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岡山県岡山市北区 足守

Ashimori,Kitaku,Okayama city,Okayama

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岡山市北区下足守305 守福寺宝殿 重文 近世以前/その他 室町前期 暦応元(1338) "石造、切妻造、妻入、向拝一間暦応元年戊寅十一月二十二日の刻銘がある" 19610323

岡山市北区下足守468 八幡神社鳥居 重文 近世以前/神社 室町前期 康安元(1361) 石造両部鳥居 康安元年辛丑十月二日の刻銘がある 19560628


Nov.29,2020 瀧山幸伸 

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A camera

侍屋敷

                     

 

   

 

                            

近水園

                                                               

街並

                                              

旧守福寺

           

葦守八幡神社

                         

 

B camera

                                                                                                                                                                                                                                                                                                           


July 15, 2017 大野木康夫 

葦守八幡神社

Ashimori hachimanjinja

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所在地 岡山県岡山市北区下足守466

神社付近の田園風景

        

境内入り口の鳥居

  

八幡神社鳥居(重要文化財)

康安元(1361)年建立の石造両部鳥居

慶安元年辛丑十月二日の刻銘がある

所在地は神社参道入口(南)、下足守515のホタル電工地先です。

                            

細部

                            

参道

  

守福寺に行く途中の荒神社

  

守福寺から葦守八幡神社への帰路

          

境内風景

                    

守福寺

Shufukuji

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所在地 岡山県岡山市北区下足守305

(葦守)八幡神社鳥居から山手に歩く

    

参道

      

無住だったが、建物が朽ちて廃寺と化している。

          

宝殿は健在。

管理されている雰囲気もある。

        

宝殿(重要文化財)

暦応元(1338)年(延元3年)の建立

石造、切妻造、妻入、向拝一間

暦応元年戊寅十一月二十二日の刻銘がある

                                                                      


January 5, 2013 野崎順次

岡山県岡山市北区足守

足守寸描

(Photo-sketching at Ashimori, Kitaku, Okayama City, Okayama Pref.)

望遠ズームで心と目のおもむくままに足守の町の好きな風景を切り取ってみた。もちろん、三脚は使わない。こんな自由な撮影がとても楽しい。

                                                                                                                        


Aug.14,2013 野崎順次 source movie

足守の町並み

(Historic Streets in Ashimori, Kitaku, Okayama City, Okayama Pref.)

足守は陣屋町の面影を色濃く残す町並みだが、全く忘れ去られたように静かな町である。

足守藩は慶長6年(1601)豊臣秀吉の正室北政所(ねね)の兄にあたる播磨姫路城主木下家定が、領地を備中に移され、賀陽郡、上房郡内に二万五千石を領したことに始まる。慶長13年(1608)家定が没したときの、遺領相続問題で領地を没収され、浅野長晟が足守周辺を領したが、慶長18年(1613)浅野長晟は本家の跡継ぎで紀伊和歌山領主となり、足守藩領は幕府領となった。元和元年(1615)木下利房は大坂の陣の功により、旧領を与えられ陣屋を構えた。そして陣屋町の建設に着手したのは、寛永14年(1637)に四代藩主となった木下利当。没するまでの二十数年間を本陣と陣屋町の整備に費やし、その子五代利貞のころにはほぼ完成を見ることができた。木下氏は利房のあと11代256年にわたりこの地に留まり、明治維新を向えた。

(古い町並みウェブサイトより)

現地説明版、パンフレット

                                

足守の町並みの北西に田上寺跡(現在は墓地)がありその参道の入り口に文英様石仏があるというので探しに行ったが、見つけることができなかった。後刻、訪ねた備中足守まちなみ館にその写真があったが、係の方は何もご存じでなかった。また出直すか。

            

その近くで可愛い二尊石仏があった

        

町並みに戻る途中の花とシオカラトンボ

                      

足守藩屋形構跡、現在は公園である。陣屋の建物は現存していないが、周囲の堀と石垣が残っている。

                            

木下利玄生家

木下家十四代木下利玄の生家。明治十九年(1889)- 大正十四年(1925)。歌人。武者小路実篤や志賀直哉らとともに雑誌「白樺」を発刊。利玄調といわれる歌風を完成させ、明治大正の文学史に大きな足跡を残した。

                            

県指定名勝 近水園(おみずえん) 江戸初期

足守藩主木下家の庭園、足守川の水を引き入れた池泉を中心に回遊式をとる小堀遠州流のもの。

                                                                              

池畔に建つ吟風閣は、六代当主木下きん定が京都の仙洞御所と中宮御所の普請を仰せつかった折、その残材を持ち帰って建てた数寄屋造りの建物。

                                      

それから

    

市重文 旧木下権之助屋敷表門(北木門) 江戸後期 弘化三年(1846)再建

明治期には足守小学校正門として使われたが、現在は同校庭東南隅に移築。

                

県重文 旧足守藩侍屋敷遺構 江戸中期

白壁の長屋門と土塀に囲まれた、足守藩家老杉原家旧邸宅。保存状態がよく、当時の武家の生活様式を知る上で貴重なである。母屋は伝統的な武家書院造である。

                                                                                                                                                                      

足守町並み保存地区の足守歴史ふれあい通りを歩く。

                                            

ちょっと洒落た住宅もある。

            

旧足守商家 藤田千年治邸

本瓦葺き入母屋二階作り漆喰塗り。醤油製造業をはじめた創始者で代々の当主がその名を引き継いだ。江戸時代末から明治にかけて建築された。

建物外部

                              

建物内部、玄関、小売り場、帳場

                                  

醤油工場

                              

中庭から見る。

                        

米蔵

                          

その他

    

町並みをさらに南に進む。備中足守まちなみ館や足守プラザがあるが、バスの時間があってゆっくりできなかった。

                                        

参考資料

備中・陣屋町あしもり探訪ガイド「足守物語」


Dec.2011 野崎順次

岡山県岡山市下足守

葦守八幡神社鳥居

(Torri, Shinto Shrine Archway, of Ashimori Hachimanjinja Shrine, Okayama City, Okayama)

撮影日: 2011年12月5日

重文 八幡神社鳥居 室町前期 康安年(1361)

建立年代が明らかな日本最古の鳥居である。葦守八幡神社の南にのびる参道の先端に立っている。花崗岩製で柱の下部に控柱を取り付けた両部鳥居である。最大高405cm、基部における柱の心々間は343cmを測る。笠木は断面五角形、左右の端は真反りをみせ、両端を垂直に切っている。向かって右の本柱には「大工沙弥妙阿 康安元年(1361)辛丑十月二日願主神主 賀陽重人 祝師僧頼澄」の銘文がある。なお、石大工妙阿は鼓神社宝塔も造っている。

全景

            

基部の控柱詳細

            

前面の詳細

            

背面の詳細

              

参考資料

岡山市HP

岡山県岡山市北区下足守305

守福寺宝殿(しゅふくじほうでん)

(Holy Shrine at Shufukuji Temple, Okayama City, Okayama)

撮影日: 2011年12月5日

アプローチ

葦守八幡神社石鳥居を見たあとに里道をたどる。石仏の多い土地である。

                  

守福寺の参道を上がる。守福寺は、現在無人の臨済宗東福寺派の寺院。崩れかけた廃屋が怖い。

            

重文 守福寺宝殿 南北朝 暦応元年(1338)

この宝殿は、花崗岩(かこうがん)製で、屋根は正面切妻・背面寄棟風に造り、正面に簡素な方柱を立て庇を出した、いわゆる春日造社殿の形式にならった高床式である。全体的に素朴な造りであるが木造建築の細部構造を一部に刻みだしている。向拝の石柱に「暦応(りゃくおう)元年(1338)11月22日」の銘がある。裏山に所在していたとのことであり、京都神護寺所蔵の「足守荘絵図」には吉福寺背後の山腹に王子堂と書かれた 祠が描かれ、これがこの宝殿の前身であったと考えられる。

                                  

昼なお暗い境内、奥の石段を上ると墓地。

            

帰途、明るい田園地帯をぶらぶら歩いた。

                

参考資料

現地解説板(平成5年3月 岡山市教育委員会)

 


Nov.2009 撮影:高橋久美子

                                                                                                            


May 2008 撮影:瀧山幸伸 source movie

  

足守藩 侍屋敷

Ashimorihan Samurai yashiki

                                                  

近水園

Omizuen

                                                  

木下利玄生家

Kinoshita Rigen home

        

街並

      

                                        

藤田千年治邸

Fujita Sennenji tei

                            

緒方洪庵 誕生地

Ogata Kouan birth place

      

  

守福寺宝殿

Shuhukuji Houden

                

  

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