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Monthly Web Magazine   Feb. 2023


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■蟇股あちこち 34 中山辰夫

先月の西本願寺に続いて、東本願寺、真宗大谷派の本山です。
親鸞聖人の御真影を安置する御影堂と、御本尊・阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂を中心とする境内は約93,000㎡(約28,000坪)の広さです。
江戸時代に四度の火災に遭いその度、江戸時代以来の建築構成・様式を踏襲して再建されました。 
現在の建物は、明治時代に順次再建されたもので、御影堂・阿弥陀堂・御影堂門など六棟が国の重要文化財に指定されています。

1895 東本願寺
京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町

真宗大谷派の本山。本願寺と号し、六条堀川の本願寺に対して東本願寺と通称されます。
1602年、徳川家康から寺地の寄進を受けた教如上人が新たに別立し、教団も二分されました。これが東西分派と呼ばれます。
その後、東本願寺とその教団は、日本を代表する仏教集団としての地位を確立し現在に至っています。
全景
    

社殿の蟇股を中心に境内を巡ります。

最初に烏丸通りに面して居並ぶ四大門とその築地塀の蟇股です。 精巧な作りです。

土塀の築地塀と蟇股

東本願寺の築地土塀は、外堀に面する外側に切石垣基礎を築きその上に建っています。
柱形をあらわして出桁で垂木を受け本瓦葺屋根を架け、柱間漆喰壁面には5筋の目地を付けた本格的な筑地塀です。各々に蟇股が見られます。
筑地塀は国登録文化財に指定されています。
  

■阿弥陀堂門の築地塀と蟇股
正面側
     

背面側
     

■御影堂門の築地塀と蟇股
正面側
     
背面側 
     

■菊の門の築地塀と蟇股
正面側
     
背面側
     

■玄関門の築地塀と蟇股
正面側
     
背面側
      

各門の概略と蟇股です
御影堂門、阿弥陀堂門、菊の門、玄関門はいずれも1911年の完成。この年は親鸞聖人650回大遠忌に当たり、四門のほか伯書院、黒書院なども同時に完成。蛤御門の変による本山焼滅から47年目にして大東本願寺の威容が整いました。

■阿弥陀堂門 国重文 建立:1911 四脚門 切妻造 前後軒唐破風付 檜皮葺 江戸時代は「唐門」と呼ばれていました。 2022年10月修復工事完了
正面
        
背面
      
大規模な四脚門独特の組物構成をもち、彫刻や錺金具などで装飾されています。門扉は旧門のものを使用。

■鐘楼 国重文 再建:1894 桁行一間 梁間一間 一重 入母屋造 檜皮葺 脇門付 
      
梵鐘と付く撞木は修復時に新調されました。

■東本願寺慶長撞鐘
     
1604年に徳川家康から寺地の寄進をうけた教如上人が、1606年の御影堂の造営に合せて鋳造しました。

■手水屋形 国重文 再建:1895
    

■総合案内所
   


■御影堂門 

国重文 建立:1911 三間三戸二重門 入母屋造 本瓦葺 

「真宗本廟」の額 大工棟梁:市田重郎兵衛・辰蔵。 世界最大級の木造山門
高さ約28m、重層造、左右に山廊付 御影堂の正面に建つ。巨木・瓦は門徒の寄進。二階部分にはハト除けの金網が貼られています。
明治時代に、尾張・京都・井波から集まった彫刻師による見事な彫刻が随所に施されています。再建事業に井波の彫刻師が活躍しました。
瑞泉寺が全焼した際に、東本願寺の前川三四郎をはじめとする御用彫刻師が井波へ派遣されました、その時、井波の宮大工四人が前川に弟子入りしたことが源流となり、彫刻の町、井波が誕生・発展しました。現在の東本願寺の伽藍再建事業には、井波から彫刻師が駆けつけ、再建に大きく貢献しました。

□全景
正面側 
   

背面側
  

□妻飾
     

正面側細部
   

□欄間彫刻 雲水龍 波涛文様です。背面に藻描かれています。金色の龍のひげが目立ちます。
      

□蟇股配置図 虹梁上に配されている蟇股は、金網ネットや高い所にあって撮影難しく、工事報告書より転載させて頂きます。
 

□虹梁も蟇股彫刻 向い合って8個配されています。梁には草模様の繊細な彫刻模様が施されています。
        

□見付けることが出来なかった蟇股彫刻
            

□背面 蟇股は背面、側面から見えます。 下層・上層3面に配されています

初層の蟇股
    

二層目 正面側を除く3面に蟇股がビッシリ配されています
       

その上の段にも並びます
     

□妻飾
   

□瑞泉寺 山門 (県文化) 富山県南砺市井波3050
 
東本願寺の前身の御影堂門が瑞泉寺山門の規範となりました。




■菊の門(勅使門)国登録文化財 再建:1911 四脚門 切妻造 檜皮葺 前後軒唐破風 木部は総漆塗 極彩色の文様 設計:亀岡末吉 
  
1911年に宗祖650年遠忌事業として再建されました。宮大工の間で「亀岡式」と呼ばれる名品です。
全体は伝統的な四脚門の形状を踏襲しつつ、彫刻や木鼻絵様に近代的な感覚が充溢しています。

細部
    
繊細かつ装飾的な意匠が施されています。意匠は仁和寺勅使門と共通し、あらゆる細部に徹底的な装飾が施されています。
     
狭い虹梁上の空間に蟇股を用いて隙間なく埋め尽くす植物文様のうねりが見られます。
    
巨大な菊花紋が印象的です。
    
桟唐戸の透かし部分は非常に細かい木枠で表現されています。

明治末期・大正時代に和風建築の新しい様式美を追求した亀岡の代表作。破風の曲線や、蟇股などの細部意匠に「亀岡式」の斬新なデザインが見られます。

亀雄末吉
1865年生まれ。東京美術学校日本画科を卒業。1896年に内務省の古社寺保存計画調査員を移植され、古社寺の調査にまい進しました。
建物の実測調査のほか、日本画科出身という経歴から買いがや彫刻、工芸品の調査研究に力を発揮。1907年に武田五一の後継として京都府技師に任命されました。
亀岡末吉が関わった文化財修理は平等院鳳凰堂や法隆寺五重塔、宇治上神社拝殿、八坂神社西楼門、仁和寺金堂、大徳寺山門など、その数は50件以上に登り、地域も京都を中心としながらも多岐にわたっています。

■阿弥陀堂 

国宝 再建:1895 正面52m 側面47m 高さ29㎡ 一重 向拝 入母屋造 向拝三間 本瓦葺 

本尊阿弥陀如来像を安置しています。
    
一般のお寺の(本堂)に当たります。御影堂も建築様式が和様の道場形式であるのに対し、阿弥陀堂は禅宗様の仏堂形式で建てられています。
御影堂よりは一回り小さいですが、真宗寺院の阿弥陀堂及び本堂としてはわが国最大規模で、他の多くの大規模真宗本堂の範となりました。
畳の広い外陣や金箔や彫刻、彩色などで荘厳化された内陣など、発展した技法を具備し、技術と意匠に置いて優れた独創性を示しています。

蟇股を軸に見て行きます。

阿弥陀堂の各所に配された彫刻は、蟇股のほか、内陣正面の欄間、隅木下持送り、局の間東面欄間、飛櫓の間欄間、後堂両端小間東面欄間、向拝木鼻、手挟・虹梁上蟇股、妻飾蟇股などで、他は一般的な虹梁渦、大瓶束、肘木の渦などが彫刻されています。内陣廻りのみ金箔押しで、その他は素木です。
    

□配置図
 

□妻飾の蟇股 
  
台輪上の斗栱間、下虹梁上の蟇股には「波」彫刻を、二重虹梁上の蟇股には「波に玄武」を彫刻し、これの両側には格狭間を飾っています。
大瓶束は丸形に近いです。
北側 玄武のみ
    

南側 玄武に波が並びます
     

向拝とその蟇股 三間の向拝に、表・背面三個の蟇股が配されています。
  
正面側 正面南は「虎」、中央は「雲」 北は「龍」 龍虎はいずれも中央側を向く構図。阿弥陀堂が阿弥陀仏を祀ることから中央を「雲」とされた。
     

背面側 正面は「風にしなる竹」 中央は「雲」 北は「波」 
  

手狭と木鼻 木鼻は左右共に「阿形の像」 手挟は柱位置に4本入ります。「蓮」の丸彫で、東側まで連続して彫刻されています。
     

広縁の蟇股
    

唐戸筋外側の蟇股 上下2種類が並びます。
    

外陣境(外側)蟇股
         

いよいよ堂内です。阿弥陀堂内部は撮影禁止です。資料・修理工事報告書より抜粋で蟇股を並べます。
阿弥陀堂蟇股の彫刻のモチーフは植物が圧倒的に多く、実在する花や草木です。動物は十二支と雉や鳩、カワセミ、など実在する鳥等の意匠です。

□堂内の蟇股ランダム
     

唐戸筋内側(外陣側)の蟇股
           

内陣虹梁上の蟇股
     

外・内陣境虹梁上には二十四孝や迦陵頻伽(かりょうびんが)を題材にした蟇股が配されています。
   

□阿弥陀堂の内陣は「仏説阿弥陀経」の世界を表現するとして金色で荘厳(おかざり)されています。
すべての存在に光(如来のはたらき)が当たることを願っての総金箔です。
巻障子上 欄間彫刻
        

堂内を飾る彫刻
     

 

■御影堂 

国重文 建立:1895 桁行63.6m 梁間45.5m 二重 入母屋造 向拝三間 本瓦葺 厨子附一基 

阿弥陀堂に接続
   
御影堂は1895年の建立で、17世紀中葉以来の規模と形式を継承しており、わが国最大の平面規模をもつ有荘な伝統木造建築です。
御影堂と並立する阿弥陀堂、両堂の前は烏丸通りに面し門を開いています。延べ130万人の人々が再建工事に携わったとされます。
御影堂は比類ない規模と高い格式を備えた近代の木造寺院建築です。大屋根を葺く約17万5000枚もの瓦は、三河門徒の手によって製作・寄進されました。
御影堂は宗祖聖人の御真影を安置する本廟内で最も重要な建物で、真宗大谷派の御崇敬の中心をなします。
御真影の左右には歴代門首の御影や十字・九字の名号が掛けられています。
 
内陣に安置される御真影(宗祖親鸞聖人」。御影堂の内陣は阿弥陀堂とは趣を異にし、道場住宅風の比較的質素な意匠です。

蟇股を軸に見て行きます。

□御影堂の彫刻
彫刻装飾については、外廻りでは向拝の蟇股、手挟、頭貫木鼻、側柱筋の蟇股、隅柱の木鼻、および上層隅尾垂木の龍頭、妻飾の蟇股があげられます。
内部では、蟇股と内外陣境の欄間彫刻、内陣本間軒鼻と拳鼻等があります。木地はケヤキ材で一部を除いてほとんどが素木です。
作者は工事記録から、彫刻主任は井波彫刻の宗家を継いだ井波番匠13代の田村與八郎、理七親子、尾張藩御用彫師早瀬長兵衛、一身田専修寺彫物大工丸山新ノ丞一門の丸山新太郎等が知られています。

□御影堂の蟇股

御影堂には多くの蟇股彫刻が配されています。
御影堂に使われている蟇股は全部で58個。その取付け場所は建物の中で大別できます。
場所は、向拝虹梁上部、広縁正面虹梁上部、広縁外陣境、外陣境、内陣の各室と妻飾りです。
撮影がし辛く、堂内は撮影禁止とされています。従い、工事報告書から転載したものを列挙します。


□配置図
 

撮影は、妻飾、向拝、広縁、広縁外陣の蟇股(計28個)まで出来ますが、全体が写せず、ピンボケばかりです。

□妻飾の蟇股
二重虹梁大瓶束 蟇股・彫刻はケヤキ材 蟇股の内部彫刻は邪鬼。二重虹梁下の蟇股の内部彫刻は唐獅子彫刻です。
    

□向拝 蟇股と木鼻 手挟が並びます。
    

蟇股は7個配されています。仙人と猪目が交互に並んでいます。
           
制作は松井乗慶、早瀬右内、早瀬岩吉、丸山安太郎、田村理七などの井波彫刻一派です。

手狭は8個配されています。表と裏で題材は同じですが、内容は異なります。
     
尾張藩御用彫師早瀬長兵衛、一身田専修寺彫物大工丸山新ノ丞一門の九山安太郎の作とされています。

木鼻は左右とも獏鼻 丸山新太郎の作
  

□広縁と蟇股 
    

□広縁側柱筋の蟇股 前部で21個配されています。題材は様々で、雲に麒麟、桐と鳳凰、浪に兎、竹に虎等々です。一部です。
         

この先のお堂内は撮影禁止です。 蟇股の配置を見るのに写させて頂きました。 
    

□内陣・外陣境彫刻欄間・蟇股
配置図
 

□図面R部の彫刻欄間 11個ならんでいます。その一部です。R5 蜘蛛に天人 R10 桐に鳳凰
       

□図面S部は鳥の蟇股
       

□図番T部は菊花蟇股
  

□能舞台 建立:1880 方三間 地謡坐半間 後坐一間半 平屋建 切妻造 後坐片流 桟瓦葺 橋懸
現在の舞台は常設として、1937年に設置されました。
    
鏡板には、明治期京都画壇の重鎮・幸野楳嶺が雄大な松を描いています。
伯書院を観覧席として建てられています。御遠忌をはじめ大法要には能が舞われ

蟇股
   
両肩と斗の間に目玉が入っています。鎌倉から室町時代のような雰囲気をもっています。
蟇股内部の彫刻は、華麗な造形で、牡丹唐草を向い合せた彫刻が入っています。

 

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