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長崎出島 海外への窓口となった港町
Nagasaki, Dejima

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出島 (史跡)

長崎はひなびた漁村だった。
元亀元年(1570)キリシタン大名の大村純忠はイエズス会に長崎を提供した。
ポルトガル人はここに教会や病院まで備えた大規模な街を作りあげた。
徳川幕府も海外貿易を盛んに奨励し、ポルトガルのほか、平戸にオランダ商館の設置を認め、スペイン、中国、イギリスとも通商を許した。
しかし、キリスト教徒が増加し、有力な大名までもが改宗するに及んで、キリスト教は弾圧され、慶長19年(1614)ついに禁教とされた。
幕府は寛永13年(1636)長崎に出島を作ってポルトガル人を集めた。
さらに寛永14年(1637)キリスト教徒が島原の乱を起こすに及び、幕府は寛永18年(1641)ポルトガル人を追放し、平戸にあったオランダ商館を出島に移した。
その後、長崎は西洋文明と関わる唯一の窓として経済的文化的に幕末まで繁栄が続く。
現在、出島にはミニ出島の模型や出島資料館、歴史民俗資料館が設けられている。

このような閉鎖的な島は、現代においてもテーマパーク・エンタテインメント志向の街づくりのヒントでもある。
例えば、大都市のウォーターフロントに、「英語しか通じない島」や「パスポートに3カ国以上のスタンプがある人しか入場できない島」「女性しか入場できない島」などがあれば非日常を楽しめるかもしれない。
島でなくても、そのようなテーマ船があれば面白い。ショーボートのようなものか。

ミニ出島と出島の復元

シーボルトのお抱え絵師であった川原慶賀が描いたといわれる「長崎出島之図」を参考に1820年頃の出島を1/15のスケールで再現している。
これを元に平成12年以降、順次当時の建物が発掘考証されながら復元されている。



Dec.2003 Preview video 500Kbps High Vision









ミニ出島と出島の復元

シーボルトのお抱え絵師であった川原慶賀が描いたといわれる「長崎出島之図」を参考に1820年頃の出島を1/15のスケールで再現している。
これを元に平成12年以降、順次当時の建物が発掘考証されながら復元されている。











出島の湾曲を今に伝える














川原慶賀が描いた料理部屋の様子
 


出島外周の塀
このような高い塀のため、出島はオランダ商館員に「監獄」と呼ばれていた。
オランダ人は島から出ることを、日本人は遊女以外立ち入ることを許されなかった。
シーボルトの娘イネはここで生まれた。
シーボルトの手紙を読めば、一家別離の悲話に心打たれる。







電車が長崎の情緒を演出する








オランダ商館員の部屋
































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