MONTHLY WEB MAGAZINE July 2013

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6月分の新着

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トピックス

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■■■■■ 初夏の北海道 〜利尻礼文と天売島 瀧山幸伸

初夏の北海道はどこも素晴らしいですが、礼文島は花の最盛期です。天売島は世界トップクラスの野鳥の楽園で、ウトウの大群が見学できます。

ということで、5日間の駆け足旅行ですが、6月末に行ってきました。世界自然遺産に推薦したいですね。


■■■■■ 博多山笠 田中康平

博多の夏の祭りといえば、山笠だ。

江戸時代から続く祭りで、現在は博多人形師の手になる飾り山笠とかき山笠の2種類あり、かき山笠は7月15日に櫛田神社を出発して決められたコースをタイムを競って走る追い山に用いられる。

追い山が終わると博多の街に夏が来ることになっているが、今年は梅雨明けが随分と早く、飾り山の期間(1日−14日)の半ばにして既に夏が来てしまっている。こんなこともある。

まずは飾り山笠だ。50年ぶりの山笠を見ることになった。

昔の記憶とほとんど変わらぬ山笠が眼前に現れる。

山笠巡りの企画に乗って博多駅から中州近辺の6基ほどの山笠を歩いて回る。

いくつか見るともう十分という気がしてくる。

結構市内に拡散していて、13基全部を廻ることはあまり現実的でない。近くの数基を見れば満喫した気分になる、そんな風に仕掛けられているのかもしれない。

駐車場がそれぞれにあるわけでもなく、そうかといって全部を歩いて回るのも無理な距離だ。

出し物もいくつかの山笠で同じタイトルとなっている。

大体が大河ドラマや歌舞伎の名場面か福岡に関係する出し物で、今年は黒田官兵衛ものが目に付く。来年の大河ドラマだ。

他にサザエさんも2つばかりでている。

福岡は長谷川町子が育った場所でもあり、サザエさんの連載を開始した場所でもある。地元のローカルな祭りという姿も50年前と同じだ。

飾り山笠は高さ13m位もあって堂々として登場人物もよく作られている。

展示後大半は壊してしまうのがもったいない。

同じようなものが毎年どこか変わっていく、巡る季節の移ろいのようなところもいいのだろう。

歩きつかれたところでリバークルーズが用意されている。

川風に吹かれてのんびりと博多の街の夕暮れを見ていくのもまた心地よい。

飾り山笠そのものには昔もどこか退屈なところがある感想を持っていたと思い起こされるが、年が過ぎてまた見直すとそれもいいじゃないかと思えてくる。

存在するだけで博多の夏を感じさせる、そんなものなのだろう。


■■■■■ 川村由幸

栃木県益子町 綱神社

6月に真岡市の専修寺と益子市の重要文化財を投稿しました。

この中で益子町の綱神社には忘れられない思い出があります。

実はここは2度目の訪問で1度目の訪問の状態は2010年2月のweb-magazineで報告しています。

その時はなんと綱神社の屋根にブルーシートがかかっていたのです。

ここにはもう一つ重要文化財の大倉神社の社もありますが、これも厳しい荒れようでした。

それが今回の取材時には両社ともに修繕がされていました。

大倉神社もきちんと修繕され、前回とは見違えるようでした。

修繕は2010年7月〜11月間に実施されたようです。

2009年2月から雨漏りが始まったようですから、1年半はブルーシートに覆われていたことになります。

内部の状況は確認できませんが、外観は雨漏りのための特別なダメージはないように見えます。

今後はブルーシートなどを掛ける前にきちんと修繕されることを望むばかりです。

2010年2月のweb-magazineでも修繕後の取材を約束していましたので、その念願も叶えることができました。

これからも文化財の取材は続くと思います。できればこのような事例に2度とはめぐり合いたくありません。


■■■■■ 福岡県 四王寺山と大野城 末永邦夫

今回は、四王寺山を散策し、古代山城の大野城の遺蹟をまとめましたので報告します。

いつもは宝満山ばかりに足を向けており、横目に眺める山が四王寺山でした。

古代山城の大野城を知るため、四王寺山の三十三石仏を調査されている四王寺山勉強会の方たちの案内ルート調査に同行させてもらい、今回の報告をまとめることができました。

四王寺山と大野城はあまりにも身近すぎて、知っている様でその奥深さは今回、勉強されている方たちのご指導を得るまで気づきませんでした。

宝満山が山として今年中に国指定史跡の候補にあがっています。

山全体が史跡指定になるのは珍しいそうです。

大宰府政庁を中心とした史跡について、丹念に記録して行きたいと思っています。


■■■■■ 今日のこと 野崎順次 

昨日もいろいろあった。小中学校の同窓会幹事会に代理出席した。前同窓会長が同窓会費数千万円を着服し、懲役5年で服役中である。それとは別に、学校は閉校になる。新たな卒業生がいないと同窓会の定期収入がなくなるので、さらにお金がない。ノーベル賞受賞の卒業生もいるから、助けてもらえばと云った短絡的な話ではない。大変である。幸い、私は友人の幹事の代理出席だから、ストレスは少しまし。

今日は月に一度、倉敷市の田舎の家に行く日である。途中で瀬戸駅近くの文英石仏と倉敷の写真を撮るつもりである。

朝、いつもより早く起きた。休みの日は早く起きてしまう。小学生の頃の遠足の日と同じである。大きめのリュックサックにカメラと三脚、パソコンなどを入れたが、どうも右ひざの違和感と云うか痛みが完治していないので、重すぎるようである。交換レンズを減らし、小さめのリュックサックに入れ替える。右ひざに湿布をしてサポーターをはめる。

インターネットで今日の天気予報を見ようと思っていたが、忘れた。2,3日前に見た時は「曇り時々晴れ」だったようだが、念のため、軽量傘を持っていく。これがよかった。今日は晴れと大雨が3回繰り返した。

瀬戸駅にいくので、新幹線は使えない。JR立花から普通、芦屋から新快速、姫路から普通、相生から三原行き普通を乗り継いで昼前に瀬戸駅に着いた。ここから、目的地の常楽寺は約4kmだが、幸い、駅前タクシーがあって、1260円で着く。1時間後に迎えに来てくれと頼んでおく。

天気はカンカン照りである。山腹の小さなお寺だが、本堂、庫裡に加えて、鉄筋の信徒会館のような建物があり、なかなか栄えているようである。インターネットで調べた資料によれば、その石仏は石垣の前に並んでいるので、直ぐに分かるかと思ったが、なかなか見つからない。本堂や庫裡の周辺には無く、少し奥の山裾でやっと見つかった。大半の石仏は草で一部が隠れているので、草を抜いてから撮影した。小ぶりながら表情豊かな石仏が多くて嬉しかった。しかし、低位置で撮影すると膝にこたえるし、動くたびに汗がぼたぼた落ちる。

帰りのタクシーの運転手さんは歴史好きで、近くの国史跡「大廻小廻山城跡」の話をしてくれたが、文英石仏についてはご存じなかった。常楽寺は檀家が多いそうで安堵する。

瀬戸駅で岡山行き普通を待っている時に妙に涼しくなったなあと思うと雨が降り始めて、それが豪雨となり、岡山に着くまで続いた。岡山から倉敷の電車の中で、西と北の空が明るくなり、雨がやんだ。

倉敷駅では曇りであった。美観地区に行く途中で再び激しい雨が降り始めたが、幸い、アーケード街を歩いていたので濡れなかった。

雨が上がり、カンカン照りが戻った。倉敷の美観地区は電線地中化が進行中で、特に3番目の写真は電信柱が無くすっきりしている。

私の好きな通りは大原家の裏通りである。表通りや川沿いにあんなに人がいるのに、ここだけは真空地帯であることが多い。漆喰壁の幾何学的なパターンがよい。ガラスブロックもよい。

突然、豪雨がやってきた。レンズが濡れるので、首にかけた汗ふきタオルで拭きながら、撮影する。雨が直ぐにはやみそうもないので、川べりに移動し、雨宿りの人々を撮影した。

やっと雨が上がり、地ビールをはしごしてから、バスで児島に行った。

田舎家に着いて、裏庭を見るとツタ系の植物でジャングルの様である。小型焼却機もほぼ隠れてしまっている。そのジャングルの一部が妙に見通しがよくなっているので、よく見ると隣家との間の土塀が倒れてしまっている。

うちの塀で百年くらい前に建てたものらしい。明日、隣家に謝って、塀の再建を考えねばならない。明日もいろいろありそうである。


■■■■■ 苔と水 大野木康夫

「苔寺」こと西芳寺は私が中学生だった昭和52(1977)年から、事前申込みによる少数参拝制に移行しました。

それ以来訪れていなかったのですが、この6月に30数年ぶりに参拝しました。

訪れたのが土曜日の午前10時からの参拝で、本堂にあたる西来堂での読経及び祈願を行ってから庭園へ案内していただけます。

私は左膝の靭帯を損傷していましたが、なんとかなるだろうと読経の間は左脚をのばして座布団に座っていたところ膝が痛んできて我慢できなくなってしまい、お寺の方に気を使わせる事態になってしまいました。

無理をせず、初めから廻廊の椅子席に座っていればこんなことにならなかったので、少し反省しています。

西芳寺は世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産になっています。

宗教行事が終わり、10時30分くらいから庭園に案内していただけます。

この回の参拝者はおよそ200人、庭園の狭い通路で固まって移動することはできないので、庭園入口でお寺の方の説明を聞かせていただきながら人がいなくなるのを待ちました。

だいたい11時頃にはどなたもいらっしゃらない状態になったので、ほぼ無人(対岸にはおられるので時々写真に写りこんでしまうのですが)の庭園をゆっくり撮影しながら回ることができました。

重要文化財の茶室「湘南亭」

梅雨時で苔が緑濃くなっており、心字池に映える浮島やビロード苔のでこぼこ模様は大変美しく思えました。

池を一周してから「向上関」という門をくぐって、夢想疎石作庭の枯山水庭園(苔に覆われていますが)を見学しました。

創建時の瑠璃殿が聳える豪奢な禅宗庭園も見てみたい気もしますが、一時荒廃した影響で木々や苔に覆われた今の庭園も大変趣があります。

夕方の閉門まで拝観することができますが、午後の参拝が始まる13時の前に門を出ました。

ゆっくり拝観することができたので、大変満足しています。


■■■■■智積院の青葉まつり 中山辰夫

6月16日は弘法大師・空海の誕生日で、お祝いの行事が毎年、善通寺や高野山および各寺院で開催されます。

特に高野山では、高野山一の瀬から金剛峰寺迄の約2㎞の距離を、参拝者や観光客も加わった1500人程の「花御堂渡御」が埋めるようです。

京都東山七条にある智積院の青葉まつりも、真言宗の宗祖・弘法大師『空海』と、中興の祖・興教大師の誕生を祝うお祭りです。

因みに空海は、774(宝龜4)年6月16日、興教大師は、1005(嘉保2)年6月17日が誕生日です。お二人の生まれつきが6月で、緑の美しい季節のため、このお祝いを「青葉まつり」と称しているようです。

新緑に囲まれた境内では、慶祝法要や柴燈(さいとう)大護摩法要、雅楽の奉納などが行われます。また、長谷川等伯一門による国宝の障壁画や名勝の庭園が無料公開されます。

午前10時前に、本坊玄関から金堂に向けてお練り行列が始まります。先頭は、法螺貝を吹きながらの山伏の方々です。

山伏の方々は、一昨日大峯山にて修行されたようです。

カラフルな法衣の僧侶が続き、いよいよ第70代寺田化主(住職)が登場されます。

山伏が両側に分かれ道をあけた中、住職が輿から降りて金堂へ進まれ、本尊『大日如来』が安置されている金堂にて法要が行われます。

桃山時代を代表する絵師『長谷川等伯』一派が描いた障壁画などの国宝を収めた『収蔵庫』も無料開放されます。

金堂での法要が終わる11時からは金堂前に設けられた柴燈護摩(さいとうごま)道場にて護摩供養が行われます。

護摩供養は山伏が中心となって仕切られ、作法に従って行われます。各儀式の始まりは法螺貝の音が教えます。

一切の邪悪が除祓された柴燈護摩壇に火が入り、柴が焚かれます。芳香を放ちながら白煙が天に昇ります。

護摩焚きは人々のご利益を願う法要で、願い事が書かれた護摩木をもやし、燃やされた煙を浴びることでご利益が得られるとされます。

多くの参拝者に届くよう、団扇を煽って白煙を拡げます。

護摩法要の最後は、山伏が、参拝者の鞄や数珠などの持ち物を受け取り、白煙にかざして魔除けを行い、約1時間の護摩法要が終わります。


■■■■■ 看板考 ゆはらきみこ

上昇志向を誘う「三菱カラーテレビ」の看板

私がテレビを初めて見たのは10歳の頃。昭和34年4月10日の天皇陛下ご成婚のパレードを小学校の職員室に一台だけある白黒テレビで観た。

(初期の白黒テレビはお父さんの月給が2万円の時代にその10倍の20万もしたほど高価なものだった。5年で半値の10万ほどになり、この頃にご成婚だったので、これを機に家庭に一気に普及した)。

当時、私の住んでいた田舎の村では、小学校の校庭に大きな幕を張って映画会が催されるのが映像物の娯楽で、校庭に筵を敷いて村の人が集まってくると、中村欽之助の時代劇などが映し出されていた。

子どもにとってそんなものはちっともおもしろくなかったので、映画の写る白い幕の後ろや前に出入りして大人たちに叱られた。

映画会が終了すると懐中電灯を持つ父に手を引かれて家に帰るのだが、漆黒の闇と空に広がる綺麗な無数の星々が降ってくる様に輝いていたのを覚えている。

漆黒の闇も星々もあれよりきれいなものをその後に見たことはない。

そんな映像しか知らない子どもにとって小さな箱に写るテレビという映像にはビックリした。

白黒テレビは一般家庭にも普及していったが、目が悪くなるからと時間制限があったり、ブラウン管からよくないものが出てくるからと、画面にカバーをつけられたりした(実際には白黒のブラウン管から紫外線が放出されている)。

また高価で大切なものだからと木箱に囲われてさらに観音開きの戸がついていたりもしていた。

一家に一台しかないものをみんなで観ていられた昭和の家族のあり方が懐かしい。

その後にカラーテレビの時代へと移行するが、街で見かけたこの看板はカラーというところにそれぞれの色が塗ってあり、昭和の日本が発展していく経済を牽引していた父ちゃんたちが、この看板を横目で見て会社に通った姿が想像される。

「父ちゃんがうーんと稼いで、今にきれいな色が付いたカラーテレビを買ってやるからな!」という父ちゃんの心の声も聞こえてきそう。

庶民の上昇志向を誘っているようで、おもしろい看板である。

(看板所在地 東京都板橋区弥生町)


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Editor Yuki takiyama

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