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大阪府河内長野市 観心寺
(Kanshinji Temple, Kawachinagano, Osaka)

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河内長野市寺元475 観心寺金堂 国宝 近世以前/寺院 室町前期 正平(1346-1369) 桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺 棟札1枚 18971228 19520329
河内長野市寺元475 観心寺建掛塔 重文 近世以前/寺院 室町後期 文亀2(1502) 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、茅葺 19720515
河内長野市寺元475 観心寺書院 重文 近世以前/住宅 江戸前期 正保4(1647) 桁行14.0m、梁間10.0m、一重、入母屋造、銅板葺 19230328
河内長野市寺元475 観心寺訶梨帝母天堂 重文 近世以前/神社 室町後期 天文18(1549) 一間社春日造、正面軒唐破風付、檜皮葺 棟札2枚 19230328
河内長野市寺元475 観心寺恩賜講堂 重文

October 9,2017 大野木康夫 movie

書院(重要文化財)

正保4(1647)年の建築
桁行14.0m、梁間10.0m、一重、入母屋造、銅板葺

今年になって、書院及び庫裏の修理が終わり、庫裏は予約制で精進料理を頂けるようになりました。
その際に棟続きの書院も見学できるようですが、10月9日はイベント(北欧Vintage展)にあわせた無料公開が行われたので、訪問しました。

                                     

山門

  

参道

 

恩賜講堂(重要文化財)

恩賜講堂は,昭和3年の昭和天皇大礼の際に,宮内省により京都御苑内で建てられた大饗宴場の下賜材を再利用して,同5年に観心寺境内に建てられた講堂である。設計は大阪の建築家の池田谷久吉による。内部は広壮な一室の講堂で,有職文様が描かれた二重折上格天井,シャンデリアや錺金物,布帛,壁紙といった下賜材が室内を華やかに彩っている。
観心寺恩賜講堂は,大饗宴場建設時の豪華絢爛な意匠と,短期間で効率的に建てるための様々な工夫を継承しながら,講堂として再構成したもので,我が国の近代における皇室建築の展開を理解する上で,高い価値を有している。
(国指定文化財等データベースより)

           

部分撮影

              

訶梨帝母天堂(重要文化財)

               

部分撮影

            

金堂(国宝)

オーソドックスな建物ですが、軒の反りや斜めから見た姿の優美さが心に残ります。

                             

部分撮影

                      

建掛塔(重要文化財)

塔婆建築と茅葺屋根の絶妙なバランスが印象的です。

               

部分撮影

         




June 2017 酒井英樹

観心寺は寺伝によると役小角が開創し雲心寺と称したという。
 弘仁年間(810-824)、弘法大師空海が再興し、観心寺と改め、天長2年(825)、空海の高弟実慧とその弟子真昭によって伽藍が整えられた真言宗寺院の古刹である。
 国宝の木造如意輪観音坐像を本尊としている。
 中世には天皇家とつながりをもつようになり、後醍醐帝の帰依を受け、また南朝の拠点として、正平14年(1359)から翌年にかけて、御村上帝の御在所となった。

<金堂>
 建てられた年代は正確には分かっていないが、天授4年(1378)の『観心寺参詣諸堂巡礼記』に「近年造立」とあるから、そのころの再建とされているが、永享11年(1439)頃とする説もある。
 向拝3間をもつ桁行7間、梁間7間の規模を持つ大堂で、和様を基調として須弥壇などに大仏様に由来する細部をつける。折衷様の代表的建造物とされ国宝に指定されている。
      

 《内部》
   

<建掛塔>
 寺伝によれば建武中興の達成を祈って、楠木正成が願主となり、三重塔を建立しようとしたが、湊川戦役のため果たせず初重だけで終わったという。
 しかし、様式手法から見ると室町時代前期の建築と考えられる。
 塔の初重の軸部と組物まで造られており、軒の垂木を取り付けた痕跡がない。
 現在は宝形造の茅葺屋根をかけ、四方に切目縁を設けて柱間は各面とも中央間を格子戸引違、両脇間を土壁としている。
        


<訶梨帝母天堂>
 創建は不明。興国5年(1344)に焼失し、後村上天皇の命により楠木正行が再建したと伝えられているが、棟札から、現在の建物は、天文18年(1549)に建てられことが判明している。
 一間社春日造、檜皮葺、正面軒唐破風付
    

 《彫刻》
     

<恩賜講堂>
 大日本楠公会により昭和5年(1930)に建てられた、設計は池田谷久吉、施工は八尾常次郎であった。
 建築にあたっては、昭和天皇の即位大礼のため宮内省内匠寮が京都御苑内に造営した大饗宴場の下賜材が用いられた。
 木造平屋建、桁行6間、梁間7間の建築面積458uで、入母屋造、スレート葺。正背面に段のついた屋根を葺き下ろす。
 天井には大饗宴場で用いられた二重折上格天井を張る。格間には繧繝彩色の有織文様の型紙を張る。
 大饗宴場を再利用して建てられたものだが、雄大な品格や気品をよく継承しており、他に類例がなく貴重であり、平成29年5月に重要文化財の指定答申を受けている。
           

 《内部》
             osaka-


July 21,2014 大野木康夫 movie

所在地 大阪府河内長野市寺元475

観心寺は空海ゆかりの寺として、高雄神護寺と並び高野山真言宗の遺跡本山となっています。
また、南朝、楠氏ゆかりの寺としても知られています。

山門付近

       

石段から見た金堂

   

訶梨帝母天堂拝殿付近

   

訶梨帝母天堂(重要文化財)

天文18(1549)年の建築
一間社春日造、正面軒唐破風付、檜皮葺

訶梨帝母は鬼子母神の別名(梵名ハーリティーの音訳)です。
観心寺の鎮守社(鎮守堂)です。

                                

手洗所

  

金堂(国宝)

正平年間(1346-1369)の建築
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺

                                                            

建掛塔(重要文化財)

文亀2(1502)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、茅葺

この建築は初重しかない未完成の塔であるが、木柄は太くて力強さがあり、貭もよい。
国宝の金堂とともに伽藍の一環をなす貴重な遺構である。
(国指定文化財等データベースより)
                    

弁天堂、鐘楼

  

書院(重要文化財)は修理中(非公開)

  

 





Apr.6,2014 瀧山幸伸 movie


        

        

金堂
Kondo
                                                   
                                                       


建掛塔
          
                 



鎮守堂(訶梨帝母天堂)
             
             


境内
         
                                



March 2, 2014 野崎順次 movie

大阪府河内長野市寺元475
高野山真言宗 遺跡(ゆいせき)本山
檜尾山 観心寺
(Kanshinji Temple, Kawachinagano City, Osaka Pref.)

 

パンフレット

     

バス停から山門へ

                  

中院と地蔵尊

        

後村上天皇御旧跡

         

鎮守堂の拝殿

    

国重文 鎮守堂(訶梨帝母天堂)室町後期 天文十八年(1549)
一間社春日造、正面軒唐破風付、檜皮葺

                   

国宝 金堂 室町前期 正平(1346-1369)
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺

                              

国重文 建掛塔 室町後期 文亀二年(1502)
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、茅葺

                  

      

鐘楼

  

弁天堂

 

阿弥陀堂

     

御影堂、行者堂あたり

           

開山堂

           

道興大師御廟

     

楠正成首塚

      

墓地

        

後村上天皇桧尾陵

            

星塚、金堂を囲むように北斗七星の塚がある。北斗七星を祀るのは日本でここだけ。

                                

その他境内

     

梅園、未だ2,3分咲き

                   

お寺の前の渓谷

    






Sep.2009 撮影/文 野崎順次

大阪府河内長野市寺元475
高野山真言宗 遺跡(ゆいせき)本山
檜尾山 観心寺

撮影日: 2010年9月4日

観心寺は、文武天皇の大宝元年(701年)、役小角によって開かれ、初め雲心寺とよばれていた。
その後、平安時代の初め大同三年(808年)に弘法大師空海が当寺を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年(815年) 衆生の除厄のために本尊如意輪観音菩薩を刻まれて寺号を観心寺と改称される。
弘法大師は当寺を道興大師実恵に附属され、実恵は淳和天皇から伽藍建立を拝命して、その弟子真紹とともに天長四年(827年)より 造営工事に着手された。
後醍醐天皇は当寺を厚く信任され、建武新政後(1334年頃)、楠木正成を奉行として金堂外陣造営の勅を出され、 現在の金堂ができた。
正成自身も報恩のため三重塔建立を誓願される。
延元元年(1336年)、神戸の湊川で討死後、正成の首級が 当寺に送り届けられ、首塚として祀られている。
その後、当寺は足利、織田、徳川にそれぞれ圧迫を受け、最盛期五十余坊あった塔頭も現在わずか二坊になっているが、境内は 史跡として、自然に恵まれた環境の中で、山岳寺院の景観を保持している。

本尊如意輪観音菩薩(国宝)
彩色の六臂(手が六本)像。像高109.4センチメートル。如意宝珠を持つので如意輪観音という。平安時代の密教美術の最高の仏像といわれており、秘仏(国宝第五号)。毎年、4月17日と18日の二日だけ、御開扉になる。

その他の国宝
金堂(国宝)
観心寺勘録縁起資材帳(国宝)

重要文化財
建掛塔
鎮守堂(訶梨帝母天堂)
本坊書院
金銅観音菩薩 二体
金銅釈迦如来
金銅如意輪観音菩薩
木彫不動明王
木彫愛染明王 二体
木彫地蔵菩薩
木彫十一面観音菩薩
木彫聖観音菩薩 六体
木彫釈迦如来
木彫薬師如来
木彫弥勒菩薩
木彫宝生如来
木彫如意輪観音菩薩
木彫四天王 四体
厨子入聖僧像
大随求菩薩画像
中尊寺経
金銅蓮華花瓶 一対
鉄灯籠
藍韋威肩赤腹巻
観心寺縁起二巻
観心寺文書
楠木家文書 他

他に大阪府指定文化財等、多数保存

パンフレット、アプローチ、案内板

           

山門あたり

          

後村上天皇御旧跡

          

拝殿 と 重文 鎮守堂(訶梨帝母天堂)

             

恩賜講堂、霊宝館、牛滝堂

               

国宝 金堂
金堂は大阪府下最古の国宝建造物であり、七間四方、単層入母屋造、和様、禅宗様、大仏様の折衷様式の代表的な遺構である。 室町時代初期に建立され、豊臣秀頼の時、江戸時代の中期、明治の初め、昭和の初め等たびたび修理し、昭和五十九年に昭和大修理の落慶をみた。 本尊は如意輪観音で脇侍は不動明王、愛染明王、内陣に板製の両界曼茶羅がある。

                             

重文 建掛塔

                   

それから、

   

阿弥陀堂

         

それから、

   

開山堂、道興大師御廟、楠正成首塚

        

滝覚坊墓、陵墓参考地など

          

僧侶に会いに来た家族だろうか?

    

参考資料
本寺公式HP


事務局用

 

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