JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine June 2017

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■おばちゃんカメラマンが行く なんじゃこれ〜 奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観 @島根県奥出雲町 事務局

今回はたたらと棚田の文化的景観についての「なんじゃこれ〜」だ。

5月に訪問したが、日本遺産に選ばれたこと、映画「たたら侍」が封切されたこと等により、地元ではかなり観光に力を入れているようで、メジャーな所はのぼり旗などで飾られ賑やかだった。

奥出雲町、原口・福頼

棚田ののどかな田園風景の間に小さなポッコリ山があり、それらのほとんどが神社や墓で、木がチョンチョンと生えている。 鉄穴(かんな)残丘だ。

奥出雲町、大原新田の棚田

奥出雲のたたら技術は鉄穴流しで始まる。

「奥出雲地方で盛んに行われていた「鉄穴流し」は、山を切り崩して土砂を流し、それに含まれる砂鉄を採取する方法です。

この鉄穴流しは、山を切り崩すことはもとより、大量の土砂を河川に流すことから、流域の環境に大きな影響を与えました。川底が上がり洪水を起こしやすい「天井川」(川底が周囲の平地よりも高くなった川)となることや、流域の農業用水路が埋まることなどは負の側面です。その一方で、先人達は鉄穴流しの跡地を棚田に造成したり、川を流れ下った土砂を利用して新田開発を行うなど、跡地や土砂を有効に利用してきました。」

参考(http://tetsunomichi.gr.jp)

この鉄穴残丘は神社や墓などがあったために削られず今まで残ったものなのだ。

全体ではどの程度削られたかというと、1回のたたらで必要な鉄は14〜15トンで、土砂から1%の砂鉄が取れるとして、その100倍の土砂を流したことになり、斐伊川流域に2.2億平方メートル(東京ドーム177杯分、同HPより)、よくわからないがとてつもなく多量の土砂が流出し、扇状地を作った。

川の流れが変わり、宍道湖を埋め立て、天井川になるほどのすさまじさだ。

流れ出した土砂が堆積したその跡地利用、回りくどくなったがこれが「奥出雲たたら製鉄及び棚田の文化的景観」なのだ。

何となく眺めていたのどかな平野が、たたらにより300年の間に地形を変え産業が変化していったとは、まさに「なんじゃこれ〜」と言うべきものだったのだ。

たたらについては玉鋼や天秤ふいごなど語らなくてはいけない事がたくさんあるが、それは同HPを参照してもらいたい。

たたら関連でも奥出雲町以外、例えば出雲市の田儀桜井家などは案内も少なく行きにくい。また越堂たたら跡はせっかく発掘してほぼ全景が見えたにもかかわらず、私たちが行った1週間後に埋め戻されるという。最後に見られたのはラッキーだったが、文化財的には大きな損失だと思う。