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大阪府大阪市天王寺区 四天王寺
(Shitenoji Treasure Gallery, Tenoji-ku, Osaka)

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大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 四天王寺 本坊西通用門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 元和9(1623) 四脚門、切妻造、本瓦葺 19540917
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 四天王寺 本坊方丈 重文 近世以前/寺院 江戸前期 元和9(1623) 桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺 19540917
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 四天王寺 五智光院 重文 近世以前/寺院 江戸前期 元和9(1623) 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺 19540917
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 四天王寺 六時堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 元和9(1623) 桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺 19540917
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 四天王寺 元三大師堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 元和9(1623) 桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、本瓦葺 19540917
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 四天王寺 石舞台 重文 近世以前/その他 江戸前期 元和9(1623) 石橋及び石造高舞台、木造高欄付 19540917
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18 四天王寺鳥居 重文 近世以前/神社 鎌倉後期 永仁2(1294) 石造明神鳥居、島木木製銅包、貫柱間、額束及び額銅製 左右玉垣 19340130

April 1, 2014 野崎順次 movie


大阪府大阪市天王寺区
四天王寺極楽浄土の庭の桜
(Gokuraku-jodo Garden at Shitennnoji Temple, Tennoji-ku, Osaka City, Osaka Pref.)

アプローチ

極楽浄土の庭






Feb..2012 野崎順次

HD video Feb.19
HD video Feb.25

大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
和宗総本山
荒陵山 四天王寺

撮影日: 2012年2月19日と26日

1400年前の推古天皇元年(593)、物部守屋と蘇我馬子の合戦に勝利したことを受けて、聖徳太子が四天王を安置するために建立したと伝えられる、日本初の本格的な仏教寺院。
その伽藍配置は大陸の影響を色濃く受けた「四天王寺式伽藍配置」といわれるもので、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式。
日本では最も古い建築様式のひとつである。その後、幾度の戦禍と災難によって伽藍は焼失へ。現在の伽藍は昭和38年(1963)、当初のものを厳密に再興した。
全敷地面積33,000坪の四天王寺の境内には、聖徳太子を祀っている「太子殿」や、近畿三十六不動尊第一番の霊場の「亀井不動堂」、日本庭園の「極楽浄土の庭」など多彩である。
また毎年4月22日、聖徳太子を偲んで行われる「聖霊会舞楽大法要」では、「天王寺舞楽」が舞われている(国の重要無形民俗文化財)。

パンフレット

西側の乾門から入ると広大な墓地である。安政の大獄の水戸藩士高橋太一郎父子の墓、江戸時代の役者坂田藤十郎の墓などがある。

乾門の少し南に中之門がある。ここから入ると地蔵堂や無縁如来塔がある。

国重文 元三大師堂 江戸前期 元和9年(1623)
桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、本瓦葺
コ川秀忠の再建。江戸初期寺院建築として重要なものである。

大黒堂

英霊堂 明治39年(1906)
当時は大釣鐘堂と呼ばれ、世界一大きいとされた大梵鐘が釣られていたが、その鐘も第二次大戦で供出され、その縁により戦後は戦歿英霊を奉祀している。

国重文 六時堂 江戸前期 元和9年(1623)
桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺、コ川秀忠の再建。

国重文 石舞台 江戸前期 元和9年(1623)
石橋及び石造高舞台、木造高欄付、コ川秀忠の再建。

北鐘堂と亀の池

丸池と仏足石など

本坊唐門と社務所

国重文 本坊西通用門 江戸前期 元和9年(1623)
四脚門、切妻造、本瓦葺、徳川秀忠の再建。

国重文 五智光院
桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺、コ川秀忠の再建。
五智如来を祀る。

極楽浄土の庭
自然のわき水を利用した2つの小川「水の河」と「火の河」および2つの池「瑠璃光の池」と「極楽の池」を配し白砂の廻遊路を「白道」という広さ1万m2の池泉廻遊式庭園である「極楽浄土の庭」と、幾度の戦災を免れて現在に至る湯屋方丈そしてその前庭である座視式庭園「補陀落の庭」からなる。 造園の着工は江戸時代初頭とされ、現在の庭は明治時代初期に、火災による焼失から復興されたものである。このときに「二河白道」の喩話に基づいた作庭がなされた。

パンフレットと現地説明板

釈迦の滝、火の河、薬師の滝と瑠璃光の池、茶室を巡る。

国登文 四天王寺八角亭 明治36年(1903)
木造平屋建,瓦葺,建築面積21u
第5回内国勧業博覧会の小奏楽堂として建築されたものを、後に現在地に移築したと伝える。平面八角で、庇柱は吹き放ちとし、窓には色ガラスをはめる。母屋柱はコリント式の柱頭飾を付け、モールディングの廻り縁を巡らすなど施工技術にも見るべきものがある。

極楽の池、池中の阿弥陀三尊石から湯屋方丈へ向かう。

国重文 本坊方丈(湯屋方丈) 江戸前期 元和9年(1623)
桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺、徳川秀忠の再建。

再び、西に戻って、石鳥居から伽藍の南側を回る。境内地図。

国重文 四天王寺鳥居 鎌倉後期 永仁2年(1294)
石造明神鳥居、島木木製銅包、貫柱間、額束及び額銅製

西大門(極楽門)あたり

中心伽藍
南から北へ中門(仁王門)、五重塔、金堂、講堂を一直線に配置し、中門の左右から出た回廊が講堂の左右に達する「四天王寺式伽藍配置」を踏襲している。これらは第二次世界大戦後に再建され、1963年(昭和38年)に落慶法要が営まれた鉄筋コンクリート造建築だが、日本の飛鳥時代、高句麗、六朝などの建築様式を加味して創建当時(6世紀末)の様式に近付けようとしたものである。設計は建築史家藤島亥治郎(がいじろう)。

南大門あたり

聖霊院、太子殿とも言い、聖徳太子を祀る。中心伽藍は鉄筋コンクリート造だが、この一画は木造建築である。主要な建物は前殿(拝殿)と奥殿である。

寅之門

前殿は1954年の建立で、入母屋造妻入。聖徳太子孝養像(十六歳像、秘仏)を祀る。

奥殿は1979年の完成で、聖徳太子摂政像(松久朋琳・宗琳作、秘仏)を祀る。法隆寺夢殿の平面が八角形であるのに対し、この建物の平面は完全な円形である。

経堂と聖霊殿の庭

聖霊殿から亀井不動尊へ

東大門へ向かう。石塔、石像が並ぶのは本坊の北側にあたる。

東大門と伊勢神宮遥拝石

近くの町角で見たガムテープ文字

参考資料
国指定文化財等データベース
(財)大阪観光コンベンション協会HP
ウィキペディア



Jan.2010 撮影:野崎順次

大阪府大阪市天王寺区四天王寺1丁目11―18
和宗総本山 四天王寺

四天王寺宝物館

593年に創建されて以来、度重なる災害のため、創建時の建造物など宝物の多くが失われました。
しかし、そのような災禍を越えて、500余点の国宝・重要文化財・これに準ずる貴重な文化財を現在まで保存・継承しています。
宝物館はこれらの寺宝を展観することにより、参詣の方々に当寺の姿を理解し、またわが国仏教文化の全般を広く認識していただこうと、昭和45年10月に開館しました。
(四天王寺HPより)




July 2007 撮影:瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD Video Video FAQ



鳥居






北鐘堂


六時堂


石舞台




本坊西通用門




太子殿





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