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須坂 
Suzaka

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General
 水路、蔵など過去の貴重な遺産がまだ評価されていない。これから伸びる街。
Nature
 
Water
 水路は蓋でふさがれ歩道となっている。水車で須坂の発展を支え、街をフィーチャーする水路は今は無く残念だ。
Flower
 
Culture
 栄えた当時の蔵が多数残るが、街並保存活用の成果はこれから
Facility
 
Food
 



May 2010 撮影/文:柚原君子


須坂(スザカ)の町を歩いていたら、酒屋さんの屋号を入れたミニバンがスーと寄ってきて、若旦那(風)がパンフレットを手渡してくれました。
「須坂にようこそ。これは僕らが作ったものですが、町歩きの参考にどうぞ。来年はまた違うものを作りますから、来年もまた来てくださいね」。と言われました。
町の何箇所かでは蔵を改造して旅の人にもいろいろ楽しめるような催しもあったようですが、観光の町というには、連休明けには誰も歩いていないような、ちょっと寂しい須坂の蔵町でした。
でも繭会館のおばさんがお茶を入れてくれたり、道を尋ねたら車に乗せていってあげるよ、と言われたり、おなかがすいたのだけどどこか美味しいものを食べるところはないかしら?と中学生の一段に訊ねたら、あそこあそこ!オムレツ美味しいですよ、とおしえてもらいました。
行ってみたら満員。何とか割り込ませてもらって、出てきたオムライスにびっくり。でっかいことこの上なし! 
歴史的な民家に上がりこんだら、ずっと後をついて説明をしてくださった御婦人。聞けば町の婦人部が交代で詰めているとのこと。
パンフレットを車を止めてくださった若旦那といい、とても親切な町の方々でした。
いただいたパンフレットから少し転載します。

■屋敷同士が密に続くのは江戸時代から続く古い商人の町や職人の町のしるし。
■蔵は屋根と壁の間にある垂木という屋根の骨組みを隠すために装飾が施されている。重厚感を出すために<三段蛇腹>やそれを丸くくりぬいた<クリ蛇腹>、火災から守るために縁起を担いで、水を想像する<波蛇腹>などがあるそうです。

■山下薬局はウダツの有る建物。屋根の上には望楼も。(お茶所;佐藤家にも望楼がある)
■山下薬局のおとなりの西田屋は衣料品屋の老舗。黒の漆喰塗りに三段蛇腹。

■<浮世橋> 道路に埋まりそうだけれど橋が残っています。生糸の町須坂で一攫千金を夢見た生糸工場の旦那衆が、浮世橋の先の花街で芸者衆と遊んだそうです。町にはいたる所に用水路があるそうです(写真撮らずに後悔)。特に家の裏を流れることが多いので<裏川用水>というそうです。家の中を流れるのもあるそうです。この用水に水車を掛けて脱穀や油絞りをしていたそうで、明治時代になって水車を利用した産業が全国で行われるようになると、須坂ではいち早くこの水車を利用した製糸業を発達させていくことができたのだそうです。須坂は坂の多い町。土地柄を利用した水路建設が産業の基盤ともなったそうです。
 

■一階は店舗でガラス戸。二階を隠すようにとても大きな看板。このような形が須坂の古い商店に目立つ。



須坂の街並
Townscape

須坂市ふれあい館まゆぐら
Mayugura


「旧越家住宅」

<お茶所;佐藤家>の斜め向かいにあります。拝見無料。
婦人部の方が毎日交代で詰めているとのことで、どうぞどうぞと導かれて見学。
ずっと付いて回って説明をしてくださいました。
工場には女工さんも多かったそうですが、野麦峠に出てくるような悲惨さはなく、とても大切に扱われていたそうで、女工さん総出の運動会や桜見物などもあったのですよ、と飾ってあった写真の説明をしていただきました。
製糸業で成功しただけではなく、銀行経営、信濃電気創業、近年には私立須坂商業高校創立など地域に貢献し、地域の人々を慈しむ方であったそうです。




クラシック美術館



須坂動物園
Suzaka zoo

入園料200円。ローカル色豊か。南園と北園に別れている細長い動物園。
動物は少ないがカンガルーの「ハッチ」で一躍有名になりました。(残念ながらハッチは亡くなりました。)
空いている檻と動物の高齢が目立ちますが、近所のおばあちゃんが孫連れで気楽にこられるような動物園。

ハッチ一族





川上犬


サル
 
人間


バーバリーシープ、ヤギ、ヒツジ






「勝善寺」

須坂徘徊二日目。なんとなく地理がわかってきた。
須坂動物園を訪ねた帰り。駅に戻りたいのだがバスがない。
歩こうと決めて土地の人に駅まで何分?と訊いたら20分くらいかなぁ、とお返事。
それなら30〜40分は覚悟して、でも歩く決心を。方角を確かめてとにかく歩く。
途中濃い緑の塊りの中にちらちらとお寺の屋根が。ああ、寺町だったんだ。
というわけで予定にはなかった勝善寺に。なんでも屋根に徳川家の紋である<葵の紋>があると。
町の酒屋の若旦那にもらった手製のパンフレットには、水戸光圀のひ孫が16代住職として婿入りしたために、葵の紋の使用が許可されたとのこと。
須坂藩から一目置かれていてのちには、須坂藩主と血縁関係を結ぶなど政治とも縁の深いお寺だったそうです。
訪れる人もなく静まり返っていました。
本堂の扉が手で触ったら開いたのでのぞかせて拝ませていただきました。
深くて冷たくて重い風が吹いてきました。






須坂の街並製糸で栄えた蔵の町
Suzaka 

May 2004 撮影:瀧山幸伸


その1 Preview video 500Kbps HD(1280x720) Video FAQ
その2 Preview video 500Kbps HD(1280x720) Video FAQ



【須坂の街並 】
松代と小布施と須坂、これら三つの街の比較が面白い。
 須坂は堀氏の陣屋町一万二千石の小さな町であった。菅平、鳥居峠への大笹街道と、松川に沿った谷街道が交差する交通の要所である。幕末から昭和にかけては製糸業で大いに栄えた。
 江戸時代、扇状地として水に恵まれていた須坂では、街を流れる水路沿いに水車を動かし、近郷で採れた菜種を絞って菜種油を製造していた。江戸の末期からは、この水車を利用し、生糸の製糸業が盛んになった。明治8年、洋式製糸機械を導入した製糸結社、東行社が設立されてから大いに栄えた。富岡、諏訪岡谷の繁栄と同じ時期である。数多く残る蔵は、この時期、明治から昭和にかけて商家、民家として建築されたものだ。街中には蔵を利用したミュージアムやミニギャラリーが多い。


【街並案内処】 
案内処では案内図の発行、蔵の展示紹介など、有志が街の遺産情報を発信しているが、町全体としては、製糸産業に依存していたからかどうか、訪問客とのコミュニケーション、ホスピタリティも今ひとつで、松代、小布施と比べて出遅れており、訪問客誘致の機運はこれからといったところ。歴史遺産に恵まれた街並の価値とポテンシャルを大いに評価したい。
(市資料)

【松井須磨子ゆかりの小田切家(右)と綿幸】 
 松井須磨子は松代生まれであるが、若くして離婚した後、叔母の家である小田切家の従業員10人に満たない製糸工場で働いていた。その須磨子がある日突然行方をくらました。しばらくして早稲田島村抱月のもとで演劇を勉強しているという便りが。傷心の須磨子はこの街には居づらかったのかもしれない。
須磨子に関して積極的なキャンペーンは行われていないが、小田切家を松井須磨子記念館にしようとの構想がある。須磨子をフィーチャーすれば、単なる蔵めぐりではなく、文学、演劇好きの人にとっても訪問したい街になるであろう。文化は人の心を惹きつける力が強い。

(*)松井須磨子は、大正時代を代表する女優。須磨子は坪内逍遥の主宰する文芸協会付属演劇研究所の入学試験を受けた。その時の英文訳読試験の担当が島村抱月だった。妻子ある抱月と須磨子は恋仲となり、抱月は早大教授を辞め、妻と5人の子を捨て、2人を中心として芸術座が設立された。「カチューシャの唄」は空前の大ヒット。須磨子は一躍国民的人気女優となった。




【綿幸サロン 蔵を利用したギャラリー】 
蔵は静かで暗く、外界と遮断されており、ギャラリーとしての環境が整っている。ここでは不定期で企画展示が行われている。こちらは地元の陶芸家の展示販売。





【枯れた水路】
家の前の水路に水は流れていない。ほとんどの水路は歩道スペースを確保するために蓋で覆われている。この街に水が戻り、通過交通の騒音が減れば、水路に沿ってのんびりと街歩きが楽しめ、落ち着いた素晴らしい街となるであろう。


【まゆぐら】



道路拡幅のため、曳き家で蔵を移築したのだが、街並を無視して個別に移築すれば建物は単独で保存されようが街並は破壊される。この街で着々と進む街区整備。この街にとって、伝統的建造物よりも道路拡幅のほうが重要なのだろうか。失ったものの代償は大きいと思うのだが。



まゆぐらでは各種体験が可能。



【土蔵の街並の中を走る国道の通過交通】
この街をのんびり歩いて楽しむのは難しい。文化財などの案内表示も貧弱。良い歴史資源を持つだけに今後の整備が望まれる。




【綿幸付近、 街道が交わる地点】 
須坂は交通の要所であった。


【瓦に刻まれた家紋】当時の繁栄の大きさが偲ばれる。


【古い民家を利用した美術館】
古い民家や土蔵を動態保存し美術館などに利用しようとの機運が高まりつつある。


【旧花街】 
昭和初期、製糸の最盛期には70人の芸姑を抱え大いに賑わったとのことだが、今ではわずかに面影が残る程度。


【まとめと提言】 産業遺産(近代化遺産)は貴重な資源

 現在、須坂市のホームページを見ても、観光協会のページを見ても、蔵造りの街並は大きく取り上げられていない。須坂は製糸工業で栄えた街なので、住民にとってはこの遺産を使った「観光による町おこし」は考えにくかったのであろう。しかし、富岡の製糸工場がユネスコに登録されるかもしれないという時代、(実際富 岡の建物は非常に気品があり美しいのですが)産業遺産を活かした町おこしを考えることが必要ではないだろうか。

 日本では、新居浜などにその気配が感じられる。大牟田の鉱山施設などは廃墟になったままだが、保存公開する価値があるものと思う。桐生では「のこぎり型屋根」の現役工場がユニークな街並を形成しているので特徴がある。倉敷には、紡績工場を改造したアイビースクエアというホテルが30年以上前から人気を保っている。アメリカでは、カリフォルニア州サンノゼ、テネシー州チャタヌーガ、ワシントンDCのジョージタウン、マサチューセッツ州ロウエル、ジョージア州サバンナなどに街並再生の成功事例が見られる。
 須坂の街並は、蔵作りの建物自体が美しく、しかもそれが連続しているため、街並としてのシーケンスを良く留めている。この点は、同様に織物で栄えた桐生、結城、秩父には見られない価値であり、国内では貴重な存在だ。
 
 須坂でそのようなビジョンが明確になれば、道路脇の水路は復活し、水路には清流が流れ、景観条例や補助金も効果を発揮し、良い方向に発展するのではないだろうか。


米子大瀑布と廃鉱の幻の村 
Yonago falls



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