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奈良県上北山村 大台ケ原

Odaigahara,Kamikitayama village,Nara

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November 2,2017  大野木康夫 source movie

東大台地区を散策

苔探勝路

                     

駐車場から日出ヶ岳へ

                    

展望台からの眺め

熊野灘、尾鷲湾、志摩半島、富士山

                       

日出ヶ岳山頂へ

                    

展望台からの眺め

富士山、御岳山、白山連峰、大峰連山など

                      

山頂周辺

三角点、大杉谷入り口など

    

正木峠へ

          

正木峠付近

                                               

正木が原へ

              

正木が原

        

牛石が原へ

         

牛石が原

      

尾鷲辻

 

大蛇ぐら(「くら」は山かんむりに品)へ

 

大蛇ぐら

紅葉の西大台、日本の滝百選中の滝、西の滝

                                                       

周遊路へ戻る

                     

シオカラ谷へ下る

ブナ林の紅葉

                                  

シオカラ谷

             

駐車場への急坂

                   

キツツキ

  

ドライブウェイの帰路、紅葉風景

           


Sep.29,2015 中山辰夫

西大台ケ原

West Odaigahara

奈良県吉野郡上北山村

大台ケ原は、日出ケ岳(標高1,695m)を最高峰とし、標高1,400m〜1,600mの緩やかな起伏が続く台地で、年平均降雨量が4,000mmを越える多雨地帯。

周囲は豪雨で削られた絶壁やガケ、V字渓谷にかかる滝など雄大な景観が広がり、針葉樹とブナ、ミズナラなどの広葉樹で構成される自然が残る地区である。

大台ケ原開発後の歴史は100年余とまだ新しいが大きく様かわりしてきた。特に様々な要因による森林衰退が著しく、今、森を守る必死の努力がなされている。

駐車場の標高は1,570m

   

ビジターセンターから東の区域は東大台と呼ばれ、一般登山者向けのコース「東大台ヶ原自然観察路」が整備されている。

日出ヶ岳山頂は東大台の北東端にあり、登山道は尾根沿いに南西へ牛石ヶ原や正木ヶ原を通りながら「大蛇ぐら」まで続いている。

 

ビジターセンターから西の区域は西大台と呼ばれ、2007年(平成19年)9月1日から、自然環境を保持して自然体験の場を提供するため、西大台利用調整地区に指定され、種々の制約が決められている。

レクチャー受講

   

駐車場から出入口まで進む

今日のガイドさんと大台教会前を通過し、出入口で立入認定書の手続きを済ます。

       

登山開始 

ガイドさんを含め10人のメンバー(男子4人−女子6人)で出発する。 コースの総距離:約10㎞ 所要時間:5時間 

登山マップの標高1,570mの駐車場から、1,300mの地点まで一旦下り、その後1,570mの駐車場まで戻る。

  

左下の小石や木の根が多い山道で歩きつらい。ブナの深い森が始まる。道標のある分岐点では、七ツ池経由のコースを選ぶ。 スタートはPm12:00である。

     

ナゴヤ谷上流部(標高1,520m) 結構な広さである。陽射しが眩しい。 水は清らか、澄んでいる。 渡ると木陰に開拓者、松浦武四郎碑が建つ

     

松浦武四郎は1818(文政元)年現在の三重県松阪市に生まれ、幕末期に蝦夷、樺太、千島の探検を行い、「北海道」の命名者としても知られている。

明治維新後には全国各地の探検・開拓を行い、大台ヶ原へは明治18年に最初の登山を行ったあと3年にわたり登山している。大台ケ原開拓の父といわれ、誰も入ったことのない未踏の山であるとの表現を「役小角、行基、空海も不入錫域」と記している。本人の遺言に従って建てられた松浦武四郎の分骨碑である。

今頃の時期、草花が少ない。最初に目に入ったお花−カワチブシ(トリカブト系)有毒植物・トリカブトの仲間。紫の花をつける。

 

背の高い防鹿柵。ニホンシカの個体数は、1k㎡あたり7頭が最適、奈良は70頭、大台ケ原は100頭と増加が著しい。柵の内側では林生の植生の回復が進む。

      

ヒノキやミズナラの混合林、苔や倒木とキノコの登場、原生的な雰囲気が現れる。

     

中の谷渓流(標高約1,460m) 渓流の響きと清々しい風に癒されながらの昼食

     

水音を後にしてトウヒやブナの原生林の中を行く。もう少し先の、紅葉・黄葉の彩りが想像できる。平坦になった尾根を越える。

松浦武四郎は1818(文政元)年現在の三重県松阪市に生まれ、幕末期に蝦夷、樺太、千島の探検を行い、「北海道」の命名者としても知られている。

政府の仕事と並行して、探検日誌、地図、地誌を現わし探検家として頭角を現した。明治維新後には全国各地の探検・開拓を行った。

大台ヶ原山へは1885(明治18)年に最初の登山を行ったあと3年にわたり登山し、その度に登山記録を刊行し、大台ケ原山の素晴らしさを伝え、多くの協力者を得て、登山道や小屋、道標の整備に尽力した。こうした動きにより山の全貌が見えるようになった。

大台教会

ここは神習教大台ケ原大教会という神道の教会である。神習教は「自然の中に自分をゆだね、山をあるいてもらえればよい」というおおらかな宗教とされる。

1891(明治24)年、御嶽山で修業した美濃出身の行者・古川 嵩(かさむ)が大台ケ原を霊場として開山しようと入山、1899(明治23)年教会が設立された。

大台ケ原山の山中で、2匹の夫婦狼と寝起きし終業に励んだとされる古川は、越冬も経験しながら、地元の人々に大台ケ原の素晴らしさを伝えながら修行を続け開山にこぎつけた。大正に入って、大台ケ原に登山する人も増え、教会は宿泊施設としての役割も持った。1922(大正22)年には、西堀栄三郎、今西錦司などの4名が泊まっている。1961(昭和36)年の大台ケ原ドライブウエイ開通までは、山に上ってくる人のよりどころであった。

現在、教会は信者の宿泊施設として利用され、一般登山者は教会の隣の「たたら亭」を憩いの場としている。≪大峰・大高より抜粋≫

                                                                                                             


Aug.1,2013 瀧山幸伸 source movie

大台ケ原への道

      

               

             

宿

   

駐車場での星景

              

駐車場〜尾鷲峠

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尾鷲峠〜大蛇ぐら

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大蛇ぐら〜尾鷲峠〜正木ケ原

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正木ケ原〜正木峠

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正木峠〜駐車場

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