JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Aug. 2019

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■■■■■ Topics by Reporters


鳥海山のあがりこ女王と鳥海マリモ 瀧山幸伸

鳥海山の北側に位置する獅子ケ鼻湿原はいつ訪問しても期待を裏切らない。

駐車場から進むと、「あがりこ大王」ほか日本有数のブナの奇木が林立する。
あがりこは、冬季の積雪時に炭焼き用として地上2,3mで伐採した後のヒコバエによる独特の景観で、自然景観というよりは人の手によって形成された文化的景観だ。
今回訪問したら、「あがりこ女王」なる木への遊歩道が追加されていた。大王と同様、見ごたえのある巨木だ。
 

獅子ケ鼻湿原は、鳥海山の伏流水が「出壺」という泉から大量に噴き出して形成されるもので、年中水温が7度ほどで強酸性、アルミニウムイオンを含む。
一帯には特殊な苔類が鳥海マリモと呼ばれる球状に生育している。
 
今回の訪問は夏の盛りだったため周囲の気温と湿度が高く、それが冷たい水に冷やされて一面に霧が発生していた。
冷気に癒されながらなんとも幻想的な光景を愉しむことができた。
 


■ 便利な世の中に 大野木康夫

近年、インターネットの世界には情報が溢れ、ずっと疑問に思っていたことも調べればわかるようになりました。
もちろん、情報の質は自分で判断する必要がありますが、便利になったことは確かです。

最近、長年の疑問のうち2つが解決したので、紹介します。

別府の供養盆踊り

宮崎県日向市に「別府(びゅう)の供養盆踊り」という踊りが伝わっています。
私は10代後半から20代前半にかけて、NHKのFM放送でやっていた民謡番組を毎週聞いていました。
別府の供養盆踊りは、確か、大学1年の頃に、農山漁村文化協会がオーケストラアレンジでレコード化したものが紹介されたのですが、たまたま録音して、何回も繰り返し聞いていました。
口説きの文句は、忘れているところや不明瞭なところもあるのですが、だいたい次のようなものでした。

南無や西方御弥陀如来 本願誓いましまさば
来世は必ず父母の 同じ蓮に生まれんと
念仏百遍唱えおき
お念じ終わりて衣裳も着替え 下地白無垢下締めまでも
上に羽二重浅黄の袷 しごき縮緬ゆるやかに締め
髪も(きわ?)結う紅白粉も 常に変わりてさも麗しく
(はちじの?)賜るそのものは 来国光の九寸五分
死ねとのことにはあらねども 今際の際の本望ぞと
三度いただき取り直し 南無阿弥陀仏を唱えおき
胸と紋とのあわいぞと 思うところに押し当てて
ハバキの元まで刺し通し 太刀を抜いてはうつ伏せに
倒れてついに哀れなや 二十一歳盛りの花があしたの露とぞ消えにける

おそらく浄瑠璃から来ていると思われたのですが、21歳の女の人が自刃する情景を描写したものでした。
しかし、何の題目なのかは、当時1日かけて大学の図書館で調べてもわからず、その後もずっとわからないままでした。
しかし、最近、ふとしたことから日向市のホームページで別府の供養盆踊りが紹介されているページを見たら、伝えられている口説きが列挙されており、その中に「加賀見山」とありました。
加賀見山は、浄瑠璃、歌舞伎の「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」、自刃するのは中老尾上です。
インターネットで中老尾上の年齢設定を調べると、21歳でしたので、中老尾上の自刃の場面だということがようやくわかりました。

ぢぬき

私が通っていた中学校の3年生の美術の授業はかなり変わっており、何人か1組で1年間かけて1冊の版画の絵本を作るのですが、1年の半分くらいの期間は近くの西陣の町に出て取材をするのです。
西陣といえば西陣織なので、大半の班は機を織っている家や織屋さんを尋ねて取材させてもらうことになります。
私の班も、手機(ジャカード織機)で帯を織っている家に通って取材をさせてもらっていました。
取材が始まる前に、先生から、「紋紙(ジャカード織機のパンチカード)は版権があるのでそのままスケッチしないように」といった注意事項とともに、「絵本には後書が必要で、それは頭で考えた文章ではなくて、取材した事実に基づいて書くように」という指示がありました。
私の班では希代のメモ魔である小野君が、スケッチの傍ら、職人である御主人と奥さんの会話を克明にメモしており、私は、達筆すぎて小野君自身も解読できないメモの解読作業と、後年放送記者からアナウンサーになる寺谷君がメモをつなげて後書の文章にするのを手伝いました。
全体の管理は親方気質の岡田君が進めるなど、なんとなく全体がうまく機能して後書が出来上がりました。
絵本の題名は、メモされた会話の中から選んだ、「おとうさん、ぢぬきありますか、まだ」でした。
この題名を選ぶときに、「ぢぬき」って何だろうという疑問がありました。小野君は、聞き違いで、「にぬき(堅ゆで卵)」ではないかとも言いだしましたが、それを本格的に調べることもないまま、40年近くがたちました。
最近、このことをふと思い出して、インターネットで調べてみたら、じぬきは「地緯」で、下地に当たる部分に使う緯糸(ぬきいと)すなわち横糸のことだということがわかりました。
当時、取材先の御夫婦に聞けばすぐわかったことだと思いますが、若い頃の思い出が鮮明によみがえってきて、何とも言えない気分になりました。


今月のお祭り

祇園祭神幸祭 (四条御旅所前)

御旅所前での最後の神輿振りは迫力がありました。
   

尾張津島天王祭朝祭

2年続いて台風で宵祭の提灯船が中止になりましたが、朝祭も風情がある祭です。
車楽船(だんじり船)は時代の影響で鉄船になっていますが、あまり気になりません。
    


尼崎貴布禰神社夏季大祭山合わせ

だんじりが向かい合って指相撲をするようなイメージで、勇壮なお祭りですが、暗くなる前に事故のため中止となりました。
来年以降どうなるかわかりませんし、9月に行われる初嶋大神宮の山合わせにも影響しそうな気がします。
   





■  未知の埴輪と古墳発見 中山辰夫

過日、「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録され、古墳への関心が高まっている中、滋賀県で新たな埴輪と古墳が発見されました。
「江頭(えがしら)南遺跡」と命名された発見場所は、日野川の中州で、野鳥観察中の人が偶然に見つけました。

現場付近 近江八幡市江頭町 (最寄駅 JR琵琶湖線篠原駅)
 

日野川の中洲、河川の浸食で出来た中洲の崖面の水際付近に露出していました。
  
築造時には川はなかったが、後に川の流れが変わったり、開墾で削られたりして土中に埋もれたようです。

発見された遺物は、円筒埴輪(高さ35cm、直径約20cm)。4個が直線的に並んでいたことから方墳の可能性が高いとされています。
円筒埴輪
  

朝顔型埴輪

器台の上に壺を載せた形状をしており、上部は口縁部が大きく朝顔の花が開いたようにラッパ状に広がっている。 円筒形埴輪のある古墳から必ず出土する。

まとめ
埴輪4個と約3個分の破損が見つかっていますが、復元作業中で総個数や大きさ、時期等の詳細な把握はまだのようです。
おそらく古墳時代中期後半から後期(5世紀後半から6世紀頃)のものとされています。規模はわかりませんが古墳が中洲の下に埋没していると考えられています。

全国各地で行われている遺跡調査、ビックリするようなチャンスに発見されることがよくあります。
滋賀県は4,600ヵ所以上も遺跡があります。我々の身近な所や住まいの下に古代のロマンが眠っている可能性があり、ワクワクします。

(資料は滋賀県埋蔵文化財センター公開資料による)
 

滋賀の古墳あれこれ

鴨稲荷山古墳(高島市)・彦主人御陵(田中王塚古墳〜安曇王塚 高島市)

 
鴨稲荷山古墳は家形石棺と様々な副葬品が明治時代に発見されました。彦主人御陵は継体天皇の父の円墳と伝わっています。

春日山古墳群(大津市)・百穴古墳群(大津市)唐臼山古墳

  
春日山古墳は200基以上の古墳から構成される大規模古墳。和邇一族の墳墓とされる。
百穴古墳群は約150基ある群集墳。沢山の小規模石室を持つ円墳が密集している。唐臼山古墳は小野妹子の墓と云われる。

雪野山古墳(竜王町)・木村古墳群(東近江市)・八幡社古墳群(東近江市)
  
雪野山古墳は遺跡保護のため埋め戻されていますが、未盗掘の竪穴式石室から多量の副葬品が良好な状態で出土した。八幡社古墳群は古墳時代後期の群集墳。3つ並んだ横穴式石室が覗ける。木村古墳群は久保田山古墳・天乞山古墳を含み、県内で最大級の円墳・方墳が整備されている。

瓢箪山古墳(近江八幡市)・大岩山古墳群(野洲市)

 
瓢箪山古墳は滋賀県最大、長さ134mの前方後円墳。4世紀後半の築造で県内最古級の古墳。大岩山古墳は合計24個の銅鐸が発掘された古墳で有名な大岩山遺跡周辺にある古墳群。


■ 房総のむら 川村由幸

いささか前になりますが、雨で途中で切り上げていた房総のむらの残りの取材をしてきました。
残っていたのは「ふるさとの技体験エリア」です。
このエリアの建造物は再現されたもので、歴史的な価値のあるものではありません。
しかしながら、武家屋敷、上総の農家、下総の農家、安房の農家に商家の街並みを加えた建造物は畑や森の中に囲まれて趣もあり、カメラを構えて十分に楽しむことができます。
でも、ここも集客に苦しんでいるのでしょう。入口手前にしたの画像の看板が。

少し前にコスプレイヤーが撮影に集まっているとテレビか新聞のニュースで見た記憶があります。
文化施設はほぼ全てその運営費用に悩みを持っているようです。
今回は千葉県の昔の国割に従った農家を紹介します。

最も入口近くにある上総の農家からです。
  
立派な長屋門を持つ、大きな農家です。畑の中をぬけてその門に向かう造りでタイムスリップしているような感覚です。
母屋の茅葺屋根が切れたところは中二階になっているという複雑な構造をしています。
新しい建物でありますが、十分に風格が感じられ、古民家好きの私を満足させてくれる茅葺屋根でした。
  
次は下総の農家です。ちなみに私の故郷はこの下総です。

敷地内に6棟もの建造物がある大農家です。子供のころ近所でこんな母屋を見たことがあるような記憶があります。
風通しの良さそうな母屋は住み心地も良さそうです。時間がゆっくりと流れているような気がします。

最後は安房の農家です。私は房総のむらの中ではこの建造物が一番好きです。
  
とても特徴のある形状の母屋は右側の別棟にだいどころと中二階がある不思議な建物です。上総、下総の農家と比べるとずっとコンバクトにまとまっていて、庶民には親しみを覚えます。
何と言っても面白いのが「蟹殻掛け」いう厄除け、タカアシガニの甲羅に顔が描かれています。

この日は猛暑の真っ只中、朝のうちにと出かけましたが、熱くて暑くてたまりません。
もう一度「風土記の丘」エリアの撮影をと考えなくはなかったのですが、安房の農家が終わったところで終了。
もうすぐ70歳、熱中症で倒れるわけにはゆかず、帰宅しました。



■ 若鳥が面白い季節  田中康平

もう20年位野鳥を見ることが楽しみの一つとなっているが、勉強不足で未だに学ぶことが多い。今は若鳥のしぐさを学んでいる。
5月は鳥のさえずりが賑やかで山に鳥があふれるが6月を過ぎるとめっきり静かになって鳥の姿もやや目につきにくくなる。
この福岡の地は南から渡ってくる野鳥の通過地点になっているだけに通り過ぎてしまうと静かになってしまうのはしょうがない。
ここに居付く鳥も静かになるのはペアリングがうまくいって子育ての季節となるためだ。こちらはしばらくして雛が飛べるようになると鳥の数が一気に増えてにぎやかになる。
それが今のシーズンだ。スズメやカラスやムクドリなどが中心で珍しい鳥でもないので洒落たバードウオッチングにはならないが若鳥のしぐさが一々面白い。
若鳥の判別は鳥によって違うが、例えばスズメは「くちばしの黄色いのが・・」のいいぐさどおり、くちばしの根元に黄色いところが残り体の模様もすこしぼやけたところがあって慣れればすぐわかる。
しぐさも如何にも世慣れしていなくて無駄と思われる遊びをする。例えば細い草にのってぶらぶらして遊んだり砂浴びも覚えると嬉々としてやっている。
ムクドリの若鳥も似たように色がやや薄く体の模様がはっきりしないところがあって若鳥と分かるが、それより動きに無駄が多くもたもたしているところがあってそれとわかる。
むくつけきムクドリもそんな仕草をする若鳥を見つけるとかわいい。
カラスも面白い。ハシブトガラスの幼鳥はオデコが出ていなくて小さめのハシボソガラスのようだけれども近くに親らしいハシブトガラスがいたりするので若鳥と解る。
こちらもやみくもにガアガア鳴いたり動きがぎこちなくて若鳥とすぐわかる。カラスは親が面倒みているような光景に遭遇するのも面白い。
バンは年に何回か雛を孵すが若鳥がうまく育つ確率は低いように見える。近くの池では一つのつがいからもう10羽近く今年雛が生まれたがすぐに見えなくなってしまった。
外敵にやられているようだ、猫かもしれないしカラスかもしれない或いは亀かもしれない。若鳥料理というのがあるくらいだから、それぞれの生き物にとって雛はごちそうに見えることは間違いない。
バンにはちょっときついようだが他の鳥は都会の中で野生のサイクルがとにかく回しえていて、珍しい鳥を探さなくとも普通にいる鳥がこの季節十分面白い。都会の自然が面白い。
もう立秋だ。

(写真は順に 1.草に乗って遊ぶスズメ若鳥 2.砂浴びするスズメ若鳥、3.幼さが目立つスズメ若鳥、4.ムクドリ若鳥、5.ガアガアと騒ぎたがるハシブトガラス若鳥、6.バン親子)
      


■ ほたるの撮影と工場夜景の撮影 蒲池眞佐子

うっかりして先月分のメルマガを送り忘れていた。
6月の中旬、ほたる船に乗った。今年で2回目である。
プロが撮ったホタルの写真のよなものが撮りたかったが、去年は惨敗。
真っ黒な画像ばかりだった。
今年こそはと、ホタル撮影方法をネットで検索しまくり、本まで買ってみたが、実際撮ってみないと綺麗に撮れるかどうかはわからない。

今の一眼レフは便利だけど、あちこちライト類があるため、カメラの事前設定でライト類を切りまくる。
昼間はあまり気にならなかったカメラの小さなライトを消すことから始めるがマニュアルを読まないとわからないというなさけなさ。
どのモードで撮れるかわからないので、夜中に家の中で実験。
コンセントのライトをほたるに見立ててみたが、やはり明るすぎて、事前リハーサルとはいかなかった。

本番のほたる船乗船前、船頭さんからもカメラでは写りませんので撮らずに目でみて感じて下さい。とのアナウンス。

ほたるは光るタイミングが同じで、シンクロする習性があり、東日本では4秒、西に行くほど2秒になるそうで、じゃ、2秒に合わせて撮ればいいんじゃないか?
と安直な私は考えてしまったが、それには、機材や場所設置やら制約が出るため、、やはり船の上では無理。
船頭さんの説明で、初めて知ったが、ほたるという名は「星がたれる」から「ほたる」と変化したそうだ。

ところで私の撮影計画だが、乗船後、そっとカメラのボタンを押す。
全ての明かりを消しているので、撮影しているのかどうかもわからない。
隣の夫まで、え?撮ってたの?というぐらいだから、撮影姿勢としては成功だろう。
ただ、どこを撮っているか、どれだけ撮れてるか、カメラ君、頼んだよ、という気持ちだ。
あとは目でほたるを堪能。美しかった。空には降るような星空、川岸にも乱舞するほたる。来てよかった。
毎年、予約が一杯でほたる船を予約するのも難しいが、どの日が一番いいかも年によって違うのでこれまた運まかせ。
今年はもう終わってしまって見れないかも、と思っていただけに撮影としては不十分だったが、本当鑑賞できてよかった。
  

もう一つ、以前から撮りたかった工場夜景を撮りにいった。
こちらもまた、船からの撮影。
カメラを見ながら撮影できるので、ほたるよりハードルは低いが、動く船からなので、じっくり確かめながらというより、とにかくパチパチ撮ってみた。
それが、なんと、フォトコンテストの募集があったので、軽い気持ちで応募してみたら、山口県内航海運組合理事長賞を頂くことに。
収容人数1800人の大ホールで周南市長から直々表彰状をもらうセレモニーに招待され、びっくり。
一生に一度あるかないかのこの機会を楽しむことができ、ますます撮影欲が湧いてきた。
  




■ お寺の庭園撮影に思うこと  野崎順次


相変わらず、日本庭園を撮影して回っている。よい庭園はそのほとんどがお寺に付属している。京都や奈良で、拝観者の多い大きな(裕福な)お寺が日本庭園を公開している場合は、拝観料を払えば、すぐに鑑賞できるし、若いお坊さんやボランティアのガイドさんが説明してくれる。しかしながら、それはむしろ稀なケースで、田舎に行くと、いろいろ事情があるようで、反省したり感謝したり、考えさせられることが多い。以下、五つのお寺について述べてみたい。

(1) 米原市 福田寺 国名勝 江戸初期 枯山水

浄土真宗本願寺派で蓮如が3年間滞在したこともあり、長沢御坊の名でも知られる、由緒のある大きなお寺である。行く前にネットで調べると、ファクスによる事前予約が必要だった。ファクスの送り先は長浜市内の因乗寺である。日曜日に行こうと思って、その2日前の金曜日の夕方にファクスを送ると、ご住職から携帯に連絡があり、日曜日の午前11時に拝観できることになった。

当日、お寺に着くと、境内で植木屋さんと話しているご住職がおられた。私を待っていて下さったのである。予定になかった本堂内部の拝観と撮影も許可された。その後、庭に案内いただきご説明を受け、三脚撮影を始めた。撮影中、ご住職は庫裡や本堂に戻ることなく、こちらが見える範囲内におられる。後で分かったことだが、ご住職は通常は数キロ離れた長浜市内の因乗寺におられ、用事のある時だけ、本寺に来られる。だから、私が帰らない限り、ご住職も福田寺を離れられないのである。それだけでなく、私一人のために、前日に庭の掃除もしていただいたそうだ。誠に頭の下がる想いである。できるだけ早く撮影を切り上げた。
   


(2)長浜市 神照寺 江戸中期 池庭

神照寺は寛平7年(895)に創立された長浜最古のお寺。国宝の金銀鍍透彫華籠など仏像で有名だが、池庭鑑賞式の庭園もなかなかよさそうである。ネットで下調べしていて、予約が必要とか特に注意すべき留意事項はなかったので、今年の6月29日(土)に訪ねたが、庫裏玄関に本日の拝観は終了しましたとの張り紙があり、人気もなく、無住の寺のようだった。最近、本寺のホームページを見ると、「都合により、寺宝の拝観は一部制限させていただいております。※8月は寺の行事が多い為、拝観は中止いたします。」とあった。優れた寺宝や庭園があっても、人手不足のためか、非常に閉鎖的な印象を受けた。
  


(3) 湖東の某寺 室町 枯山水

重森三玲に見出された室町時代の枯山水庭園がある。事前に電話予約が必要らしい。最初、昨年6月頃に電話した時は、ご住職が出てきて、ちょうどその時は法事があるのでと断られた。その後、同年10月に電話したら、台風(9月の21号)の被害で見せる状態ではないと再度断られた。声のニュアンスから、相当迷惑そうであった。

(4) 四国の某寺 江戸初期 平庭式枯山水

重森三玲によれば、ここの庭は石組は軽快ながら強く、作者は不明ながらかなり創作的な人らしい。JRの駅から4キロ位あって、バス路線は通っていないので、タクシーで行ったが、ご住職さん曰く、公開していないし、それに手入れもしていないので、お見せできないとにべもない。あきらめかけたが、念のため、本堂の裏に回ると、書院らしき建物の前に生垣で囲まれた区画があって、目的の庭園と一目瞭然である。金属の門扉があり、その上から庭を見ると、散水のホースや小さな脚立が置いたままだったが、きれいに掃除されていた。手入れされていないどころか、手入れが行きとどいていた。嘘をつかんでもええやんかと、つぶやきながら、帰りのタクシーを待った。
  


(5) 丹波篠山市 正覚寺 現代 蓬莱式池庭

重森三玲が利益を度外視して作った池庭である。本人曰く、「これらの竜門式の滝の石組や、全庭の石組または石橋は、いずれも豪快の手法によって古庭園を思わせるものがある。そして本庭の石組は北宗連山式であり、これに楓や老松もあって、この新しい庭が古庭園かと思われるものがあり、年中拝観者が絶えない。」(日本庭園歴覧辞典、昭和49年より)。

現在は事前の予約なしには拝観できない。正覚寺に何度も電話しても出られないので、篠山観光協会に聞くと、現在は無住寺で、7キロ離れた徳円寺のご住職が掛け持ちをされているとのこと。そちらの電話番号を教えてもらい、予約を快諾していただいた。8月3日でお寺さんの特に忙しい時節である。

当日の正午、お寺に着くと、ご住職さん夫妻が迎えて下さった。拝観料はないとのことで、お賽銭箱に少し多めに入れることにした。庭の見える書院の縁側でお茶菓子までいただいて、説明を聞いた。石組が乾いているからと、奥様がホースで散水してくださった。鶴島、亀島、竜門瀑など青石を使った三玲流の豪健な石組で、三玲さんには珍しく池に水を張っている。その池に鳥除けの茶色ネットが架かっているのが残念であるが、サギが鯉を食べるのだそうだ。鯉が全部やられたが、いつの間にか、(卵でも残っていたのか)鯉が戻ってきたそうだ。三脚撮影も許していただいて、写真と動画を充分撮影した。ところが、最後にくぎを刺された。SNSやネットでの公開は禁止だそうだ。観光寺ではないので、庭を見たいという観光客に来られると困るからであろう。ましてや二つのお寺の掛け持ちをされている。さすがに私はジャパンジオグラフィックへのアップをきっぱりと断念した。
  

というわけで、観光寺でない場合は、多忙極めるお寺さんのご厚意に甘えて、私の撮影ができるわけで、ご協力いただいたご住職に心より深く感謝の意を表したい。


■ 北海道ドライブ 柴田由紀江

7月に10年ぶりの北海道旅行に行きました。10年前は近代建築を巡る旅でしたが、今回は森と緑、そして春咲きバラ前線の終着点を見に行くのが目的でした。
春に九州旅行をした際に慣れないレンタカーの運転で少し懲りたため、今回は思い切って自分の車で北の大地を走ろうとフェリーに挑みました。

◆自分の車で行くメリットは...
①事前にカーナビに地点登録が出来る(8日間で14か所を巡りました)
②スーツケースの容量を気にせず荷物が積み放題(靴を6足も運べました)
③なにより運転が慣れている(高速道路はクルコン走行必須の私です)

◆そして思い知ったデメリットは...
①狭いスロープを下る乗船が怖かった(車のセンサーが接近しすぎ警報を出し続け(@_@;)
②激しい船酔いで頭痛Max(大浴場の湯舟が波の出るプール状態)
③インターネットが無い(溜まった仕事を片付けるつもりがクラウドに繋がらず)

予想外の18時間でしたが、無事に苫小牧に上陸!そこからおよそ1,600kmのドライブを楽しみました。
中でも忘れられない出来事は、美瑛から芦別への移動でした。うっかりカーナビの設定を「距離優先」にしてしまったのです。
自分の車で未舗装の砂利道を何十キロも運転したのはおそらく初めての経験で、購入2年目のマイカーが砂ぼこりでとんでもない姿に。
それはとても細かく龍角散をまぶしたような状態になりました。しかも道中見かけるガソリンスタンドにはドライブスルー型の洗車機が存在しないという、これまた初体験。
ホテルの駐車場でバスを洗っている運転手さんに訊いたところ、高圧ホースの使い方を教えてくれました。
なるほど北海道では凍結して使えない洗車機よりも、ボイラー付きで解氷も出来る高圧ホースの方が役に立つというわけですね。
わずか200円でピカピカに戻ったマイカーを、白樺の林をバックに記念撮影しました。
そして何より嬉しかったのは、スーパー山道を走ったおかげで野生のキタキツネに遭遇出来たことです。
今回の旅行では真鍋庭園でエゾリス&洞爺湖でエゾシカの撮影が出来るかも?なんて淡い期待をしていたのが叶いませんでしたから、キタキツネの愛くるしい姿が間近で見られたことはこの旅のハイライトとも呼べる出来事でした。
船酔いを思い出すと、たぶん私はもう二度とフェリーには乗れないと思いますので、記念に写真とともに投稿させて頂きます。
             


■ 看板考 No.78 「川鐵トタン」  柚原君子

 

所在地:滋賀県愛荘町 愛知川

川鐵は川崎製鉄株式会社の略で1950年に川崎重工業から独立した会社。
ブリキ看板についているマークは川崎の川の字をモチーフにしたリバーマークといわれるもの。鐵の字が旧字でブリキの変色とともにレトロ感漂う看板です。

現在の鉄の字は「金を失う」と書きます。そのことを嫌って国鉄がJRに移行したときに各種看板・印刷物には「金に矢」の字を使ったそうですが、それを見た子どもたちが漢字の書き取りテストに間違って書いてしまうことが多々あり、「金に失う」と正しい字に戻されたエピソードがあるそうです。
それはともかくとして、鉄の字の金は金属を表しているのはもちろんですが、右側の失うと読む字は「うしなう」ではなく更迭(こうてつ)と同じように「てつ」という発音を表している字です。
鉄は1949年の当用漢字で「鐵」から略字の「鉄」になっていますから、看板の鐵は1950年に川崎重工業から独立したときのもののようです。この旧字体の「鐵」の方が趣があって日本語らしい気がしますから残しておいて欲しかった字体です。

さて、その下の「トタン」の文字。これまたなつかしい字です。
語源としては,ポルトガル語のtutanaga(亜鉛と銅の合金を意味する)に由来する説があります。鉄を亜鉛で覆ったものがトタンです。
同じようなものでブリキがありますが、ブリキは鉄をスズで覆ったもの。

覆いものがスズと亜鉛とわかれるのは腐蝕の関係からきています。
スズで覆われたブリキは傷を付けない限りは腐蝕は防げますが、一度傷が付くと一気に腐蝕します。缶詰に使われていますが、缶詰を開けたら容器に入れ替える必要がある理由です。

トタンは傷がついても経年劣化での腐蝕はありますが、すぐに劣化はしません。屋根や壁に使われる理由です

トタンには苦い思い出があります。……昔住んでいた家の2階の窓の下から見えていたのが、隣の家の駐車場のトタン屋根でした。隣家との間はわずか数㎝。
私は当時自宅で保育所をやっていて、行政からの指導で玄関は受託児の安全のために電気施錠が義務づけられていました。鍵を持たずに外に出てドアが閉まると施錠されて家に戻れない、という難点があり気をつけていました。

が、ある日……ガスメータ検診で呼び出されて外に出た瞬間、背後で「ガチャン!」という嫌な音。やっちまったぜ!になり、私は外に放り出されました。幸い保育中ではありませんでしたので、私がなんとか家の中に戻ることができればことは終着します。お隣の家との隙間はわずか数㎝。お隣の車庫の屋根のトタンを這っていって自宅の窓のサッシに取り付けば、自宅の2階の部屋に転がり込むことができます。

若かった私はまだ手足も丈夫で懸垂にも自信があり窓に飛び込む可能性は100%と目論みました。お隣のおじさんに車庫の屋根に上がってもいい、との許可をもらいました。おじさんは言いました。「トタンが所々腐蝕しているから気をつけてね!」。

お隣の家の外階段からトタン屋根に登りました。鉄骨での骨組みの上にトタンが張られていましたが、矢張り腐蝕の跡があちらこちらに。腐蝕を踏めば地面に落ちてしまいます。
ガタガタというトタン屋根を鉄骨枠組みのみに自分の足を置き、這いつくばって自宅の2階の窓に取り付くまで10歩ほどでしたが、あのじっとりとした冷や汗もののトタン屋根の上、自宅の2階に転がり込んで外を見たら、ピースをしてくれた隣のおじさんのうれしそうな姿がありました。

その件以来、トタン屋根を壊されるよりはと思ったのでしょうか、隣のおじさんがサブキーを預かってくれました。その後、私は住んでいた家を子どもとの同居で売却して離れ、隣のおじさんの家はトタン屋根の車庫ごと建て直されて今はビルです。
トタン♪……なつかしい響きだけが残っています。


■ おばちゃんカメラマンが行く 山形花笠まつり@山形市 JG事務局

八月上旬の東北は花火と夏祭りの最盛期だ。
いつもは殺風景な街も祭りの飾りやポスターや看板で彩られる。
町の人もなんだか忙しそうだ。
今年は山形の花笠まつりの撮影に行く。
前回行った時は、観光客でごった返して場所取りに苦労した覚えがあるが、猛暑とぎくしゃくした国際関係のせいか、今年はゆっくり座って観ることが出来た。おまけに、連れ合いが三脚から卒業し、フットワークが軽いので、気が楽だ。
踊りも正調花笠踊りや、ヒップホップ系の踊りなどがあり楽しむことができた。
何回か来ると、山形大好き人間としては、身内のような気がして懐かしくも感じる。
しかし、懐かしさは思い入れのせいではなかった。
トップのセンターにいた麗しいお姉さま。今年もトップセンターの座を守っていたのだ。
その美貌は保たれたまま、踊りもきりりとしていて美しい。出来上がった写真は、同じ日に撮ったようにも見える。
お姉さまには申し訳ないが、次回からの見どころが一つ増え、楽しみだ。

2015年

2019年



今月のニャンコ 田代島
ちょっとだけ残念なニャンコ
ズラが微妙にずれてるんですけど〜





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Editor Yukinobu Takiyama
info at japan-geographic.tv (atを@に入れ替えてください)
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