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岡山県備前市 旧閑谷学校

Kyu Shizutani Gakko,Bizen City,Okayama

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備前市閑谷784 閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠) 本殿(芳烈祠) 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享3(1686) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠) 幣殿(階) 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享3(1686) 桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠) 拝殿(中庭) 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享3(1686) 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠) 中門(外門) 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享3(1686) 四脚門、切妻造、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠) 神庫(庫) 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享3(1686) 土蔵造、桁行3.5m、梁間2.5m、一重、切妻造、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠) 石階 重文 近世以前/その他 江戸中期 貞享3(1686) 石造階段13級(玉垣を除く) 19380704

備前市閑谷784 閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠) 練塀 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享3(1686) 門左右より起り四面一周、延長92.7m、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠) 繋牲石 重文 近世以前/その他 江戸中期 貞享3(1686) 石柱 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校 講堂 国宝 近世以前/その他 江戸中期 元禄14(1701) 桁行19.4m、梁間15.6m、一重、入母屋造、本瓦葺 壁書1枚、丸瓦1枚 19380704 19531114

備前市閑谷784 旧閑谷学校 小斎 重文 近世以前/その他 江戸中期 延宝5(1677) 桁行8.8m、梁間5.6m、一重、入母屋造、こけら葺 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校 習芸斎及び飲室 重文 近世以前/その他 江戸中期 元禄14(1701) 桁行13.7m、梁間6.9m、一重、入母屋造、本瓦葺、玄関 桁行6.0m、梁間2.0m、一重、入母屋造、本瓦葺、釣屋 桁行4.0m、梁間3.3m、一重、両下造、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校 文庫 重文 近世以前/その他 江戸中期 延宝5(1677) 土蔵造、桁行9.7m、梁間3.9m、二階建、切妻造、東西庇付、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校 公門 重文 近世以前/その他 江戸中期 元禄14(1701) 一間薬医門、本瓦葺 左右練塀2棟 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校聖廟 大成殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享元(1684) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺 聖龕1基、石橋1基 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校聖廟 東階・西階(東階) 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享元(1684) 桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校聖廟 東階・西階(西階) 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享元(1684) 桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校聖廟 中庭 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享元(1684) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校聖廟 外門 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享元(1684) 四脚門、切妻造、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校聖廟 練塀 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享元(1684) 門左右より起り四面一周、延長92.6m、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校聖廟 文庫 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享元(1684) 土蔵造、桁行3.9m、梁間3.0m、一重、切妻造、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校聖廟 厨屋 重文 近世以前/神社 江戸中期 貞享元(1684) 土蔵造、桁行3.8m、梁間3.1m、一重、切妻造、本瓦葺 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校聖廟 繋牲石 重文 近世以前/その他 江戸中期 貞享元(1684) 石柱 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校聖廟 石階 重文 近世以前/その他 江戸中期 貞享元(1684) 石造階段19級 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校聖廟 校門(鶴鳴門) 重文 近世以前/その他 江戸中期 貞享元(1684) 桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺、左右附属屋 各桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺 左右練塀2棟 19380704

備前市閑谷784 旧閑谷学校石塀 重文 近世以前/その他 江戸中期 元禄14(1701)頃 石築塀、校門左右より起り敷地一周、折曲り延長764.9m 飲室門1棟 19380704


Nov.28,2023 瀧山幸伸 source movie

    

旧閑谷学校外部

津田永忠宅跡

        

黄葉亭

                    

 

外部を学坊跡まで往復

                                                                       

 

旧閑谷学校内部

                                                                                 

学坊跡周辺

               

                                                     

戻り

                    

   

 

 


Feb.22,2017 瀧山幸伸

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石橋 泮 池

     

校門(鶴鳴門)

                

公門(御成門)

     

飲室門

  

入口

     

閑谷神社

                                      

聖廟 外門(中門)と石階

      

講堂、小斎、習芸斎及び飲室、文庫

                                                                                                                                   

火除山、資料館(学舎 学坊跡)

                                                                                                                       

椿山

                             

津田永忠宅跡

     

黄葉亭

                                

石門

          


Aug.04.2015 中山辰夫

岡山県備前市閑谷784

閑谷学校を創設したのは、名君の誉れ高かった岡山藩主池田光政。1666(寛文6)年池田家墓所の選定のために、津田永忠の案内で和気郡木谷村(今の閑谷)に立寄り、その風光明媚な環境に感動し「ここはゆくゆく学校を建てるべきところである」と申し含めた。やがて1670(寛文10)年、津田永忠に学校の設立を命じた。これが閑谷学校の始まりである。

石 門(せきもん) 国重要文化財

学校の南1km、旧道を挟んで頭部を擬宝珠型に刻んだ二本の石柱がある。学校の入口を示す表門である。生徒はここから襟を正して登校した。

記録では4.05mほどあったとされるが、今は先端のみが露出している。

  

泮 池(はんいけ) 国重要文化財

「つばきばし」を過ぎると学校の校域で、泮池につく。

    

巾7m、長さ100mを越える池があり、これに石橋が架けられ、藩校の象徴として設けられたようだ。半月形で、中央に泮橋、左右に石階がある。

校内案内・他

     

校門「鶴鳴門」 国重要文化財

                 

あいにく改修中でした。桟唐戸の門扉が開閉するとき鶴が鳴く声に似ているところから鶴鳴門と名付けられた。切妻造、備前焼本瓦葺、花頭窓付の付属屋、シャチ鉾、門の上端の隅を丸めて花頭口としている。

石塀 国重要文化財

               

閑谷を訪れた誰しもが圧倒されるのが石塀。鶴鳴門の左右からスタートして、学校の周囲765mを一周している。幅・高さ共に約2mの蒲鉾型の石組。

不整形な石を隙間なく組み合せて出来ている。その仕上げの均一性、見事さに驚かされる。1701(元禄14)年の築造から、300年以上経過するも草一本ない。

講堂 国宝

               

閑谷学校の中心的建物。屋根は備前焼本瓦葺、大屋根の上に小屋根が覆いかぶさった錣葺が特徴。

講堂内部

          

10本のケヤキの円柱で支えられ、母屋(もや)と廂(ひさし)の間に分かれ、花頭窓を設けて美観を添えているが、額以外は装飾がない。

池田治政の「克明徳」・「朱文公学規」・伊藤豫(綱政)と署名のある「定」の壁書が掲げてある。築後300年を全く感じさせない。

小斎(しょうさい) 国重要文化財

     

藩主が学校を訪れた際に使用される建物。質素な作りである。僅か四畳半二間で、二の間には暖炉がある。天井は矢竹を組んだだけ。

習芸斎(しゅうげいさい)・飲室(いんしつ) 国重要文化財

          

習芸斎は教室、飲室は師匠と生徒の休憩室 炉や流し場もあるが炉縁には「斯炉中炭火之外不許薪火」と刻まれている。生徒は教えを守ったようで天井がくすんでいない。

文庫 国重要文化財

     

文庫は書籍などを所蔵する土蔵造理の建物。入り口は四重戸で厳重を極めているが、要望に応じて貸出していた。

火除山(ひよけやま)

     

高く築いた石垣の上に大量の盛土をした小丘。その西側に茅葺の建物があり、防火壁の役割を持たせて造られた。

資料館(学舎 学坊跡) 国登録文化財

          

かつての学坊跡に建ち、建物は1905(明治38)年に閑谷中学校本館として建てられた擬洋風の木像2階建。

閑谷学校の設立から昭和時代に至る学校の歴史が展示してある。

公門 国重要文化財

      

藩主専用の門 小斎の南にある。

飲室門(いんしつもん) 国重要文化財

      

聖廟(せいびょう) 国重要文化財

孔子廟または西御堂ともいい、儒学の殿堂の中心をなす建造である。聖廟の諸建築は中国の文廟の制を研究して配置されたという。最も古い建物である。

   

外門(中門)と石階 (国重要文化財)

   

校門—鶴鳴門がよく見える

錬塀に囲まれて中庭(拝殿)・東西の階(かい)、大成殿と前後に並び、西庭に厨屋(くりや)・文庫・及び繋牲石(けいせいせき)がある。

            

大成殿(本殿)の内部

 

閑谷神社 国重要文化財

              

創建者池田光政を祀るために1686(貞享3)年に建てられた。明治8年、池田輝政・利隆の霊を合祀して閑谷神社となる。聖廟と並びながらも、一段と低く位置し、建物もやや小さめに、質素に建てられている。学問の場に相応しく配慮されている。

池田光政坐像

 

椿山

       

閑谷神社の東に接し、光政の髪、髭、爪、歯を収めたところで、1705(元禄15)年に成った。光政が愛したツバキが植えられている所から椿山という。

櫂(かい)の木

     

ウルシ科に属する落葉高木で、本来は日本になかった。孔子の墓所で採取された種から、発芽・育苗に成功した内、2本が寄贈された。東京湯島聖堂や佐賀県の多久聖廟の櫂の木も同じ物時のもの。赤(左)と黄(右)の紅葉はその樹形と共に有名。


Feb 3.2013 大野木康夫 source movie

所在地 岡山県備前市閑谷784

寛文6年、岡山藩主池田光政が領内庶民子弟教養のため創めたもので、一部変改の跡はあるが、聖廟、講堂、小斎、習芸斎、文庫、門、石塀、石橋、石門等の主要部が極めてよく遺存している。

聖廟の東に接して光政を祀る芳烈祠(閑谷神社)が建てられ、その東隣に光政の髪瓜歯を埋めた椿山がある。

また附近に創立に当って専ら経営のことに当った津田永忠の宅跡及び黄葉亭がある。

郷学ではあるが、規模、建造物何れも優れ、江戸時代における学校施設の典型として教育史上価値が極めて高い。

(文化遺産オンラインより)

石門

かつての閑谷学校の敷地入口、現存の校地から南に離れて位置します。

高さ3.8メートルの一対の石柱ですが、徐々に埋立てられ、現在は先端部分のみ露出しています。

     

駐車場からの遠望

    

ハン池(ハンはさんずいに半)と石橋

石橋は聖廟大成殿(重要文化財)の附指定です。

    

石橋から北、聖廟方面を見ると、校門(鶴鳴門)が見えます。

各建物とも、備前焼の赤瓦が特徴的です。

校門(鶴鳴門)(重要文化財)

貞享元(1685)年の建築

桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺、左右附属屋 各桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺

附指定:左右練塀2棟

                        

校地は丸みを帯びた石塀に囲まれています。

石塀(重要文化財)

元禄14(1701)年頃の構築

石築塀、校門左右より起り敷地一周、折曲り延長764.9m

           

入り口は校門から東にあります。

  

校内に入ると、やはり国宝の講堂に目が行きます。

講堂(国宝)

元禄14(1701)年の建築

桁行19.4m、梁間15.6m、一重、入母屋造、本瓦葺

附指定:壁書1枚、丸瓦1枚

                          

講堂内部

          

講堂の南は藩主が講義を聞いた小斎です。

小斎(重要文化財)

延宝5(1677)年の建築

桁行8.8m、梁間5.6m、一重、入母屋造、こけら葺

             

講堂の西は習芸斎、その西は棟続きで飲室です。

習芸斎及び飲室(重要文化財)

元禄14(1701)年の建築

桁行13.7m、梁間6.9m、一重、入母屋造、本瓦葺、

玄関 桁行6.0m、梁間2.0m、一重、入母屋造、本瓦葺、

釣屋 桁行4.0m、梁間3.3m、一重、両下造、本瓦葺

                    

飲室の西に文庫が建っています。

文庫(重要文化財)

延宝5(1677)年の建築

土蔵造、桁行9.7m、梁間3.9m、二階建、切妻造、東西庇付、本瓦葺

          

小斎の南には藩主専用の門である公門が建っています。

公門(重要文化財)

元禄14(1701)年の建築

一間薬医門、本瓦葺

附指定:左右練塀2棟

               

飲室の南には通用門である飲室門が建っています。

飲室門は石塀の附指定です。

      

講堂の東、校門の北正面に聖廟の建物が残っています。

     

石階(重要文化財)

貞享元(1685)年の建造

石造階段19級

   

外門(重要文化財)

貞享元(1685)年の建築

四脚門、切妻造、本瓦葺

       

外門を入ると中庭、階、大成殿が並んでいます。

   

中庭(重要文化財)

貞享元(1685)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺

        

中庭と大成殿の間には東西の階が設けられています。

  

東階(重要文化財)

貞享元(1685)年の建築

桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺

  

西階(重要文化財)

貞享元(1685)年の建築

桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺

    

大成殿(重要文化財)

貞享元(1685)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺

附指定:聖龕1基、石橋1基

石橋は既出のもの(ハン池にかかっている石橋)で、内部の厨子が聖龕です。

孔子が祀られています。

            

廟堂の西に土蔵が2棟設けられています。

厨屋(重要文化財)

貞享元(1685)年の建築

土蔵造、桁行3.8m、梁間3.1m、一重、切妻造、本瓦葺

        

文庫(重要文化財)

貞享元(1685)年の建築

土蔵造、桁行3.9m、梁間3.0m、一重、切妻造、本瓦葺

      

大成殿の西に繋牲石が設けられています。

繋牲石(重要文化財)

貞享元(1685)年の設置

石柱

       

周囲の練塀も重要文化財です。

練塀(重要文化財)

貞享元(1685)年の建築

門左右より起り四面一周、延長92.6m、本瓦葺

    

聖廟の東に、創立者の岡山藩主池田光政公を祀った芳烈祠(閑谷神社)があります。

    

石階(重要文化財)

貞享3(1686)年の建造

石造階段13級(玉垣を除く)

  

中門(外門)(重要文化財)

貞享3(1686)年の建築

四脚門、切妻造、本瓦葺

        

拝殿(中庭)、幣殿(階)、本殿(芳烈祠)が並んでいます。

        

拝殿(中庭)(重要文化財)

貞享3(1686)年の建築

桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、本瓦葺

              

幣殿(階)(重要文化財)

貞享3(1686)年の建築

桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺

      

本殿(芳烈祠)(重要文化財)

貞享3(1686)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺

       

拝殿(中庭)の西に庫が建っています。

神庫(庫)(重要文化財)

貞享3(1686)年の建築

土蔵造、桁行3.5m、梁間2.5m、一重、切妻造、本瓦葺

        

本殿(芳烈祠)の西に繋牲石が設けられています。

繋牲石(重要文化財)

貞享3(1686)年の設置

石柱

   

周囲の練塀も文化財指定されています。

練塀(重要文化財)

貞享3(1686)年の建築

門左右より起り四面一周、延長92.7m、本瓦葺

  

帰路、ハン池と石塀の間の芝生が焼かれていました。

                          


Aug.2012 野崎順次 source movie

岡山県備前市閑谷

旧閑谷学校

(Former Shizutani School, Bizen City, Okayama Pref.)

撮影日: 2012年8月25日

閑谷学校は、岡山藩主池田光政(いけだみつまさ)(1609〜82)が、家臣津田永忠(つだながただ)(1640〜1707)に命じて創設した藩営の学校で、寛文十年(1670)に備前国和気郡木谷村の地に仮学校を設けたのがその起源である。学校には、藩士の子弟だけでなく、百姓の子弟にも入学を許した。また、学校経営のために近隣の所領が「学田」とされた。元禄年間には、校地を囲む石塀や聖廟・講堂をはじめとする施設の多くが整備された。

光政と永忠の没後、藩の方針により一時廃校の危機に見舞われたが、その後は順調に発展し、江戸時代後期には、郷学<ごうがく>として全国的に名を知られた。維新後の明治三年(1870)に閉鎖されたが、同6年に有志による私立学校として再興、その後、県立中学校、高等学校となり、県立和気高等学校閑谷校舎として存続したが、昭和39年(1964)に閉校した。

旧校地は特別史跡、建物は講堂が国宝、その他校内の主要建物は重要文化財に指定されている。旧校地の一部に社会教育施設県青少年教育センター閑谷学校が設立され、その名をとどめている。

パンフレット、現地説明板

                    

国重文 はん池と石橋

            

閑谷学校の遠景

    

国重文 旧閑谷学校石塀 いしべい 江戸中期 元禄十四年頃(1701頃)

石築塀、校門左右より起り敷地一周、折曲り延長764.9m

敷地西端の資料館から石塀と門をたどる。最初は校厨門。

        

国重文 飲室門

       

石塀

   

国重文 公門 こうもん 戸中期 元禄十四年(1701)

一間薬医門、本瓦葺

       

再び、石塀

     

国重文 校門(鶴鳴門) こうもん(かくめいもん) 江戸中期 貞享元年(1684)

桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺、

左右附属屋 各桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺

                  

入場門辺りで石塀の断面が見える。石塀は山の中腹へと延びる。

     

門の中に入って敷地を見渡す。

     

閑谷神社

    

国重文 中門(外門) ちゅうもん(そともん) 江戸中期 貞享三年(1686)

四脚門、切妻造、本瓦葺

国重文 練塀 ねりべい 江戸中期 貞享三年(1686)

門左右より起り四面一周、延長92.7m、本瓦葺

国重文 石階 せっかい 江戸中期 貞享三年(1686)

石造階段13級(玉垣を除く)

   

国重文 拝殿(中庭) はいでん(なかにわ) 江戸中期 貞享三年(1686)

桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、本瓦葺

       

国重文 幣殿(階) へいでん(きざはし) 江戸中期 貞享三年(1686)

桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺

国重文 本殿(芳烈祠) ほんでん(ほうれつし) 江戸中期 貞享三年(1686)

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺

               

国重文 繋牲石 けいせいせき 江戸中期 貞享三年(1686)

国重文 神庫(庫) しんこ(こ) 江戸中期 貞享三年(1686)

土蔵造、桁行3.5m、梁間2.5m、一重、切妻造、本瓦葺

    

聖廟前の楷(かい)の木

        

聖廟 せいびょう

国重文 外門 がいもん 江戸中期 貞享元年(1684)

四脚門、切妻造、本瓦葺」

国重文 石階 せっかい 江戸中期 貞享元年(1684)

石造階段19級

国重文 練塀 ねりべい 江戸中期 貞享元年(1684)

門左右より起り四面一周、延長92.6m、本瓦葺

国重文 東階・西階 とうかい・せいかい 江戸中期 貞享元年(1684)

桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺

国重文 中庭 ちゅうてい 江戸中期 貞享元年(1684)

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺

国重文 大成殿 たいせいでん 江戸中期 貞享元年(1684)

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺

                                

国重文 文庫 ぶんこ 江戸中期 貞享元年(1684)

土蔵造、桁行3.9m、梁間3.0m、一重、切妻造、本瓦葺

国重文 厨屋 くりや 江戸中期 貞享元年(1684)

土蔵造、桁行3.8m、梁間3.1m、一重、切妻造、本瓦葺

国重文 繋牲石 けいせいせき 江戸中期 貞享元年(1684)

           

国宝 講堂 こうどう 江戸中期 元禄十四年(1701)

桁行19.4m、梁間15.6m、一重、入母屋造、本瓦葺

                           

講堂内部

                                               

国重文 小斎 しょうさい 江戸中期 延宝五年1677

桁行8.8m、梁間5.6m、一重、入母屋造、こけら葺

          

国重文 習芸斎と飲室(しゅうげいさいといんしつ 江戸中期 元禄十四年(1701)

桁行13.7m、梁間6.9m、一重、入母屋造、本瓦葺、

玄関 桁行6.0m、梁間2.0m、一重、入母屋造、本瓦葺、

釣屋 桁行4.0m、梁間3.3m、一重、両下造、本瓦葺

             

習芸斎と飲室の内部

              

国重文 文庫 ぶんこ 江戸中期 延宝五年(1677)

土蔵造、桁行9.7m、梁間3.9m、二階建、切妻造、東西庇付、本瓦葺

         

火除山から石塀沿いに資料館へ

       

国登文 閑谷学校資料館 明治38年(1905)

木造2階建、瓦葺、建築面積762㎡

                   

資料館の内部

                

参考資料

国指定文化財等データベース


Nov.2009 撮影:高橋久美子

旧閑谷高校

                  


May 2008 撮影:瀧山幸伸 source movie

  

石門

Sekimon

  

    

講堂

Kodo

                                   

小斎

      

習芸斎及び飲室

              

文庫

  

公門

     

飲室門

     

 

旧閑谷学校聖廟 

Kyu Shizutani gakko Seibyo

  

校門(鶴鳴門)

Koumon

                  

大成殿 東階 西階 中庭

                  

外門 練塀

      

文庫 厨屋

  

繋牲石

 

石階 楷の木

Sekkai Kainoki

      

閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠)

Shizutani jinja

本殿(芳烈祠) 幣殿(階) 拝殿(中庭)

                

中門(外門) 石階 練塀

          

神庫(庫)

   

繋牲石

 

はん池

     

椿山

       

津田永忠宅跡

     

黄葉亭

     


事務局用

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