JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Sep. 2022


■ 志賀島に流れる時間が 田中康平

海なし県の栃木で40年位生活して、今、福岡にいる。時々海を見たくなると簡単に見に行けるこの気安さが気持ちいい。
海を見に出かける先で一番多いのは海の中道から志賀島に至る一帯だ。
志賀島には古い時代からの痕跡が残されているのも興味深い。紀元1世紀後漢より授与された金印の発見地でもある他、古代の海運を制した安曇氏の氏神志賀海神社がこの地にあってここに古くから伝わる山誉祭の神楽歌が君が代そのものらしい。これから古今和歌集の君が代のような歌(我が君)などが派生し、時を経て国歌君が代になっていったのではないか、という説があったりもする。日本が日本のようになっていった過程がここにはまだ漂っている気がしてくる。
左回りに島の周回路を巡っていくと、ミサゴが子育てする二つ岩があったり野鳥も面白い。島の北端あたりには仲津宮という小さな神社がある、どうやら志賀海神社は元はこの辺りにあった沖津宮、仲津宮、表宮の総称であったが後に表宮が少し南の今ある場所に移ったといわれているようだ。1994年の調査で仲津宮の拝殿の前に古墳があったことがわかり石棺、副葬品が出土した。時代は7世紀前半ころと推定されているようだ。7世紀後半の白村江の敗戦以前ということになる。志賀島では初めての古墳発見ともいう。安曇氏の唯一の古墳なのかもしれない。安曇氏である阿曇比羅夫の率いる軍の白村江敗戦以降安曇氏の多くは新羅の侵攻を恐れて全国に拡散し長野に到達した安曇氏は安曇野に名を残したようだ。

こんな風に海を見ながら流れてきた長い時間に思いをはせゆったり時を過ごすのは何とも心地が良い、この地に住むものの特権なのだろう。

写真は、1:二つ岩、頂上にミサゴの巣跡がある 2:志賀海神社仲津宮の鳥居 3:中津宮古墳の説明 4:仲津宮の拝殿 5:古墳の石室発掘現場、埋め戻されている 6:海へ下る参道 7:沖津宮、大潮の干潮時に歩いて渡れる
      


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