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長野県木曽町 興禅寺

Kozenji,Kiso town,Nagano pref.

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重森三玲による大石庭、その他特徴的な三庭
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November 9, 2019 野崎順次 source movie

長野県木曽郡木曽町福島門前5659

臨済宗妙心寺派

萬松山 興禅寺

永享6年(1434年)木曾氏が鎌倉建長寺5世の円覚大華を迎えて創建したと伝わる。天正18年(1590年)の細川幽斎の『東国陣道記』にも描かれている。江戸時代は木曾代官山村氏の庇護を受けた。寛永、明治、昭和に3度の大火に遭い、往時の面影はほとんど残っていない。

木曾義仲、木曾義康・義昌父子、山村氏歴代の墓地がある。

(ウィキペディア「興禅寺(長野県木曽町)」より)

興禅寺は「看雲庭」と呼ばれる大きな枯山水の庭が有名です。その広さは東洋一を誇り、雲海の美をテーマにした見事な景観を見ることができます。また「万松庭」と呼ばれる小さな池泉鑑賞式の庭などがあり、対照的な日本の趣を楽しむことが出来ます。春には木曽義仲公お手植えの二代目と伝えられる、見事なしだれ桜も有名です。宝物殿では山村氏が所有した調度品、墨跡等秘蔵の宝物を公開しています。

(木曽おんたけ観光局ウェブサイトより)

パンフレットと現地

   説明板

山門、勅使門

                  

昇龍の庭(登龍門)

                        

宝物殿前の三尊石

   

須弥山の庭(九山八海の庭)

          

国登録記念物 看雲庭 現代 枯山水

現住松山芳山山師は、翌三十八年に前庭の築造を著者に依頼され、同年九月にその完成をみた。本庭は約三百坪ばかりの方形の地割で、東北南の三方を土塀で囲い、一木一草を用いない七五三式の枯山水として作庭した。

本寺が妙心寺派の禅院であることから、禅院式枯山水としたのであるが、同時にこの地は木曽山中の高原地であることから、庭石十五個による七五三式の配石に対し、雲海の表現とし、枯山水として初めての構成を試みたもので、そうした創作性に特色を見せている。本庭に対して「看雲の庭」という庭園名を作者が選定し、開庭式に当たって、時の管長大航郎氏が爪点を入れて決定した。

枯山水というものは、最初にできた京都の竜安寺の石庭のように、土塀で囲った長方形または方形の地割に、一木一草を用いない石組だけのものが、従来の自然式の具象性の池庭に対する大きな反動であり、それが枯山水としての生命であったから、枯山水が池庭式のもの」になったのでは本来の意味がなくなるのである。そこで本寺も一木一草を用いない石庭とし、さらに四周を土塀その他で囲ったのであるが、しかし竜安寺庭を模したものになっては芸術性に欠けるのである。

そこで本庭では、雲海の庭というものを最初からのテーマとしてので、その雲海の表現に苦心し、この雲海の構成を、白セメントによる雲紋の表現とした。これは庭園の中にある意味での絵画的構成を取り入れたことになるが、ともかく従来の日本庭園に全く試みられてことのない構成をもってしたことは、本庭の特色である。御嶽山参詣の人々が、本庭を拝観していくのが多く見られる。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」興禅寺庭園より)

                                    

万松庭

                    

観音堂あたり

          

木曾義仲墓、時間がなくよく分からなかったが、木の柵で囲まれた小ぶりの宝篋印塔らしい。

          

宝物殿の展示

                                                                      

JR中央西線からの遠景、右手の洋館は御料館(旧帝室林野局木曽支局庁舎、昭和5年、木曽町指定有形文化財)

     

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