JAPAN-GEOGRAPHIC.TV

岡山県津山市 津山城跡
Tsuyama castle,Tsuyama city,Okayama

Category
Rating
Comment
General
 
Nature
 
Water    
Flower
 
Culture
 
Facility
 
Food
 


July 18,2015 瀧山幸伸 movie









Apr.2011 野崎順次


岡山県津山市山下83番地3他
国指定史跡
津山城跡(つやまじょうせき)
(Tsuyama Castle Ruins, Tsuyama City, Okayama)

撮影日: 2011年4月16日

津山城は、美作一国を領して津山に入封した森忠政(もりただまさ)が、鶴山に築いた平山城である。忠政は慶長8年(1603)の入封当初は院庄に入るが、領国支配拠点としての適地を探し求めた結果、美作中央部にあって古くから開けていた津山盆地のほぼ中心に位置し、水陸交通の要路に沿い、富川(とがわ)・林田(はいだ)などの宿・市にも程近い鶴山の地を選ぶ。

鶴山の最高所に平地を広く取って本丸とし、これを取り囲むような形で山腹に二の丸・三の丸を階段状に廻らせ、山の大半を石垣で覆い、南を大手(表)・北を搦手(からめて)(裏)とした。南・西・北の山麓(内山下(うちさんげ))は総曲輪(そうくるわ)として、その外周を土塁・濠で固め、東側は直下を流れる宮川及び天然の断崖をそのまま防御線に取り込む。さらには、南の吉井川とその支流である西の藺田(いだ)川を防備上の最前線として、その内側に城下町の主要部を形成している。以上の縄張り確定の前提条件として、吉井川の流路を南寄りに固定する治水工事も必要であった。

森家4代・松平家9代にわたる歴代津山藩主の居城としてその領国経営を支え、文化6年(1809)の本丸御殿焼失以外には大きな損壊を受けることもなかったが、明治の廃藩置県・廃城令によって名実共にその役割を解かれ、明治7年(1874)から翌年にかけて全ての建物が取り除かれた。その後、総曲輪の土塁を崩して濠を埋め立てたことにより、内山下は市街地に取り込まれ、三の丸以内の中枢部も荒れるに任せていたが、旧藩士の間で保存の気運が高まり、明治33年(1900)津山町有の鶴山(かくざん)公園となり、以後はその都度補修・整備されて現在に至っている。鶴山公園とも呼ばれ、日本の歴史公園百選や日本さくら名所百選にも選定されている。

桜の満開を期待して訪れた日は、あいにく盛りを過ぎ花吹雪の終わりかけであったが、それはそれなりに風情がある。

パンフレット、説明板、ポスターなど。

南側がお城の正面入り口であるが、この日は北西の裏下門跡、裏中門跡をたどって、本丸に上がった。

本丸の西に天守閣跡が残る。眺望がいい。

天守閣から降りて西から南の備中櫓(再建)に回る。

本丸の南端から二ノ丸を見下ろす。本丸からの降り口に小さな枝垂れ桜があった。

二ノ丸、三ノ丸とたどって、城の南に降りる。

北西の侍屋敷跡に建てられた津山文化センターの枝垂れ桜。

参考資料
「津山市の国指定文化財」 津山市の公式ウェブサイト






Nov.2009 撮影:高橋久美子

 

All rights reserved 無断転用禁止 通信員募集中