこのこと。ランドクルーザーで1200キロの旅だったのですが、その大半はオフロード。普通車では行けません。単に道がない、というだけでなく、岩場だったり、川の渡河だったり、ありえないです。

さらに、中央モンゴルのあるプロビンスでインタビューした後に宿泊地に移る途中で、道を間違えてしまい(当然、道がないし交通標識もないので、モンゴル人のカンで運転してもらっているわけです。こちらの相棒に、です)、さらに遊牧民に道を尋ねたところで、彼らのゲルのそばに落ちいてたクギでクルマがパンク。それで日も暮れ、オフロードの岩場を2時間くらい真っ暗闇で走る、という経験をしました。対向車も2時間に一度程度なので、場所のカンだけで切り抜けたようです。着いた村は、中央山地の真ん中にあるもので、夜の10時なんかに着いたせいでみんな寝ているのをたたき起こし、宿に泊めてもらったのでした。

翌日は、ここのカウンティでインタビューもしたのですが、驚くことにどこの家もトイレは直堀り。それと同じところに深い穴を開けて井戸を掘っている。村の通りは、あってなきがごとく。しかも、道は超でこぼこでさらに水たまりがあちこちにあって不潔です。ゴミが落ちているわけではないけれど、こんなところに住み続けたら、簡単にペストになる感じでした(ちなみにペストの淵源はモンゴル発)。冬が厳寒なので、それで伝染病が流行らないのだとか。なかなかショッキング。

これに比べると遊牧民の生活の方が清潔で豊かで、悪くなさそうでした。1992以後は私物ももてるようになって、羊千頭とか馬100頭とか、牛500頭とか持っていると、悪くないらしいです。それ以前は、みんな貧民レベルに押しやられていたようです。実際、相棒の紹介で遊牧民のゲルも訪問したのですが、こぎれいとは言わないけれど、日本の田舎の農家に遊びに行ったくらいの感じでした。違いはみんな風呂など入っていないということでしょうか。そこで、朝にと殺した羊の煮物をナイフでちぎったものをもらって食べたりとか(じつはうまい)、ウォッカをちびりと回しのみするとか、自前のチーズくれるとか、なかなかの歓待をしてもらいました。
(ちなみに、遊牧民はいまは人口の1/4くらい。移動の範囲はしかし限られていて、ジンギスカンのような大旅行はしない。夏と冬で場所を変える程度)

何枚か出したモンゴルの田舎の風景は、これは絶品としか言いようがないです。なだらかな山とあくまでも広い草原、山を越えると次の風景は今までの風景とはかなり違う風景が、というのが繰り返され、1200キロの行程のどこでも飽きることはなかったです。夜空は満天の星。流れ星も見ました。そして、どの人もみんなていねいでやさしく、というのがうれしい思い出でした。



ウランバートル

議会選挙後の「暴動」で焼けた人民革命党(共産党)本部跡

政府宮殿(議会・大統領官邸)前広場:コカコーラの宣伝が面白い

モンゴル大統領エルベクドルジとロシア大統領メドベージェフの閲兵式


モンゴルの儀仗兵

ウランバートル中心部のスーパーで売っている羊

大学院修士課程を持つ政治教育研究所

古い建築と新しい建築の競合



ウランバートル近郊

チベット仏教の施設の前の牧童

ウランバートル近郊で長距離競馬する場所

家畜は道路をこわがらない:しかし道路があるのは国内で400キロのみ

車内からの風景


ゴビ砂漠北端

砂漠のトカゲ

砂漠の境界

ゴビ砂漠の砂はきめ細かい

フタコブラクダ


さらに西へ

道路のない「道」。縦横に車の跡だけあり、どこを走るも可。どこも悪路


地方都市ウブルハンガイ市

中央部の地方都市ウブルハンガイ市:選管でインタビュー

地方都市の町外れ

野生のヤク


次の都市目ざして

この地の近郊で道に迷い、パジェロがパンク。タイヤ交換に往生する


地方都市バツウジート郡

翌朝の地方都市バツウジート郡(闇夜にたどり着き予約もないのに「ホテル」をたたき起こした)


白いハコは唯一の動力井戸。だがトイレも同じ深さに掘ってあるだけ

地方都市は不潔。ゲルに住む方がはるかに衛生的

飼われているヤク

放し飼いの飼い犬たち。朝からうるさい

タイヤの修理。自転車のパンクと同じやり方で車を修理する2時間あまり


滝の地域
オルホン滝周辺。浸食された溶岩台地と滝



カラコルム(ハラホリン)世界遺産

エルデニ・ゾー:モンゴル帝国の古都の建築材を用いて作られたモンゴル最古の寺院

すでにモンゴル国旗の文様がある


ウギー湖
カラコルムから北70キロの標高1300メートルの湖(ラムサール条約の登録湖)

ウギー湖の夕焼け

ウギー湖に映える月照。じつは未明に金星の金照まで見たがカメラに写せず

ゲル内。太いパイプは羊の糞のストーブ

日が昇る

泊まったゲル


ウランバートル帰路の遺跡。遺跡は破壊され、ほとんど顧みられない

「のろし」の伝達網に使われた烽台が見える

不思議な石組み

貧弱な電力網。これに比してケータイの中継網は強力


ウランバートル帰着後、再度政府宮殿。ジンギスカンの巨大な座像。左が議会。

ウランバートルの繁華街の一部繁華街に出ている果物屋さん

ウランバートルの繁華街の一部

ソ連式ウランバートルホテル前のレーニン像。誰も見向きもしない



 



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