JAPAN GEOGRAPHIC

大阪府千早赤阪村・奈良県御所市 金剛山

Kongosan, Chihayaakasaka village,Osaka/Gose city,Nara

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Sep.11.2014 中山辰夫

金剛山は、大阪府千早赤阪村と、奈良県御所市との府県境にある山。 大阪府の最高地点(1056m)を有し、標高は1125mで、二上山や葛城山の連なる金剛山地の主峰です。

現在、実際の山頂は葛木神社の神域となっており、立ち入る事はできない。大阪府では標高が最も高く、冬は霧氷が見られることで人気がある。 歴史の山としても知られ、古くは『古事記』『日本書紀』に登場するほか、楠木正成が鎌倉幕府軍を相手に奇策を講じて撃退した千早城趾もあって興味深い。

登山ルートはよく整備されており、安心して登れる山として御婦人方にも人気があり、一人で登られる姿も多く見かける。 金剛山へ登る道は多い。今回は千早本道から金剛山を目指すルートを選ぶ。南海河内長野駅からバス、金剛登山口で下車する。

とんがった山が金剛山:標高1125m 案内図

いよいよ登山開始である。頂上まで2800段の階段だと告げられる。道中、道標地蔵が励ましてくれる。

先ずの目標は約700m先の千早城趾 いわれた通り、丸太階段が顔を出す。 案内図

千早城址と千早神社

神社は城跡に建つ。

千早城は楠木一族の本拠地として三代にわたり動乱の世を見つめた難攻不落の城。この城に幕府軍は大軍勢で押し寄せ、給水路断絶や兵糧攻めといろんな手段を使うが、逆に丸太や石を転がしたり、藁人形を襲わせたりする正成の奇策に負傷者が出るばかりであった。

攻めあぐんだ幕府は、向かいの山から長い橋を架け一気に攻め落としを企むが、橋が架かったとたんに油をかけられ、火をつけられた。

正成は城に百日間籠り、全国の討幕勢力を決起させることになった。 城址跡から登る

二合目に達する。10合目が頂上である。楠木正儀の墓を過ぎる。

間もなく3合目である。

道の整備は十分に出来ている。登山者も多い。安全して登れるといわれる所以である。4合目から5合目へ。頂上までは1400m程である。

五合目付近〜6.5合目 階段用の丸太が乾燥してある。雨の気配 その後雲がたちこめる。

路面や手すりが雨でひかる

7合目から8合目付近、頂上までは残り500mである。

ブナの大木(有名①)が姿を見せる。そして到着

金剛山錬成会の大きな名札掲示板(有名②)

登頂の度に捺印を受ける。現在は一日一回である。

錬成会とは「金剛山を敬仰して登拝を励行し、健全なる精神と身体を練成する」ことを目的に掲げ、金剛山葛木神社の崇敬団体として昭和37年に発足した。回数登山を主な活動とする。5000回を越える人も多い。中には1万回の猛者もおられる。 蝶の百名山

金剛山は蝶の名産地として有名(有名③)。蝶の百名山にも選ばれている。

理由は春の女神と呼ばれ、絶滅危惧種にも入っている「ギフチョウ」の産地として評価された。但し最近は減少傾向にある。

たまたま写せた蝶とギフチョウ及び山に生息する蝶

頂上案内図と宮司宅

転法輪寺 その奥から葛木神社へ進む

国見城址

近郊八カ国を見渡せるというところから国見という。元弘の昔、大楠公要塞総司令部の一角で、吉野と千早と連絡した楠七郎正季の根拠地であり、また転法輪寺の末寺実相院のあったところで、金剛山中最も眺望のよい所といわれる。

大阪、堺は勿論、生駒、愛宕、六甲、淡路島まで見渡せる。夜景が素晴らしいと聞く。

〜金剛山 ガイドブックより〜

転法輪寺より葛木神社へ向かう

葛木神社 社殿後方にブナが林立する。見事である。

葛木神社の表参道を歩いてロープイエイ金剛駅まで歩く。帰路はロープウエイを利用した。

■ 葛木神社

奈良県御所市高天476葛木神社は金剛山の山頂1125mに鎮座し、関西では、珍しい大社造り。

古事記、日本書記に出てくる”良きことも悪しきこともただ一言願わくばかなう神”の 一言主を祭神として祀る。貝原益軒の『南遊紀行』には「絶頂には葛木の神社あり、大社なり、一言主の神といふ」としるされている。心身の鍛練と神社へのお参りを兼ねて、千日登山を目指し、大阪府千早赤阪村から毎日かかさず登山する人が後を絶たない。

葛木神社では、毎年7月7日の役行者の忌日に例祭を催し、一言主大社神に一願成就を祈願して、午後に転法輪寺で蓮華法要の会式が行われる。

また、葛木神社は農業神としての信仰も厚く、「南遊紀行」には「大和・河内の農夫此神」を甚尊崇し、社の下の土を少しばかり取りかヘリ、我が田に入れば稲よく実りて虫くはずとて参詣の人多し」と記されている。

山岳修験の開祖、役行者の霊験を求めて、近畿一円に信者がおられるとされる。ロープウエイ—から表参道を歩いて葛木神社へ参拝するコースである。

案内

小雨上がりで、ボーと雲に包まれた中を進む。

出迎え不動

葛城廿八宿巡拜修行されている山伏達を始めとし、当山へ参拝されるすべての人々を出迎え、また、経塚巡拜修行の奉告護摩を厳修させる為に開眼された。今では葛城回峰行の基点となっている。

一の鳥居

御所道と北宇智道の分岐点にあり、傍らに法華経一字一石塔がる。昔は後醍醐天皇勅定の下乗札があった。

仁王杉

仁王杉は葛木神社の表参道と裏参道の分かれ道に聳え立っている。樹齢は500年ほど。根元付近の幹周りは5m以上、樹高も20m以上

雄略天皇御狩の跡

葛木神社南側の小さな丘陵で、雄略天皇が猪狩りに登山された時、葛木一言主神と遭遇され、また、猪を蹴り殺された場所と言われている。

(古事記.日本書記による。)神社に到着である。

境内

狛犬

社殿

境内社

金剛山の標高1,125m。最高地点は葛木岳といい、葛木神社の本殿の裏にあるが、神域となっており立ち入ることはできない。

ブナ林

800m以上はブナ帯(落葉樹林)で、涼しい機構を好む冷温帯の生物が生息している。樹間から見る本殿がいい。

■ 転法輪寺

奈良県御所市高天 金剛山は古来、葛城山または高天山とも呼ばれていた。日本書記神武天皇の巻に、葛の網を着せて土俗をおおい殺したことに由来している。

役の小角16歳の時、この山に登られて霊気を感得、長い修行の末、頂上に法起菩薩を御本尊とする金剛山転法輪寺を建立された。

自身の祖神、一言主神を祭る葛木神社を鎮守としてあわせ祀られ神仏混淆の霊峰とされた。 転法輪寺は、役行者を祭る、葛城修験道の本拠地。荘厳なたたずまいの本堂のほか、行者堂、文殊の岩屋、ひさご池などがあり、十三重の塔のそばにあるしだれ桜は樹齢200年といわれる。

境内

ひさご池

1585(天正13)年豊臣秀吉が増田長盛、片桐且元を従えて当山に参詣のおり掘った池で、その形は公の馬印千なりひょうたんをかたちどってあり、中の島は亀を表している。弁財天をお祀りしている。

不動明王

本堂下前の護摩場には不動明王像、 本堂

元々は現在葛木神社がある所に存在し、五堂七宇の殿堂輪煥の美を誇っていたが、明治維新の「廃仏棄釈」の世相に煽られ神仏分離の制が布かれ、廃寺のやむなきに至った。

昭和25年役行者様1250年忌に再興事業が始まり、(昭和36)年現在の場所に落慶された。

鎮宅さん

本堂再興の折、尽力された山伏先達が、大阪高津報恩院様の鎮宅さんより御魂を分け頂き、明治維新の「廃仏棄釈」の様な悲しい出来事が二度と繰返えさない様にと建立された 転法輪寺から葛木神社に向かう。

夫婦杉

宝剣塔

葛木神社の西山にあり、後醍醐天皇及び大塔宮の宝剣を埋め、供養の為に建立したといわれる足利時代の石塔。

形式は、宝篋印塔(大師母塔)である。

福石

葛木神社の脇石段にあり。福徳将来の守神として、小石を積んで幸を祈る信仰がある。

葛木神社へ続く脇石段

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