Monthly Web Magazine November 2014

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■■■■■ 鳥の音を録る 田中康平

サウンド

9月末にプールで泳いでいて右足の膝の辺りの筋肉の肉離れを起こした。

突然右足が動かせなくなった感触だった。

以来暫くおとなしくしている。

無論医者にもかかったが結局は自然治癒を待つほか無いようだ。

秋になると紅葉が気になってもみじを求めてあちこち動き回るのが常だったが今年はそうは行かない。

リハビリが気になってほぼ毎日近くの公園を3つ巡って足を動かしている。

それがその日の唯一の外出になることも何日もある。

一つ目の公園にはカワセミが時折現れる。

辺りが静かな頃合に姿を見せるように思える。

時折写真に撮ろうと一眼レフを抱えて散歩するがそんなときには決まって現れない。

そもそもカメラを向けると飛び去る鳥は多い。

向けられたときの殺気を感じるのだろう。

これとは逆に音を録音している時は逃げない。寄ってくることすらある。

録音したものを後で編集する際に最も気になるのは風の音とかさこそいう雑音だ。

編集で出来るだけ雑音は取り除くのだがその作業が大変で鳥の録音をした後暫く編集はほおって置くことすらしばしばだ。

特に衣服のすれる音は周波数帯が広くてほぼ除去不能だ。

こんな時はその部分全体を消してしまうほかなくなる。

手持ちで録る時は更に手の細かい震えのようなものが伝わってこれも除去が難しい。

そんなこともあり手持ちで音をとるときには人間が発する細かい音を極限まで排除すべく不動の姿勢をとることになる。

自然の中で暫くそんな姿勢を続けていると気配が消えていくのがわかる。

風景に溶け込んでいっているのを感じる。

透明人間が透明になっていく過程とはこんなものなのだろうと思うほどだ。

鳥は人の気配の大半を音で得ているのだろう。

こんなこともあっていい録音ができたと思うときは大抵一人でフィールドに出た時だ。

特に早朝一人でさまよっている時がいい。

鳥をバードウオッチングと称して見ることをここ10年少し続けているが思い返せば鳥の声を何とか聞き分けたいという願望から入っていったような気がしている。

まずは何とか声を録音できないか、というところから始めた。

録音機材は初めはsonyのMDを使っていたが、程なくPCM録音の出来るHiMDを使うようになり、集音もAudiotechnicaのAT822というそれなりのマイクを使って良い音を録ることに気を配っていたが、ちょっと大変だった。

その後SDへのデジタル録音が実用的に出来るようになってきて、ここ5年ほどはsanyoとyamahaの共同開発品の録音機ICR-PS1000を使っている。

録音時間が十分取れるしメディアも当分は安泰だ。

何しろHiMDのほうはもう大分前にメディアが生産中止になってしまっている。今更戻れない。

ともあれ音を録るということそのものではいまひとつでも手軽さには代えがたい。

何しろ望遠レンズ付き一眼レフと双眼鏡を抱え時にはビデオも抱えて録音もするのでは出来るだけ機材はコンパクトにしたくなる。

それっという時に録音機が出てこなくなる。

車の中で聞くCDは自分で録音した鳥のCDばかりだ。

しかし最近は音を録ることに雑になってきた、気持ちが少し薄れてきている。

録った後の編集が重荷になっていることがあるのだろう。

ルーズな生活に慣れ浸ってきたこともあるのだろう。

福岡という飛行機の音がひっきりなしに頭上を襲う地に転居したこともあるのだろう。

いつまで続けられるだろうか、そんなことを思う時もある。

全てを受け入れて、録音できなくても頭の中にそれが残ればそれでいいじゃないか、と思うことにしている。

もはや楽に生きていくほか無いようだ。

添付は小浜島の早朝録音した音。

リュウキュウオオコノハズクではないかと思うがよくは解らない。

解らない声が録音できるのは楽しみの一つでもある。

写真は録音機材。左がICR-PS1000,マイクはAT822、右がHiMD。

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