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奈良県奈良市 不退寺
Futaiji,Nara city,Nara

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奈良市法蓮東垣内町517 不退寺塔婆 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 鎌倉後期 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、桟瓦葺(もと多宝塔下重) 古材7点 19080423
奈良市法蓮東垣内町517 不退寺南門 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 正和6(1317) 四脚門、切妻造、本瓦葺 旧懸魚1個 19040218
奈良市法蓮東垣内町517 不退寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺 19040218


Nov.2012 中山辰夫


宗派:真言律宗
本尊:聖観音

この地は平常復都を企てた平城太上天皇が萱の御所を営んだ所で、其の第1皇子が阿保親王を経て、親王の第5子在原業平に伝えられ、847(承和14)年、仁明天皇の勅を得て不退轉法輪寺としたという。
南都十五大寺の1つとして栄えたが、のち西大寺・興福寺の配下に入って、伽藍が復興された。

アプローチ

南門
国重要文化財
和様に大仏様を加味した新和様(折衷様)の四脚門 鎌倉時代後期の1317(正和6)年の建造

本堂
国重要文化財


寄棟造の新和様で、南北朝時代(14世紀)の建造と推定される。
本堂須弥壇上の厨子に安置される本尊の木造聖観音立像(国重文)は一木造の像、その両側に並ぶ木造五大明王像も国重文である。

塔婆
国重要文化財
本堂手前東側に立つ。一重・桟瓦葺・宝形造 鎌倉時代後期の新和様の建築方式で、本来は2層、檜皮葺の多宝塔だった。

古墳石棺
凝灰岩製である。どの古墳から出土したかは不明である。

庫裏

業平の歌碑

参考≪奈良県の歴史散歩 山川出版≫





Sep.2011 瀧山幸伸 source movie

A camera


B camera



Feb.2011 撮影:大野木康夫 source movie

所在地 奈良県奈良市法蓮東垣内町517

南門(重要文化財)
正和6(1317)年の建築
四脚門、切妻造、本瓦葺

石棺
ウワナベ古墳付近で発掘されたもの。

塔婆(重要文化財)
鎌倉後期の建築
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、桟瓦葺(もと多宝塔下重)

本堂(重要文化財)
室町前期の建築
桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺



June 2009 撮影/文 野崎順次

奈良県奈良市法蓮町517
真言律宗
不退寺
(Futaiji Temple, Nara)

『大和國金龍山不退寺縁起』によると、第51代平城天皇は大同4年(809)に弟の嵯峨天皇に御譲位され、平城京の北東の地に萱葺きの御殿を造営、「萱の御所」と呼称された。その後、第1皇子阿保親王とその第5子在原業平朝臣が共に居住せられ、業平朝臣は承和12年(845)仁明天皇の詔を奉り、承和14年(847)平城天皇の旧居を精舎に改め、自ら聖観音像を刻まれ、父阿保親王の菩提を弔うと共に衆生済度の為に「法輪を転じて退かず」と発願し、金龍山不退転法輪寺と号して仁明天皇の勅願所となった。略して不退寺(業平寺)と呼ばれる。

建造物(*印は写真あり)

南門 (重文) 鎌倉時代末期*
本堂 (重文) 鎌倉時代*
多宝塔 (重文) 鎌倉中期*

仏像部

聖観世音菩薩立象 (重文)平安初期
五大明王像 (重文)藤原時代中期
阿保親王坐像 (県文)鎌倉時代
地蔵菩薩立象 弘仁時代

その他 石棺 5世紀*



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