MONTHLY WEB MAGAZINE Dec. 2012

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■■■■■ 時代を遡りながら西へ旅する 田中康平

 

このところ毎年暮れはクルマで北関東から走っていって九州の家で過ごすことにしているが今年はやや早めに12月の頭から移動を始めた。

勤めを終えて自由になったこともある。まだ上信越道の雪も大したことはあるまいと北周りの金沢を経由して行くルートで計画していたのだが、今年は寒さの到来が早い。

出発5日前になって上信越あたりがかなりの吹雪になることが見えてきてこれは無理かと金沢はあきらめた。かといって京都は紅葉で宿が殆ど取れず、結局去年と同じような奈良経由とした。

新東名も初めてだし東京さえ無事に抜ければ南回りも悪くない。新東名に入るとクルマの流れは順調だが海も見えずこの日は富士山も雲の中で景色が悪い。どこを走っているかよく分からず なんだか中国道のような雰囲気がある。サービスエリアは趣向を凝らしているが走る楽しみは何処か物足りない。飛ばすことに楽しみを見出しているクルマに時折抜かれるが、決まって覆面につかまっている。スムーズな移動のための機能は十分果たしているので不満に思うほうが贅沢なのだろうがなにか足りない。キラキラするものがない。文化的でないという感触はこういうことを言うのだろうか。

人工的で迫力のある名古屋湾岸辺りに来て元気のあったつい先ごろの現代を感じながら、四日市の先から25号線で天理に出る。

思ったよりも順調にきたので南に折れて直ぐ近くの石上神宮(いそのかみじんぐう)に行って見る。

記紀に記されている古い神社だ。現存の拝殿は鎌倉期の建立となって国宝だがあまり古さを感じない。奈良にくるとこれくらいは普通のようにも思える。更に古い時代の痕跡を求めて山之辺の道沿いに下り巻向に向かう。

巻向では古代都市の遺構がいくつも発見され邪馬台国ではないかといわれるがその論拠の一つの箸墓古墳を訪れてみる。

宮内庁管理で立ち入り禁止だから外観だけだが、3世紀にしては恐ろしく大きい。住宅街に小山のように迫っている。結構な土木技術だ。卑弥呼の墓といわれればそうかもしれないと思える。

横へ移動しながら時代を遡っていく、千数百年でもこれくらいのことかと思えてくる。進歩しているがまだまだ序の口なのだろう、今後1億年は続くかもしれない人類の歴史は始まったばかりといってもいいのだろう。

なにか行き詰まっているように見える現代も先の先を見渡せば大した滞りでもないのだろう。

旅することは少し目を開いてくれるように思えてくる、そんな感触がいい。

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