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新潟県南魚沼市 雲洞庵

Untoan,Minamiuonuma City,Niigata

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Aug.11, 2017 柚原君子

所在地:新潟県南魚沼市雲洞660

本堂:新潟県有形文化財

金城山の麓の古刹「越後一の寺、日本一の庵寺」というパンフレットがあったので出かけてみました。

「庵」といいますと集落から離れて寝泊まりできる程度のこじんまりとしたものか、かなり質素な建物のイメージですが、訪ねた「雲洞菴」はとても大きなお寺さんで驚きました。

縁起は古く、今から1300年前の奈良時代にさかのぼり内大臣藤原房前公の母親が出家して庵を結んだことが始まりとあります。母親没後はその子が尼僧院を建立して供養。その尼僧院は女人救済の庵寺として信仰が厚かったそうです。

室町時代に入ると関東管領上杉家の菩提寺として雲洞庵として開創。十三世 通天存達和尚は、10歳の喜平次(後の上杉景勝)と5歳の与六(後の直江兼続)を引き取り雲洞庵で教育しています。上杉景勝、直江兼続ともに戦国時代の武将としては教養高く、四書五経をはじめ中国古典にも造詣が深ったと云われているそうです。

江戸時代には曹洞禅の修行道場として多くの修行者たちが集まっていました。

入口には立派な赤門があります。大きなワラジが立てかけてあり仁王様も立派です。この赤門は1429(永享元年)年関東管領家より10万石の格式を拝領して建立され、江戸時代に再建されて現在に至っています。

昔より、皇室関係者や大名の来山以外は、年に一度の大般若会の時だけにしか開門されず、「開かずの門」と云われたそうです(冬期は赤門から本堂に続く参道は閉鎖されます。また年に数回しか開かない赤門に代わり、宝物殿につながる脇の参道に黒門があり参拝の人はそこから出入りしていました)。

赤門から本堂に至る参道には法華経が一字一石にしるして埋められていて、越後の国では篤い信仰の印として「雲洞庵の土踏んだか、関興寺の味噌嘗めたか」」という言葉が残っているそうです。善男善女が1つずつの石を踏みしめて蛇行しながら本堂に向かったといいます。

本堂は間口14間、奥行き十間半。新潟県出雲﨑の棟梁小黒甚内の大工群により建てられています。内部はかなり広く方丈の間、本堂とつながり広いですし、なによりも人手がなくゆったりと鑑賞することができます。欄間の彫刻も壮大。窓も多く、いろいろな角度から楽しめます。本堂の裏には枯山水があります。

宝物殿には上杉景勝の遺墨や武田信玄の書状など、戦国武将の古文書が展示されていますが、墨の色も鮮やかな達筆でなかなか見応えがありました。

   

参道

               

鐘楼

     

赤門

                      

本堂

                                                                                           

庭及び周辺

                             

資料館

                   

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