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岡山県倉敷市 遍照院三重塔

(Henjoin Three-storied Pagoda, Kurashiki, Okayama)

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倉敷市西阿知町464 遍照院三重塔 重文 近世以前/寺院 室町中期 応永23(1416) 三間三重塔婆、本瓦葺 蟇股1個 19250424


Sep.22, 2014 瀧山幸伸 source movie


Dec 2010 撮影/文: 野崎順次

岡山県倉敷市西阿知町464

撮影日: 2010年12月18日

重文 遍照院三重塔

開山智空上人が寛和元年(985年)に創立した後、応永23年(1416年)に智海僧正が再建したものである。建物は、和様形式を主体とし、方三間、屋根は本瓦葺で、屋根の相輪は青銅製、柱は総円柱である。軒は二重繁たる木、木割壮大にして軒の出深く、軒隅反転しており、斗拱(ますぐみ)は和様三手先となり、高さは外周地盤より、22.25mである。この塔の最も特長とする所は、軸部を中心に初重ニ重三重を組み立て、それに屋根を組み合す建築様式で、この種の建物では、わが国最古のものである。内陣の須弥壇は唐様形式をとり入れ、壇上には本尊として、金剛界の大日如来を祀る。総じて室町時代特有の手法をよく遣し、塔全体の各部比例や、軒反りの調子は寸毫も間然する所なく、その荘重優麗な偉容は儼として四隣を圧している。

真言宗御室派別格本山 神遊山 遍照院

当院は神遊山神宮寺遍照院と称し、花山天皇の御叡願により、寛和元年(985年)智空僧正の開創せられた寺であって、延久元年(1069年)後三条天皇の勅願所に列せられたと伝えられている。ご本尊は十一面観世音菩薩。総高5尺1寸、一本彫の霊佛である。往古は31ヶ寺の末寺を有する当地方に於ける唯一の中本寺であった。天正年間には毛利家より寺領2000石を与えられ伽藍完備し、寺運も興隆したが、其の後時勢の推移により寺門も次第に衰微するに至る。後に徳川時代には、領主池田家より寺領50石を与えられ法脈を保つ。末寺も江戸末期には23ヶ寺となり、昭和初期には18ヶ寺を有した。現在は、御室派別格本山に列する。創立以後、数度の火災や水害の為、什宝物書類が流失した為に、正確な古記録を残さない事は残念であるが、広大な境内と、その堂伽藍の配置を見るにつけても格式高い遍照院の昔の面影をよく偲ぶことができる。

倉敷市西阿知町

市指定・有形民俗文化財 

阿知五輪石塔(あちごりんせきとう)

仏教の世界観では、万物は地・水・火・風・空からなるとされる。五輪塔の各部は、上から空輪、風輪、火輪、水輪、地輪と呼ばれ、それらの五大要素をあらわす。西阿知町内の県道脇に立つこの五輪塔は「あちまろさま」の通称で今も近隣の住民から親しまれている。軟らかい石質の豊島石(角礫質凝灰岩)で造られているため、表面の風化がかなり進んでいる。地輪の三方には仏像らしい浮き彫りの痕跡が認められるが細部ははっきりとしない。室町時代末から少し後にかけての作といわれ、台石を含め約3mの外観からは、ほのかに中世の香りが漂う。

西阿知界隈からJR西阿知駅

参考資料

遍照院HP

倉敷市HP

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