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奈良県御所市 水泥古墳

(Midoro Kofun, Gose, Nara)

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Mar.3,2023 瀧山幸伸  source movie

水泥古墳は、約100メートルの間隔を隔てて存在する水泥北古墳と水泥南古墳を併せて、2基一括で昭和36年に国指定史跡に指定されている。

【水泥北古墳】

西尾邸内にある、直径約20メートルの円墳で両袖式の横穴式石室を有する。
石室は、全長13.4m、玄室の長さ5.6m、同幅約2.9m、同高さ約3.3mの大規模な石室で、花崗岩の大きな石を用いて構築している。6世紀中頃の築造である。
現在すでに棺はないが、小規模なトレンチ石棺材となる凝灰岩の破片が出土したので、元は石棺が安置されていたと推測できる。また、副葬品などは知られないが、追葬時に瓦質円筒状の配水管を使用していた。

【水泥南古墳】

南古墳は六世紀後葉に築造された、直径25mの円墳とみられる。北古墳に比べると規模は小さいが、横穴式石室が南方向に開口している。石室の全長は約15m、玄室の長さ4.6m、幅2.4m、高さ2.6mである。玄室の床面には拳大の礫が敷かれていた。
石室のこの礫床の下部には排水溝が造られていた。排水溝は石室のほぼ中央を溝状に堀り、溝の中には拳大程度の礫を詰めるものである。この溝は羨道部を通って石室外に出るが前庭部の発掘調査の結果、さらに南方に方向に延びたのち、東に曲がって谷の方向に続くことが判っている。
石室内には、玄室と羨道にそれぞれ1基ずつの家形石棺が置かれている。
玄室のものは二上山の凝灰岩を、羨道のものは竜山石(兵庫県加古川流域で産出する凝灰岩)を使っている。
特に注目されるのは、羨道にある石棺蓋の縄掛け突起である。小口部の縄掛け突起には蓮華文(ハスの花をかたどった模様)があり、古墳文化と仏教文化の結合の一例として著名である。また、側面の縄掛け突起は削られて小さくされた痕跡が残っている。
これは、追葬時に石棺を石室内に搬入するに際して、羨道側壁に縄掛け突起が当たったため、削ってしまったものであろう。
平成7年度の調査で、高杯・はそう(瓦へんに泉)・台付はそう(瓦へんに泉)台付長頸壺などの土器(須恵器)や、羨道にある石棺内から金銅製の耳飾り(耳環)が出土した。

水泥南古墳 

御所市教育委員会資料より

水泥北古墳

 

                                  

           

水泥南古墳

                          

        

  


June 2010 撮影/文 野崎順次

撮影日: 2010年5月および2007年12月

皇極4年(645)6月12日、板蓋宮で入鹿を殺した中大兄皇子たちは、諸皇族、諸臣を従え飛鳥寺にはいって備えを固め、入鹿の死骸を甘橿丘邸宅の蝦夷のもとに届けさせた。

邸宅の各門の警備にあたっていた渡来系の一族、東漢直らは一戦を交えようと軍装を整えるが、皇子側の説得工作により抵抗を断念する。

翌13日、蝦夷は編纂中の天皇記、国記などの重要書類や財宝に火を放って死に、蘇我本宗家はあっけなく滅亡してしまう。

その日のうちに、蝦夷、入鹿の遺骸は墓に葬って差しつかえないという許可があり、服喪も許されたという。

いったい誰が二人を葬ることを許され、喪に服したのだろう。その後、その人たちの身の振り方はどうなったのだろうか。

江戸時代享保17年(1734)に書かれた大和志という書物には「葛上郡今木双墓在古瀬水泥邑、与吉野郡今木隣」とあり、現在の御所市大字古瀬小字ウエ山の水泥古墳と、隣接する円墳水泥塚穴古墳とが、日本書紀にいう蝦夷、入鹿の双墓に当たると古くから言いならわされてきたことがわかる。

近鉄吉野口駅から1.5kmくらい歩いて行くと簡単な看板がある。

    

水泥蓮華紋古墳(円墳・径約20m)は、畑中にのこる古墳である。

南に開口する横穴式石室は、全長10.8mを測る。羨道奥と玄室に、それぞれ刳抜式家形石棺が置かれている。

羨道の石棺の蓋には、南・北の縄掛突起の正面に蓮華紋が彫られており、古墳の名称の由来となっている。

石棺の形状や文様から、7世紀前半に築かれたと考えられている。

              

水泥塚穴古墳

蓮華文古墳の北約80m、西尾さんのお屋敷の裏庭にある。

ご厚意により見せて頂く。

墳丘の前面は大きく削り取られて崖になり、家屋の軒に接している。

径20〜25mほどの円墳だったようだ。

石室は両袖式で、全長12.9m、玄室の長さ5.3m、幅3m、高さ3.3m。

巨石を3・4段に立てて積んであり、この地域では新宮山古墳とともに抜きん出た規模である。

石室の床面を掘り下げたところ、土管が20本も連なって出土。

飛鳥寺から出た瓦と同じ焼きで、連結のための結合部もあり、石室の排水に使われたものらしい。

非常に珍しく、1本は石室内に現存し、数本が西尾家に保存されている。

        

参考資料

橿原考古学研究所HP 奈良県遺跡散歩

飛鳥資料館HP

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