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岡山県高梁市 吹屋銅山 
Fukiya copper mine,Takahashi city,Okayama

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Nov.1.2016  中山辰夫


吉岡銅山‐笹畝坑道
岡山県高梁市成羽町中野1987



近代化産業遺産
江戸時代 から銅とベンガラ の産地として繁栄した吹屋銅山の坑道と採掘現場の遺構である。
807年 (大同2)年の発見と伝える歴史ある銅山の町「吹屋」が1977(昭和52)年 に国の重要伝統的建造物群保存地区 として選定されたのを受けて、吹屋銅山の保全事業として、銅山坑口の一つで、 1972(昭和42)年 の閉山まで黄銅鉱・磁硫鉄鉱を産出していた笹畝坑道の整備が行われ、 1979(昭和54)年 11月に一般公開された。
アップダウンが多く変化にとんだ坑道の整備部分の延長は320m。

ベンガラ館の東方にある。坑内の一部が公開されている。
位置
 

歴史
 
吹屋銅山(吉岡銅山)は大坂の泉屋(住友の前身)が開発し、のちに地元の大塚家が再開発して幕末まで操業した。
1873(明治6)年)、三菱の岩崎彌太郎が買収し、近代的な技術を導入、地下水制御に成功して日本三大銅山に発展させた。
最盛期には1600人以上の従業員がいたが、鉱石の品位低下により1917(昭和6)年に休山、戦後再開したが、1972(昭和47)年に閉山した。

坑道内に入る
  
管理事務所で黄色のヘルメットを着用し、守護神の小祀が置かれた坑道口から入る。

      
両側の岩肌は湿っぽく水がしみ出ている。外気と坑内との気温差は大体15度位とのこと。道幅は狭く、腰をかがめながら前進する。
過日の鳥取地震でもビクともしなかった坑内、左右の岩盤からうなずける。

    
まもなくドームとよばれるスペースに着く。野良着の人形が作業振りを見せてくれる.夫婦での作業者も多かったようで、仕事の分担を決めていたとか。

 
坑内断面図 鉱夫はノミとツチで這うように掘り進んだ。

        
さらに坑道を奥へ進む。左手下に斜坑口がある。その先は鉄柵があって前には進めない。露出した黄銅鉱が緑青のように光っている。

      
ドームまで引き返し、急な階段を約100段上って出口へ急ぐ。

出口 「幕府御用銅山 笹畝坑道」と添え書きのある看板が迎える。
    


Jan.13,2013 野崎順次 HD video

岡山県高梁市成羽町吹屋
吉岡銅山笹畝坑道
(Sasaune Pits of Yoshioka Copper Mine, Takahashi City, Okayama Pref.)

撮影日: Jan. 13, 2013

古文書によると、吹屋銅山(当初は銀山)大同2年(807年)に発見されたとある。戦国時代地方の豪族尼子氏、毛利氏の領有するところとなった。徳川時代は直轄地(天領)となり,最も栄えたのは泉屋(住友)が採掘経営した元禄年間で、日本六大銅山の一つとなった。次いで大塚宗俊の子孫代々が吹屋銅山を経営し幕末に至る。明治6年(1873)岩崎弥太郎(三菱)に移り,水力自家発電により選鉱,精錬,坂本から成羽まで,トロッコ専用道路を敷設するなど近代鉱業として明治年間大いに栄えた。だが、昭和期に入り次第に衰え現在は閉山されている。

多くの銅山坑口がある中で、笹畝坑道は変化に富み,当時の面影を残す坑道跡として復元整備され,昭和54年11月から一般に公開している。

現地説明板とパンフレット

    

管理小屋で入場券を買い、ヘルメットを借りる。明日から3月末まで坑道改修工事で閉鎖とのこと、滑り込みセーフであった。

     

同じレベルに入口があり、出口は20m位上である。ちょうど二人出てきたので、坑内ではずっと独りだった。

     

狭い通路をほぼ水平に進む。

         

左右下に坑道が広がり、中央部はちょっとした地底のドームである。
      

さらに進むと少し広いところには江戸時代の人足が岩にへばりつくようにして働いている。
人形だと分かっているので怖くない。

          

中央のドームに戻る。ここから上に上り、狭い通路をほぼ直進すると出口である。

       

出口から下る。途中に床場(精錬所)跡。

      

参考資料
出典:笹畝坑道冊子



May 2011 瀧山幸伸 HD video

  

A camera


笹畝坑道
Sasauner mine

                    

B camera

           


吉岡銅山
Yoshioka mine

                




July .2005 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD Quality Video FAQ

笹畝坑道
Sasauner mine

江戸時代から大正時代まで操業した銅山の坑道を復元し、坑内を見学できるようにした。
大同2年(807)に発見されたと伝えられている。
元禄年間(1690)から、泉屋(住友)が35年間、その後享保、天保年間、地元の福岡屋(大塚)が107年間、明治(1873)から岩崎(三菱)が57年間運営した。
岩崎は日本で最初に洋式採鉱精錬を導入し、日本三大銅山の一つであった。

   





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