MONTHLY WEB MAGAZINE June.2011

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5月の新着情報
New contents in May. 2011




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トピックス
Topics



■九州中国隠れスポット 瀧山幸伸

高速道路の割引も終わりそうだし、ということで、春の連休を利用して九州を回ってきました。
5月の新着情報に掲載した取材地の中で、総合点でおおよそのお勧め度は理解できますが、「団体観光客は行かないだろう」と思われる、「こだわり人間」向けの隠れおすすめ地点をピックアップしてみました。

虹の松原は、日本に残る数少ない天然記念物に指定されている松原です。陸前高田だけは撮影を逃しましたが、他は全て撮影済です。この日は雨模様でしたが朝の雰囲気が伝わってきます。松原越しに見る唐津城も優美で、ぜひ歩いてみてください。
旧唐津銀行は、東京駅や日銀本館を設計した辰野金吾の弟子、田中実が設計した建物です。辰野は唐津出身なので、しがらみがあって武雄温泉館の設計はいやいや引き受けたのでしょうが、唐津銀行は他で忙しく、監修ということにして弟子に任せました。
棚田好きには、蕨野の棚田が重要文化的景観に指定されましたが、大浦のほうがいろは島とセットで美しく感じられます。
離島の寂れた街並を楽しむには、平戸から的山(あづち)大島へ向かい、クジラ漁で賑わった神浦が良いでしょう。すれ違う人皆やさしく言葉をかけてくれます。呼子にもクジラ網元の屋敷はありますが、俗化して騒々しいです。
佐世保市の御橋観音は、信仰の場ですから信仰心の無い方にはおすすめしませんが、もし大自然の治癒力というものをお求めならば、ぜひ。同じ自然の橋でも帝釈峡の雄橋よりも感動しました。
国見の神代は、小さい街並ですが生垣や庭の風情にほっとします。
諫早市小長井のオガタマの木は、過去に切り倒されて家一軒建てられたほどの巨木だったそうですが、ひこばえが巨樹に戻っており、生命力を感じさせます。1円貨幣に登場するオガタマの木だからこその生命力なのでしょうか。
大村の大村家墓所(本経寺)は、キリシタン大名家が仏教に改宗してからの墓所ですが、キリシタン時代の名残があちこちに埋め込まれているように見えるのは私だけでしょうか。
竹田の白水ダムは農業用のため池ですが、堰堤の造形美に感動せずにはいられません。時間を忘れます。
大野市の緒方宮迫磨崖仏、団体は訪問しないでしょうし、訪問してほしくないですね。西と東がありますが、西が良いです。
「日本のマザーテレサ」と言われた日野俊子さんが診療していた由布市の旧日野医院、湯布院に宿泊し贅沢を堪能する方は贖罪の意味も込めて訪問すべきでしょうね。温泉地を楽しむなら、湯布院でも黒川でもなく、長湯でしょう。
九州には美しい石橋がたくさんあります。霊台橋通潤橋よりも美しいですし、名水百選に指定されている竹田の湧水と石橋を巡る旅も楽しいです。
黒木瞳の出身地、黒木のフジは盛りでした。天然記念物のフジの中では特に優美とはいえ、似たような写真をこんなにたくさん撮影することになろうとは。ビデオでは、ゆらゆゆらりと揺れるフジの下で地元の人々のくつろぐ姿が素敵です。
帰途訪問した岡山県高梁市の備中松山城、城好きにはたまらないでしょうね。これで国宝重要文化財に指定されている城は全て収録されました。
同じく高梁市の吹屋は昔懐かしい「べんがら」を生産していた鉱山町です。映画「八つ墓村」を観た人には懐かしいかも。ここは、ある雑誌向けに詳しく書く予定です。

以上の地点に共感するあなたは、世間から「かなり変人」と思われているでしょうが、実は「かなり通人」です。安心して仲間になりましょう。



■ 去年の5月 大野木康夫

今年の5月は、桂離宮、仙洞御所、葵祭、修学院離宮と、大量の撮影をしましたが、後半は雨にたたられ、青もみじの写真が溜まりませんでしたので、去年の5月を振り返ってみたいと思います。
去年の春ごろから、重要文化財の建造物を撮影するようになり、近辺を回り始めました。
まだカメラもカシオのコンデジで、指定建造物のみを撮影して回るという昆虫採集のような行動を繰り返していました。
そんな2010年5月に撮影した写真の中から主なものを拾ってみました。

2010年5月2日

家族で奈良に行きました。目当ては聖武天皇祭で公開される東大寺本坊経庫です。
平城遷都1300年祭で賑わう中、公開されている本坊に入る人は少なかったです。
各所に立てられている旛が印象的でした。



古文化保存協会の春季特別公開
2箇所が撮影可能でした。

2010年5月5日 冷泉家

2010年5月8日 聖護院

2010年5月13日 東寺
灌頂院の木が刈り込まれて、建物がよく見えます。

木津川市の石塔も撮影していました。

2010年5月15日

千日墓地十三重塔

長尾共同墓地五輪塔

2010年5月22日

天神社十三重塔

2010年5月16日
新緑の嵯峨野に行っていました。

2010年5月21日
平日の早朝、草津の神社は朝霧の中でした。

伊砂砂神社

老杉神社

志那神社

2010年5月22日
新緑の西教寺に行きました。

2010年5月29日
早朝に大津の不動寺に行きました。
懸崖造の本堂は撮影が難しかったです。

コンデジなので、撮り直そうと思いますが、なかなか行けません。




■ 那須御用邸の森 田中康平

那須御用邸の森が一般解放されたので、開園後1週間目に行ってきました。森はふれあいの森と学びの森に分かれ学びの森は有料(一人3000円)のガイド付きでしか入れません。今回はこのガイド付きコースを予約して参加しました。
当日は小雨でしたが雨の森は美しく好きな眺めです。3kmほどのコースを15人にガイド2人で歩いていきます。ミズナラ主体の普通の栃木の森ですがキビタキの声がずっと聞こえ続けそれにツツドリが混じる雰囲気はなかなかのものでした。途中清森亭というあずまやで休憩しますが、天皇にお付のものがお尻を向けないように微妙な椅子の配置がしてあります。昭和天皇は年に40日も訪れたとのことでした。下りきるとタクシー乗り合いで戻ることになります。ちょっと贅沢な散策です。




■ 京都にでかけてきました 川村由幸


東日本大震災があり、旅行にでかけることに一抹のうしろめたさを感じてはいましたが、早く平常の暮らしに戻るべきだと言い訳して京都にでかけてきました。
今回の京都旅行の主目的は伊根の舟屋と美山のかやぶきの里です。
もちろん、京都市内のお寺もいくつか廻りました。青もみじの京都もよいものです。
通信員皆さんの中には関西在住の方が多く、つまらない観光コースとのご指摘をいただきそうですが、今回の旅行のコースを画像を交えて紹介します。

スタートは京都市内、詩仙堂からです。



5/25の訪問ですが、すでにさつきも終りかけで花も少なく美しい情景の一つを見逃しました。
それでもよく馴染んだ建物とお庭は心を和ませます。
ここから、つぎの銀閣寺まではバス移動です。
京都のバスは本当に便利でタクシーに乗る必要がありません。



世界遺産の銀閣寺、お庭を一周し、高見からの銀閣も周囲の木々とよく調和し見応えがあります。
ここには、東求堂という国宝もあります。銀閣も含め一度は内部を見てみたいと思います。
銀閣から哲学の道を歩いて永観堂に向かいました。哲学の道は植栽保護のため、歩けなくなっている箇所が多くありました。



もみじの永観堂と言われる通り、秋がこの寺のハイライトでしょう。
みかえり阿弥陀に手を合わせ、中腹の多宝塔を眺めてきました。京都では大きいほうの寺でしょうね。



それにしても南禅寺の三門は巨大です。重要文化財の指定を受けています。
石川五右衛門を気取って三門に登楼しました。
初日はここから京都駅でレンタカー借り、亀岡に投宿。
そこから丹後半島に向かいます。



日本三景の天の橋立、東側からの雪舟観、南側からの飛龍観の両方を楽しんできました。
松喰い虫による松の立ち枯れ、砂浜の減少と天橋立も満身創痍です。
丹後半島を先に進んで、今回最も楽しみにしていた伊根に向かいます。


伊根では、伊根湾を一周する遊覧船に乗船して海岸線に沿って、びっしりと立ち並ぶ舟屋を見学しました。
海に向かって小さな間口の舟屋が並ぶ景観は独特なものです。
この後、高台にある道の駅に向かい、伊根湾全体を見渡しました。

翌日は美山町まで朝一番のロングドライブ、高速が終わった後は山道でいささか疲れました。


美山かやぶきの里はもちろんのこと重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
白川郷ほどの規模ではありませんが、五箇山菅沼集落よりは大きいと思います。
日本の農村の原風景が残っています。テレビアンテナは無かったようですが、電柱電線はかなり撮影の邪魔になりました。
この後京都市内に戻り、高山寺へ、ここでは堂内撮影禁止でもありほとんど写真を撮りませんでした。
最後に嵯峨野に降り、常寂光寺へ。


ここの多宝塔を最初に観たのは20才代前半だったと記憶していますが、それ以来、なぜかこの塔が好きです。
小雨の中でしたので歩くのにも限界があり、つぎの祇王寺を最後に京都駅に向かいました。


祇王寺は暗くて、フラッシュ無し・三脚無しでしたので、ブレた写真ばかりでした。
でも苔と木々の作り出すお庭は感動物です。
新幹線で帰京。京都駅の伊勢丹の地下で「獺祭」が売ってました。
こいつを仕込んで一杯やりながらの新幹線は幸せでした。もちろん仲間と一緒でしたが。

観光ガイドのようなweb-magazineになってしまいました。
今回の取材(旅行)の内容は近々、UPさせていただきます。よろしくお願いします。


■ 武蔵国分寺跡 酒井道夫

 72歳の老人にとって、一日一万歩のノルマを達成するのは容易なことではありませんが、それでも近頃は徒歩による行動範囲がかなり拡大されました。
 昔、もう半世紀も以前のことになりますが、大学の考古学研究室で発掘の人足を募集しているのに応じて、武蔵国分寺の脇に位置する国分尼寺の発掘に駆り出されました。
 自宅から、この辺りを経て、国分寺金堂跡まで行って帰ってくると、それでやっと一万歩散歩が達成されます。
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■ 下呂富士と湯ガ峰にかかる雲 中山辰夫

孫たちの来襲でクタクタに疲れた連休直後、郡上八幡と下呂温泉に出かけました。雨が止んだ二日目、郡上八幡、馬籠宿、恵那峡と巡りましたが、訪れた所が間違ったのか残るものが何もなかった感じです。
下呂の“湯”は単純アルカリ性で、肌に優しくツルツルスベスベ感が味わえ、ゆっくり息抜きできました。

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■ 福知山線脱線事故を思い出して 野崎順次

2005年(平成17年)4月25日午前9時19分頃、JR福知山線脱線事故が起こった。死者107名、負傷者562名の大惨事であった。

福知山線は大阪(大阪府)から、尼崎・宝塚・篠山口(いずれも兵庫県)を経て、福知山(京都府)至る。事故が起こったのは尼崎駅の近くで兵庫県内である。大阪駅から約9km、宝塚駅から約16kmの地点だから、福知山とは全く関係ない。宝塚・大阪間は朝夕多忙な通勤区間で、一般に宝塚線と呼ばれている。宝塚方面から来た電車は尼崎で、東海道本線(JR大阪駅)に行く場合と、東西線(学研都市線)に行く場合に分かれる。事故を起こした電車は東西線行きであった。先頭車両が脱線して、線路沿いのマンションに激突し、死者と重傷者は1〜2両目に集中した。ちなみに、私は尼崎市在住で、尼崎駅から東西線で通勤している。通勤時間は事故車両より20分位早いし、事故地点は通らない。でも、比較的身近な出来事だった。間接的な知人(妻、娘、息子の知り合い)が亡くなられたり、肉体的精神的後遺症で苦しんでおられる。また、最初に現場に駆けつけて救助活動をされた人の話(凄まじい)も、間接的に聞いている。

事故後55日ぶりに宝塚・尼崎間が復旧し運行が再開された。さて、その日、尼崎で宝塚方面から来た電車に乗り込んで驚いた。先頭車両にはだれも乗客が乗っていない。2両目は3〜4人だけだった。3両目以降は満員に近い状態だった。大地震の後の余震ではあるまいし、同様の事故が起こると云うのか。事故の報道をテレビで何回も見て、何となく先頭車両近くを避けたいという気持ちが分からないではないが、あまりにも稚拙な感情的な判断である。たたりとか、迷信の世界ではないか。私たち日本人は個人的には恥ずかしいことをしたくないと云う倫理に拘束されるが、集団になると付和雷同する。

2日目も同様だった。3日目あたりから1〜2両目に乗る人が増え始め、1週間後にも元に戻った。忘れやすいのも私たちの特性である。

その昔、「週刊東京」1957年2月2日号に評論家大宅壮一氏が書いた評論から引用したい。一億総白痴化という言葉が生まれた。54年前の発言だが、未だに新鮮である。

「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い。」

テレビというメディアは低俗な情報ばかり提供して、視聴者の思考力や創造性を大きく阻害するということである。

論理は飛躍するが、先頭車両に乗らないのは、テレビ(マスコミ)による感情操作に影響されたからだろう。高い視聴率を取るためには大衆の最も卑しい感情に訴えるのが常套手段である。毎日、激突した車両を何度も何度もテレビで見ていると恐怖感が定着する。私たちの多くは理性ではなく感情で行動する。

今回の東日本大地震でも、私たち個人は東北の食品や観光地の安全性に理解を示すが、全体としては風評被害を促進する。ゴールデンウィークに倉敷と京都に行ったが、例年になく観光客が多かった。東日本の観光地へ行く筈の人々が西に流れてきたのだろう。という訳で、最近の東日本大震災の報道に腹立ち悲しみながら、福知山線脱線事故を思い起こしている。

■ 看板考 銀座三原橋近く 柚原君子

「途中入場できます」

今時の映画館は座席の予約をしてから出かけるのが普通。そのシステムのない映画館は開始時間前に行くと通路や階段脇に並ばされる。並んでいると分厚い扉の奥から音楽が漏れてきて、クライマックスの盛り上がり感が伝わってくる。いづれにしても入れ替え制なので途中では入れないようになっている。それなのに、<途中から入れます>の看板を銀座三原橋地下道の映画館で見た。へぇ、今時珍しい看板!思わず写真を撮ってしまった。三原橋の下が通路になっていて飲食店や床屋さんや映画館があるなんてそれだけだって珍しいのにね。しかし閑散とした様子でした。 続きを読む



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Japan Geographic Web Magazine
編集 瀧山幸伸
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