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奈良県明日香村 飛鳥寺西方遺跡
(Asukadera Temple West Area Ruins, Asuka Village, Nara Pref.)

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重要な歴史の舞台「槻樹の広場」か?
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February 26, 2017 野崎順次 movie

奈良県高市郡明日香村飛鳥

大化改新ゆかりの広場、新たな建物跡 飛鳥寺西方遺跡

大化改新の立役者、中大兄皇子(なかのおおえのみこ、後の天智〈てんじ〉天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蹴鞠(けまり)を通じて初めて出会った「槻(つき)の木の広場」とされる奈良県明日香村の飛鳥寺西方(せいほう)遺跡で、7世紀後半とみられる1棟の建物跡がみつかった。村教育委員会が23日発表した。同遺跡で出土した初めての本格的な建物跡とみられ、専門家は「日本書紀」に記録された辺境の人々をもてなした饗宴(きょうえん)施設などの可能性を指摘する。
遺跡は日本初の本格的寺院・飛鳥寺の西側に広がり、村教委が2008年度から発掘調査を継続。広範囲な石敷き遺構が出土し、槻の木の広場だったとみられる。今回の調査地は寺の西門跡から南西約120メートルの遺跡の南端にあたり、柱の穴(1辺約1・2メートル、深さ約90センチ)9個を確認。村教委によれば、少なくとも東西11メートル、南北6・5メートルの常設の高床式の建物があった可能性があるという。
広場は大化改新や壬申(じんしん)の乱など飛鳥時代の数々の重要事件に登場する。日本書紀は、斉明(さいめい)天皇(在位655〜61年)の時代以降、東北地方の蝦夷(えみし)や南九州の隼人(はやと)ら辺境とされた地域の人々や外国人を招いて宴会を催したと記録する。
猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は「広場は多目的空間だったとみられ、建物は宴(うたげ)を催した施設や休憩施設だった可能性もある」。
木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「建物跡は広場の外れに位置し、柱の穴の配列状況などから倉庫だったのではないか。広場に関わるのか、広場の南に広がる宮殿と関係するのか、今後の調査に期待したい」と話す。
(朝日新聞DIGITAL 2017年2月24日16時13分 田中祐也より)

平成28年度発掘調査区域の現地説明会に行った。

パンフレットと現地説明展示

                

明日香バス停から説明会場へ

        

発掘現場を右回りに見ていく。

                                            

飛鳥寺遠望、梅

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