JAPAN-GEOGRAPHIC.TV

大阪府泉佐野市 慈眼院
(Jigen-in Temple, Izumisano, Osaka)

Category
Rating
Comment
General
 
Nature
 
Water
 
Flower
 
Culture
 
Facility
 
Food
 


泉佐野市日根野626 慈眼院金堂 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 鎌倉後期 桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺 棟札2枚 19030415
泉佐野市日根野626 慈眼院多宝塔 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 文永8(1271) 三間多宝塔、檜皮葺 仏壇1基 19030415 19531114
September 29, 2013 野崎順次 source movie
大阪府泉佐野市日根野626
真言宗御室派 慈眼院
本堂回り、本邦洋式製革始祖碑(明治期)、庫裡あたり 多宝塔 鎌倉前期 文永八年(1271)
三間二層、檜皮葺。高さ約10m余。屋外にある木造多宝塔で国宝・重要文化財に指定されているものの中では日本最小。石山寺塔、金剛三昧院塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとされる。初層内部には大日如来坐像(大阪府指定文化財)を安置する。 多宝塔の細部 ご住職の南揚道さんは総本山仁和寺第49世門跡を務められた高僧である。そのピースサイン姿を撮影中であった。この写真家は高名な方々にピースサインをお願いして回っているそうだ。 重文 金堂 鎌倉後期
方三間、単層、寄棟造、本瓦葺。毘沙門堂、一願薬師堂ともいう。柿経(笠塔婆)が保存されている。 金堂の細部 境内は「日根荘遺跡」として国史蹟に指定 お寺の前の野花 参考資料
慈眼院HP
ウィキペディア「慈眼院」


Jan.2011 野崎順次 source movie

大阪府泉佐野市日根野626
真言宗御室派 慈眼院
撮影日: 2011年1月22日 天武2年(673年)、天武天皇の勅願寺として、覚豪阿闍梨により開創された泉州の最古刹である。
奈良時代の天平年間、聖武天皇の勅願寺となり、寺領1千石が加増された。その後、弘仁6年(815年)、 空海(弘法大師)によって多宝塔、金堂をはじめとする諸堂が再興されたと伝える。
文和2年(1353)南北朝の戦火で炎上した後、後村上・後亀山の両帝の勅命で再興された。
天正13年(1585)豊臣秀吉の紀州鎮撫の時、金堂、多宝塔を除く一山が炎上した。
慶長7年(1602)豊臣秀頼が一山を再興。奥之坊・山之坊・明王院・戒躰院・稲之坊・中之坊(現・慈眼院)・下之坊(現・日根神社社務所)・東方寺・上之坊・明神社・観音堂・毘沙門堂・護摩堂などの諸建造物がこの時の造営によって再建された。
寛文年間には岸和田藩藩主岡部氏により大修復が行われ、寛文5年(1665年)、中之坊が仁和寺の性承門跡から現在の院号「慈眼院」を賜り、仁和寺の末寺となった。 アプローチ 国宝 多宝塔(鎌倉)
三間二層。高さ約10m余。屋外にある木造多宝塔で国宝・重要文化財に指定されているものの中では日本最小。
石山寺塔、金剛三昧院塔とともに日本の多宝塔の三名塔の一つとされる。初層内部には大日如来坐像(大阪府指定文化財)を安置する。 重文 金堂(鎌倉、文永8年−1271年再興)
平面方三間、屋根:単層本瓦葺。小堂ながら鎌倉期の端正さをよく現わしている。毘沙門堂、一願薬師堂ともいう。柿経(笠塔婆)が保存されている。 境内は「日根荘遺跡」として国史蹟に指定 慈眼院HP
ウィキペディア「慈眼院」


Dec.2006 瀧山幸伸  source movie



金堂



多宝塔




事務局用


All rights reserved 無断転用禁止 会員募集中