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Monthly Web Magazine Mar. 2017

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■ 6年が過ぎた東日本大震災を想う 川村由幸

今でも鮮明に記憶に残っています。

激しい地震の時都内で仕事をしていた私は、身の回りに特に被害はなかったものの電車がストップし、元の会社の同僚と都内で一晩過ごし、翌朝やっと動いた電車に無理矢理乗り込み、7時間かけて自宅にたどり着いたのを。

そしてテレビで、仙台平野を真っ黒な津波がすべてを呑み込んで進んでゆく画面や津波の中でも燃えている気仙沼の火災の画面に涙が止まらない時間を過ごしたことを。

今までの人生で自分の無力さをあれほど強烈に認識させられたこともありませんでした。

あれから6年、東日本大震災に心を寄せる人々がすごく減ってしまったような気がしています。

この国の首都ではオリンピックと築地に豊洲で大騒ぎです。復興五輪なんて誰かが言っていましたがほぼ関係なし。

逆にオリンピックの建設ラッシュで建築資材と人件費の高騰で震災復興に遅れが出る始末。

大震災で壊れたコミュニティを仮設住宅でなんとか取り戻したにもかかわらず、住宅再建のできた被災者と今でも仮設暮らしの被災者のコミュニティは再び分断されています。

今でも避難者は123,000人、仮設で暮らす方々は宮城・岩手両県だけで32,700人も居ます。

福島県の一部はそこに住めないのですから、岩手・宮城よりも厳しい現状が続いているのは間違いないありません。

それなのに今度は大阪万博。熊本の被災者のことも少しは考えていただきたいと想うのは私だけでしょうか。

東京オリンピックが決まった時、震災復興の遅れが危惧され、結局その通りになってしまいました。

庭に花火を撃ち込まれ、毅然とした対応も取れず、少し前に頭を撫でられた親分を頼るだけの国のトップ。

そんなトップの任期を長くする取り巻き。私たちの国には国を心から憂い、そして守る政治家はいないのでしょうか。

と怒ってみても、じゃぁ、お前は何をしたのか、できたのかと問われれば沈黙するだけ。

せいぜいできたことと言えば、年に一、二回福島に観光に出かけ少しのお金を使ってくることぐらい。

大言壮語が虚しく響くばかりです。

ただ、2011年3月11日午後2時46分をずっと忘れずにいようと強く想っています。