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奈良県桜井市 忍阪
(Ossaka, Sakurai City, Nara Pref.)

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優美な三尊石仏と静かな陵墓谷
 Nature
 
 
 Water     
 Flower
 
 
 Culture
 
万葉歌伝承地
 Facility
 
 Food
 

September 27, 2015 野崎順次 movie

私たちが住む『忍阪(おっさか)』は、神武東征のおり大和平定の重要拠点として古事記・日本書紀に記され、また千数百年前に造られたとされる国宝・人物画像鏡に印刻されている「意柴沙加宮(オシサカノミヤ)」の地名でもあります。
 
和歌山県橋本市の隅田八幡宮所蔵のこの鏡に『癸未年八月、日十(ひそ)大王の年(世)、男弟王が意柴沙加宮にいます時、・・・』とあり、この癸未年を443年とすれば、大王は允恭天皇の事となり、「意柴沙加宮」は皇后である忍坂大中姫のオシサカと同じことになり、意柴沙加・・・オシサカ・・・忍坂・・とつながっていくのです。また、「日本書記」の允恭紀には、忍坂大中姫の名代として忍坂部(おつさかべ)を定めたとあります。「刑部」と書いてオサカベと読むのは、忍坂部がいわゆる刑部(訴訟・軍事)に関係したからとも・・。

また、古より、恩坂、押坂、忍坂とも表記され、「おさか」、「おっさか」と呼ばれてきた歴史ある地名で、現在は一般的には「忍阪(おっさか)」と読んでいます。オシサカのオシは、忍海(おしみ)、押熊(おしくま)のオシと同じく『大』を意味し、「大きい坂」を現しているとも・・・。確かに宇陀ケ辻から女寄峠までは、登り坂が続きます。

忍阪は、神武東征の伝承の舞台としても古事記や日本書紀に登場しています。この当時、「忍坂」とともに『大室(オムロ)』という地名も載っています。村に残る明治時代の地籍図にも、「大室(おむろ)」が「ハソ谷」の隣に示されています。今日では、その地は近鉄朝倉団地の一部となっていますが、近年、「大室町(おおむろちょう)」となり、小字名として復活しています。

(忍坂の風ウェブサイトより)

パンフレット

     

奥の谷へ

    

舒明天皇押坂内陵、わが国初の八角墳

          

さらに上ると奥の谷に入る。井上靖、犬養孝など文人が愛した風景と静けさである。ただし、この日は草刈り機が稼働中だった。

            

鏡女王押坂墓、円墳

        

それから

    

大伴皇女押坂内墓、円墳

               

戻る。

                      

石位寺、無住のお寺だが、白鳳時代の「伝薬師三尊石仏(国重文)」が安置されている。事前に桜井市役所に予約して拝観した。写真撮影禁止である。40年ぶりに拝観したが、その美しさに息をのんだ。どうして国宝にならないのか不思議である。また、世話をされている忍阪の人々に頭が下がる。

            

石井寺の石造物、南東部石碑群

       

北西部石造物群

        

この石も曰くありげである。

    

神護石、町中にある謎の大石、地元では「ちご石」と呼ぶ。

        

忍阪の町並み

                        

路傍の石仏

         

近傍の棚田

           

女郎蜘蛛

     


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