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岡山県岡山市中区 少林寺

(Shorinji Temple, Naka-ku, Okayama City, Okayama Pref.)

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江戸中期の池泉鑑賞式庭園、石造物多数
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July 21, 2018 野崎順次 source movie

岡山県岡山市中区国富2-1-11

臨済宗妙心寺派

國富山 少林寺

この寺は赤穂藩2代藩主池田輝興が、兵庫県赤穂市に建立した長松山盛岩寺を前身とする。

輝興は正保2年(1645年)不行状を理由に改易となり甥の岡山藩主池田光政の預かりとなった。輝興は正保4年(1647年)岡山で死去した。万治3年(1660年)盛岩寺をこの地に移転し、法隣を開山和尚に迎え国富山少林寺と改称した。以後、輝興の菩提寺となった。

寺院内には小堀流の庭園があり、元禄12年(1699年)築庭と伝えられる。幕末の岡山藩筆頭家老であった、伊木忠澄は隠居後、三猿斎と号しこの寺院に三猿堂を結び茶の湯を楽しんだ。

(ウィキペディア「少林寺(岡山市)」より)

重森三玲「日本庭園歴覧辞典」に少林寺庭園が選ばれている。但し、作庭時期は江戸中期としている。

少林寺は県立朝日高校の裏手にある。同校の前身は岡山一中で、岡山城の南にあった。私の父が通い野球部で活躍したという。北の石垣沿いに東へ進むと少林寺がある。

       

山門から境内へ

                       

本堂、書院

            

庭園側の方丈書院

        

少林寺庭園 江戸中期

さて本庭は和楽園ともいう、方丈書院の南東庭に当たり、面積は三百二十坪ほどあり、池泉回遊式の庭である。本庭は上部の山畔を利用して、そこに小石多数を組み、北部に滝を落とし、池庭はやや細長く作られている。そしてこの池庭の中央部が突出していることは、江戸中期初頭の地割として典型的なものである。

このような池庭は、元禄の前の天和頃から始まるが、ただ中央部が本庭のように強く出島となるのは、やはり享保頃からである。そして滝を向って左方に作ることも、元禄頃を中心として各地の庭に見られる。

全体的には、すでにこの時代の石組が小石となることや、小石の関係で、多数の石を用いることも、江戸中期の典型である。本庭の滝の石組なども、元禄頃から見られる手法であるが、どことなく弱くなっている。東部上方に登ると、そこには排水溝が作られているが、このような山畔の庭には洪水を防ぐために申分ないやり方であり、これも中期頃の庭によく出てくるやり方である。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」少林寺庭園より)

                    

少し高台に石碑、石仏が並ぶ。

                             

建物跡の礎石(焼失した三猿堂か?)

         

伊木三猿斎夫妻の墓

    

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