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長崎県長崎市 長崎台場跡、魚見台台場跡
Nagasak Daiba,Uomidai Daiba ato,Nagasaki city,Nagasaki

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Dec.2010 HD video

江戸時代、長崎港の内外に設けられた番所・台場・備場等の海警施設は、鎖国の窓としての長崎警備のため設けられたもので、鎖国の成立と崩壊過程における象徴的な歴史の所産である。 このうち、諸台場は、主として設置時期によって、(1)古台場(承応2年−1652−7個所)、(2)新台場(文化5年−1808−5個所)、(3)増台場(文化7年−1810−4個所)、(4)佐賀台場(嘉永6年−1852−3個所)の4種に大別される。 昭和53年11月に指定した魚見岳台場跡は、増台場である。新台場・増台場が設置された事情は次の通りである。即ち、文化5年、オランダ船旗を掲げて長崎港に入ったイギリス鑑フェートン号は、オランダ商館員を人質として薪水を要求するかたわら、湾内の測量を行なったが、長崎奉行はじめ当番の佐賀藩兵はなす術を知らず、近隣諸藩の軍勢が長崎に到着したのは、フェートン号出港後であった。フェートン号の退出後直ちに新台場等が築かれ、翌年、外国船渡来時の取扱法を改めるとともに、翌文化7年には増台場が築造された。 魚見岳台場は、魚見岳の西斜面に造られ、神崎鼻に造営された神崎台場と相対する形で、長崎港の入口を扼している。下より変形六角形の三ノ増台場、ほぼ長方形の二ノ増台場、L字形の一ノ増台場と続くが、三ノ増台場と二ノ増台場の間は100余メートル、二ノ増台場と一ノ増台場の間は30余メートル隔っている。三ノ増台場と二ノ増台場の北にほぼ接して、3つの区画が上下1列に続いている。下ノ段は道具小屋・常住小屋が設けられた個所で、中ノ段は用途未詳の方形の場である。中ノ段の上24メートルの所には上ノ段があり、御石蔵が造られていたが、御石蔵以外には建物は現存しない。御石蔵は、平面3.5×3.7メートルの平家建瓦葺であるが、遺存状況は良好である。各台場・各段を取り巻く石垣や雁木も堅固に造られており、これまた遺存状況はきわめて良い。 長崎の台場の歴史的重要性を考えれば、本来、遺存する台場を一括して指定すべきであるが、開発計画に対処するため魚見岳台場跡のみを標記の名称で指定する。(文化庁データベース)




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