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岡山県岡山市北区 神宮寺山古墳
Jingujiyama kofun, Okayama City, Okayama

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April 9, 2017 野崎順次 movie

岡山県岡山市北区
神宮寺山古墳
(Jingujiyama Tumulus, Kita-ku, Okayama City, Okayama Pref.)

岡山市中井町一丁目にある前方後円墳で、国指定史跡である。墳長約150 m、後円部径約70m、後円部高約13m、前方部長75mで、後円部三段築成、前方部二段築成である。平地にあり、周濠をめぐらすと考えられていたことから、中期(西暦5世紀〜6世紀)古墳とされていたが、埴輪などの検討から現在は、前期(西暦3世紀後半〜4世紀)古墳と考えられている。また岡山市教育委員会による隣接地の発掘調査から、整った周濠がめぐるといったことも否定されている。内部主体は竪穴式石室である。中心主体とは別の小石室から、刀や剣などの武器や農具などの鉄器が出土した。
 旭川両岸にひろがる平野周辺には、墳長100 mを越える大形古墳が、この古墳とは別に2基も築かれている。前期に旭川流域の勢力は、最も隆盛をむかえたといえる。しかし中期以降、大形古墳がこの地に営まれることはなく、吉備の中心勢力は、造山古墳などを造営した足守川流域に集約されていく。それは大和から河内へと大形古墳の造営が移動する時期と極めて近接する時期である。
(岡山市ウェブサイトより)

現地説明板
  

後円部、頂上部に天計神社が鎮座する。
                

前方部を見下ろす。お墓がある。
   

前方部に降りる。

   

後円部を見る。
      

近くにレトロなコンクリート橋があった。榮橋で昭和15年建設。
           



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神宮寺山古墳は、岡山県岡山市北区中井町にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。
岡山県南部、岡山市街地中心部からやや北方の、旭川西岸の沖積平野に築造された大型前方後円墳である。古くは江戸時代の文献にも記事が散見される。現在は後円部墳頂に式内社の天計神社(あまはかりじんじゃ、旧村社)が鎮座するが、これは岡山城主の小早川秀秋により北方村から移されたものといい、かつては別当坊の妙法山神宮寺も存在した(寛文年間(1661-1672年)に廃寺)。これらの造営に加えて、前方部は墓地化し、周囲も開発が進んでおり、現在までに墳丘は大きく改変されている。
墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける。墳丘は後円部で3段築成、前方部で2段築成で、大部分が盛り土による。墳丘表面では葺石・円筒埴輪が検出されているほか、墳丘北側では造出の存在可能性がある。周溝の有無は定かでない。主体部の埋葬施設は、後円部墳頂に位置する竪穴式石室で、そばには副葬品埋葬用の小竪穴式石室(副室)も存在するほか、前方部にも別の主体部の存在も推測される。
この神宮寺山古墳は、出土埴輪から古墳時代前期後半-中期初頭の4世紀後半-5世紀初頭頃の築造と推定される。吉備地方の古墳の多くは丘陵地に築造されるが、大型前方後円墳としては珍しく沖積地(古墳築造の不適地)に築造された点で注目される古墳になる。被葬者としては、『日本書紀』応神天皇22年条に見える「三野県」を当地(御野)と見て、その三野県に封じられたという弟彦(吉備弟彦、三野臣祖)に比定する説がある。なお旭川流域では、古墳時代前期には大型古墳として神宮寺山古墳のほか金蔵山古墳(岡山市中区沢田、165メートル)・湊茶臼山古墳(岡山市中区湊、125メートル)が築造されたが、中期には大型古墳の築造はなくなり、代わって中期の営造地は足守川流域(造山古墳など)に集約される。
古墳域は、1959年(昭和34年)に国の史跡に指定されている。
(wikipedia)

            

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