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奈良県奈良市 奈良市内の石造物

(Stone Buddhism Sites,Nara City, Nara Pref.)

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 General
 
変化にとんだ石造物がある。
 Nature
 
人けのない場所が多い
 Water    
 Flower
 
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 


July 4, 2020 野崎順次 source movie

奈良県奈良市 奈良市内の石仏めぐり、その2
(Stone Buddhist Images - Part 2, Nara City, Nara Pref.)


五劫院(北御門町24)の地蔵石仏
元和十年(1624)に建った本堂内安置の本尊は、五劫思惟の阿弥陀如来(重文)でこれが寺名の由来。この仏像は東大寺を再興した重源が宋より持ち帰ったという。墓地入口の堂内に大きな地蔵石仏が二体立っている。向かって左は像高152cm、顔をやや左に見返る見返り地蔵で、錫杖を軽く肩にあてがって、体を斜めにして歩行する姿で、柄衣の裾は後ろになびく。光背に刻銘があって、東大寺の花厳恵順らの僧が造立し、永正十三(1516)室町中期の作。見返り地蔵の横に立つ地蔵は像高152cm、通常型の地蔵で、念仏講の人々が造立した室町中期の石仏。墓の奥には地蔵十王石仏も立っている。
(清水俊明「関西石仏めぐり」1997年より)
     


見返り地蔵と通常型地蔵、ともに室町中期
         


墓地地蔵十王石仏 室町後期 高197cm 像高145cm 花崗岩
右手錫杖、左手宝珠の地蔵を厚肉彫りする。光背の左右に十王像を配する。
  


その他の石造物
   


空海寺(雑司町167)の地蔵石仏
五劫院前の辻を南に少し行くと左側に空海寺が建っている。この寺の本尊は秘仏であるが、等身大の地蔵石仏で、左右に聖徳太子・不動明王を配した石龕仏である。本堂前に像高133cmの地蔵石仏が立っており、光背の左右に十王像が配されている。五劫院墓地に立っている十王像と同時代と思われる。常に地蔵尊を信仰すればその功徳により、死後十王の裁きを受ける時、六道の世界のうちで良い所に生まれ変わるという。境内には、このほかに桃山時代の天正十二年(1584)銘の地蔵や神像石(室町後期)がある。
(清水俊明「関西石仏めぐり」1997年より)
        


地蔵石仏、室町後期
       


その他
  


近所
   


バスとJRを乗り継いで京終へ

京終地蔵院(北京終町1)の阿弥陀三尊石仏
元は地蔵院の南西(京終池の南西)に辻堂があり、そこの本尊であった。享保9年(1724年)、霊験あらたかとの評判により参詣者が増えたため、一宇を造り「京終阿弥陀」と呼ばれるようになったという。現在は本院に移されているが、石仏前の供物台に「辻堂佛前」の彫りが残されているため、元は辻堂にあったものとわかる。
石仏は花崗岩製、高さ1.71メートル。下方に大きな蓮座を備え、その上に三尊を一石に厚肉彫する珍しい形式で、様式上南北朝時代の作と推定される。中央は阿弥陀如来、向かって右が蓮台を捧げる観音菩薩、左は合掌した勢至菩薩である。三尊とも、単弁蓮華文の円形頭光の彫がある。
(ウィキペディア「京終地蔵院」)
  


阿弥陀三尊石仏、南北朝
           


その他
           

墓地の石造物群
    


徳融寺(鳴川町25)
小塔院から少し南に行った右手に融通念仏宗の徳融寺が建つ。平安時代の子安観音木造仏をまつる観音堂の南側に、笠石をのせた四方仏が立っている。高さ115cmの石柱状四面に、薬師・釈迦・阿弥陀、弥勒仏を配置したもので、顔の表情もよく、体部の肉付けも充実して鎌倉時代後期の造立。両脇に藤原豊成公とその娘、中将姫の墓石という二基の宝篋印塔が立っている。この辺りは豊成公の邸宅跡といわれ、中将姫ゆかりの伝説の多いところである。
(清水俊明「関西石仏めぐり」1997年より)
       


豊成公宝篋印塔
       


中将姫宝篋印塔
        


四方仏、鎌倉後期
         


その他
        


誕生寺(三棟町2)
徳融寺の筋向かいには誕生寺という尼寺があって、中将姫誕生地という。この寺の本堂裏には、中将姫と、二十五菩薩が並んでいて、井戸の中には阿弥陀石仏が置かれている。中将姫が二十五菩薩と阿弥陀仏に引導されて極楽浄土に往生するさまを彫ったもので、江戸時代の作ながら、二十五菩薩の姿は実に愛らしい。
(清水俊明「関西石仏めぐり」1997年より)
     


中将姫石像など
        


二十五菩薩石像、江戸
                               


その他
    


小塔院(西新屋町45)の宝篋印塔
餅飯殿通りの南側の道に出ると、寺院が並ぶ寺町に出る。小塔院は通りの東側にあって、目立たない寺院。もと元興寺小塔院として奈良時代の創立といわれる。極楽院 (元興寺) 収蔵の奈良時代の小塔は、この寺に安置されていたいう。お堂の裏に立つ宝篋印塔は、相輪の上部を欠失するが、高さ183cmの立派な塔で、塔身の金剛界四仏の梵字の彫り方や、塔形から見て鎌倉時代後期の造立と思われる。
(清水俊明「関西石仏めぐり」1997年より)
     


宝篋印塔、鎌倉後期
         


その他
  

奈良町からやすらぎの道方面へ
                   


霊厳院(林小路町36)の箱型石仏
近鉄奈良駅の西側に、南北に通ずる「やすらぎの道」と愛称される広い道路がある。その道と三条通りの交差点の少し北側の細い道を西に入った所に浄土宗の霊厳院という寺がある。境内に高さ150cmの箱型石仏があって、阿弥陀仏と観音・勢至の三尊が彫られている。枠の左右に「極重悪人無他方便、唯称弥陀得生極楽、永享二(1430)庚戌十一月日、大工行氏」と刻まれ、偈文は「往生要集」で、極重の悪人は他の方便(てだて)なし、ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得る、と説いている。室町時代の石大工名は貴重。
(清水俊明「関西石仏めぐり」1997年より)
    


箱型石仏、室町
   


その他
    

 


May 30 and 31, and June 6, 2020 野崎順次 source movie

奈良県奈良市 奈良市内の石仏めぐり
(Stone Buddhist Images, Nara City, Nara Pref.)


法融寺(二名1-2420)の役行者石像
奈良市二名町の法融寺には、小像であるが個性のある役行者石像があり、知られている。石高60cmで、上部に役行者が腰をかけ、頭に頭巾をかぶり、右手に錫杖をもち、左手には独鈷のようなものをにぎっている。その前に、行者に従った前鬼と後鬼の二鬼が、ユーモラスな姿で浮彫りされている。その戯画的な趣が、なんともいえない味をもち、神話的な伝承をもつ役行者にふさわしい作品である。天文二十四年(1555)九月二日の年号がある室町後期の石像である。
(清水俊明「大和の石仏」昭和56年より)

本堂
   


役行者石像
    


その他の石造物
      

弥勒寺(中町4440)の弥勒石仏
本尊は阿弥陀仏であるが本堂内に弥勒石仏を安置し、弥勒寺と号する所から、昔はこの石仏が本尊であったかも知れない。石仏を刻んだ石材は凝灰岩で、裏面に古墳石棺の工作が見られるので、石棺材を転用した石棺仏といえる。この附近の岳陵には古墳が多く、弥勒寺にも古墳出土品、後漢の大形鏡を伝えている。弥勒石仏は高八三佛の坐像、舟形光背を負って高肉彫りしたもの、右手をあげて施願印、左手は膝上に置く触地印。頭に弥勒のシンボルである舎利宝塔を浮彫りしている。唇の厚い温和な表情が印象的、着衣の線を装飾的に並べた室町時代の典型的なスタイル。光背面に梵字を刻んでいる。
(清水俊明「大和の石仏」昭和56年より)

本堂
   


弥勒石仏
        


西大寺共同墓地 (青野町)の地蔵石仏など
はいった所に温和な面差しの地蔵石仏が立っていて、天文二十二年(1553)九月七日願主澄円の銘があって室町末の作。丸彫りの大きな阿弥陀石仏も室町末期の造立であろう。
(清水俊明「大和の石仏」昭和56年より)
            

墓地の裏側、道路に面して像容の優れた地蔵石仏が立っている。高さ1.6,mの舟形石に像高1.2mの地蔵立像を丸彫りに近い彫出しで作つたもの。面相は優れて、豪快で力強い。柄衣の表現も木彫仏に近い作風で、写実に富んでいる。光背の頂上を尖らせ、技巧に富んだ作風は、この近くの二条町辻堂の地蔵によく似て居り、南田原元徳三年、石工行恒の作った阿弥陀石仏にも作風が通じる同時代の作で、行恒の作と思える所がある。
(清水俊明「大和の石仏」昭和56年より)
     


仏願寺(宝来4-3-27)の阿弥陀石仏
舟形光背をつくり、前面に蓮華座上に立つ像高125cmの来迎阿弥陀如来を厚肉彫りする。仏願寺正門前の小堂に安置されている。頭部は、螺髪を丁寧に刻み出す。肉髻は低く、お顔は写実的で、少年の様に無垢な表情をしている。鼻部が欠けているのが惜しい。阿弥陀と同じ石から彫出された、単弁蓮華座(幅63cm、高さ13.5cm)をもつ。
(河合哲雄「石仏と石塔!」サイトより)

建物
    


阿弥陀石仏
      


その他石造物
    


古跡伏見崗(尼ヶ辻北町)の尼ヶ辻阿弥陀石仏
鎌倉時代後期、花崗岩、高さ約200cm。舟形光背をつくり、前面に蓮華座上に立つ像高152cmの阿弥陀如来を厚肉彫りする。頭光に単弁蓮華文を刻んでいる。衣文は、きわめて写実的に彫られ、来迎印を結ぶ手の表情も巧みに彫出されている。奈良を代表する阿弥陀石仏の一つといえる。頭部は、螺髪を丁寧に刻み出す。お顔は、ふくよかで雄大、西方極楽浄土から迎えにくる阿弥陀如来にふさわしい。
(河合哲雄「石仏と石塔!」サイトより)

建物と現地説明板
     


阿弥陀石仏
      


福徳地蔵菩薩
   


市文 尼ヶ辻地蔵石仏(四条大路5丁目)
交差路の片面に地蔵堂があって、縁切り地蔵と呼ぶ鎌倉中期の優れた石仏が安置されている。(中略)
石質は俗にカナンボ石と呼ぶ黒色の硬石で、総高2.1m、像高1.7mで、高肉彫に造っている。右肩から左ひじにかけての折損があるが、ほぼ完全な石仏である。右手を下げて錫杖を持たず、掌を外に開き与願印を示している。いわゆる古式の地蔵と呼ぶ形式与願印とは、一切衆生の願いや、求めることをかなえ、与えるという意味をあらわす。左手の宝珠は地蔵尊のシンボルで、如意宝珠といって、意のままに一切衆生を救うという不思議な宝珠。面相はやや面長で、切目が長く、柔和相のなかに鎌倉期独特の力強さを感じさせる美しい顔である。
(清水俊明「大和の石仏」昭和56年より)

建物と現地説明板
   


地蔵石仏
      


二条辻地蔵堂(二条町1丁目)の地蔵菩薩
地蔵は総高1.9m、像高1.4m。地蔵を丸彫りに近い彫出しで作っている。錫杖のもち方は、
先の極楽寺石仏と同じで、それを参考にしたとも思われる。実に丁寧な作風で、写実的で温和な面相、優れた容姿は、鎌倉時代の作風をよく伝えている。
(清水俊明「大和の石仏」昭和56年より)
          


堂横の弘法井戸の所にも天文十六年(1547)の板碑石仏があって、中央に不動、その上に釈迦と師、下方に弥陀と地蔵を配した五尊仏。室町時代の不動を中心とした四方仏を表現したもの。
(清水俊明「大和の石仏」昭和56年より)
     


極楽寺(法華寺町648)の地蔵石仏
赤味をおびた荒い質の花崗岩で、長年雨風にさらされだのか磨滅がひどく、その上首の部分が折損している。痛み傷ついた石仏だが、弘安二年(1279)鎌倉中期の年号のあることと、大形である所から注目されてきた。石高さ2.42mを光背形に作り、像高1.8mの立像を半肉彫りする。錫杖を光背面に直立して立て、右手首をひねって杖をにぎる所が特徴。荒作りのなかに豪快な味わいを見せた石仏である。
(清水俊明「大和の石仏」昭和56年より)
       


その他石造物
    

 


February 29, 2020 野崎順次 source movie


若草山東南麓の春日山遊歩道の入り口から吉城川の上流、水谷川沿いに遊歩道を歩く。太いツタのような枝がのたくりまわる原生林である。
    


少し行った左手の上に六角形の石柱の頂部に如来の東部を丸彫りした「洞の仏頭石」がある。室町中期、花崗岩。他に類がない形式である。その横に倒れたままの板状石に薄肉彫りされた「洞の地蔵石仏」がある。鎌倉中期、安山岩。
               


若草山山麓に戻る。閉山中で近寄れないが、中の小さな祠の横に大きな自然石に等身大の地蔵菩薩が彫られている。「若草山線刻地蔵石仏」室町後期、安山岩。近世では秀作である。
      


正倉院の裏を進み、奈良奥山ドライブウェイの手前を左に上がると、天然記念物「知足院ナラノヤエザクラ」で有名な知足院の山門が見える。本堂の裏山に大和最美の定評があるという五輪塔がある。このあたりはまったく人けがない。ところが、本堂の上は崖崩れと金網のフェンスで行けない。庫裡の方へ戻り、大きく右に回って道なき道を進んで、やっと石塔群らしきものが見えたが、再びフェンスがあって行けない。元に戻り、山門の左側から回り込み、いったん下ってから登るとやっと石塔群にたどり着いた。
    


「知足院五輪塔」室町中期、花崗岩。風・空輪を失っているが、地輪の作りが見事で、温和な五輪塔である。
                     


その他の五輪塔など
                


転害門近くの浄国院。「浄国院弥陀石仏」鎌倉中期、花崗岩。正面いっぱいに二重光背形を深くほりくぼめ、来迎相の弥陀立像を厚肉彫する。
             


境内には石仏が多数まとめられている。
                         


次は聖武天皇皇太子で満1歳の誕生日前に夭逝した基王の墓と言われる那富山墓である。法蓮佐保山三丁目のバス停から少し北へ歩くと左手に小山があり、頂上に那富山墓がある。現状は径11 x 7.8m、高さ1.5mの小円墳で大黒ヶ芝古墳とも呼ばれている。
    


この周囲に隼人石という石彫が4個あって、それぞれに頭部は動物、体部は人身といった奇妙な像が線彫りしてあるそうだ。外から何とか見えるのは1個だけだ。頭はネズミで、体はふんどし姿である。古墳末期の作という。
   


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