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奈良県奈良市 白毫寺

Byakugoji,Nara city,Nara

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September 22, 2016 野崎順次 source movie

奈良県奈良市百毫寺町392

高円山 百毫寺

パンフレット

  

石段と山門、今年は萩の花が咲き具合はよくない。

                     

市文 本堂 江戸初期(17世紀前期)

桁行五間、梁間五間、寄棟造、向拝一間、本瓦葺、背面桟瓦葺

柱間三間の身舎(もや)の四方に庇を回る三間四面形式

                    

県天然記念物 五色椿

     

万葉歌碑、多宝塔跡など

    

弥勒石仏 安土桃山 慶長十五年(1610)

宝篋印塔板碑

釈迦種子板碑 江戸前期 寛永十五年(1638)

地蔵石仏 安土桃山 慶長十五年(1610)

      

不動石仏 鎌倉

  

石仏の路

              

地蔵十王石仏 南北朝

地蔵十王残欠 鎌倉中期 文永二年(1265)

       

御影堂あたり

      

境内の花々

                

ガの交尾

     

石庭

     

眺望

             

参考資料

奈良市ウェブサイト

河合哲雄「石塔と石仏」ウェブサイト


Apr.2013 中山辰夫

                               


Sep.2011 瀧山幸伸 source movie

A camera

                                                                          

B camera

                                                                


June 2009 撮影/文 野崎順次

奈良県奈良市白毫寺町

ながめのよい花のてら

真言律宗 白毫寺(びゃくごうじ)

(Shingonrisshu Byakugoji Temple)

撮影日: 2009年6月20日

白毫寺は、奈良市東部の山なみ、若草山・春日山に続いて南に連なる高円山のふもとにある。

この高円の野に天智天皇の第七皇、志貴皇子の離宮があり、その山荘を寺としたと伝えられる。

明応六年(1497)、古市・筒井勢による戦乱でほとんどの堂宇を焼かれるなど度重なる兵火・来夏で堂宇を失う憂き目を負っているが、江戸時代寛永年間に興福寺の学僧空慶上人が再興し、江戸幕府からご朱印寺として禄高五十石を扶持され繁栄した。

現在、宝蔵に本尊阿弥陀如来座像をはじめ閻魔大王坐像ほか重要文化財を、本堂(江戸時代)に勢至・観音菩薩像、聖徳太子二歳像ほかを安置する。

また、御影堂(江戸時代)には中興の祖空慶上人をおまつりしている。

境内には不動、弥勒、地蔵などの石仏が点在し、西を望めば奈良市街を眼下に見渡せる。

春には樹齢およそ400年の五色椿(県天然記念物)をはじめ、数多くの椿が咲き、秋は参道を紅や白の萩の花が覆って、季節の風物を求めていにしえの人々が遊んだ往時をしのばせる。(お寺のパンフレットより)

  

                                        

白毫寺から下ってきて近くの墓地で無数の石仏が集められて供養されていた。石仏の多い土地である。比較的新しい墓石も含まれている。合掌。

     


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