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大阪府富田林市 寺内町
(Jinaimachi, Tondabayashi, Osaka) 

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興正寺別院
旧杉山家住宅
 

Mar.19,2017 中山辰夫

富田林 寺内町
大阪府富田林市寺内町

富田林の寺内町は、興正寺別院の寺院を中心に堀や土塁で防御した宗教の町。富田林市の一部である。
    

永禄初年(1558〜61)年に京都興正寺の証秀上人が銭百貫文で約2万余坪の大変な荒芝地を購入し、四方の4カ村より8人(8人衆)の有力者を選んでこの地の開拓を移植し、ここに興正別院を建立した。町は寺を中心に七筋八町に区画し、幕末に至るまで八人衆によって運営された。
 
江戸時代には幕府の直轄地となり、近くを流れる石川の舟運や街道の発達で遠隔地商業を展開し、「南河内の富はすべて富田林に集まる」までに発展した。
特に酒造業が盛んで、「富田林の酒屋の井戸には底に黄金の水が湧く」と幕末の俗謡が寺内町の繁栄ぶりを伝えている。

寺内町は、石川河岸段丘上に位置し、「富田が芝」と呼ばれた荒地を開墾してつくられた。創設期は混乱の時代で、町の外郭に土類(土居・石垣、高さ10メートル)を設け竹林や環濠を巡らした。街道の出入口には門を設け、道には「あて曲げ」の辻をつくり町の防御を行った。
赤線部分が土塁を囲んだ。
土塁で囲んだ町の概略の範囲(東西400m、南北350m) と現在の石川
   

今でも石川沿いの段丘傾斜地(寺内町の南側)には当時の土塁跡や竹林、坂道がいくつも残っており、宗教自治・自衛の町であった名残が偲ばれる。
外部からの出入りは一里山口、山中田坂、向田坂、西口の4カ所に限られていた。今もその名残りが随所で見られる。
先にそれらを追ってみる。

山中田坂(やまちゅだざか)
    
明治時代までは、石川の東岸と寺内町を結ぶ唯一の道。商業が盛んな在郷町として発展した寺内町を支えてきた。この町の歴史を見届けてきた坂である。

坂を上った所にある「じないまち展望広場」 大きな石段の上に建つ。隣には富栄戎神社
   
神社は、江戸時代から明治初年頃にかけて、寺内町には、酒屋の同業者組合があり、その組合を「恵比寿講」と呼んでいた。
河内の酒造業の中心的な組織であった「恵比寿講」が、商売繁昌を願って祀っていた。当時は広場からの眺望がよかったと思われる。
  

亀ケ坂(かめがざか)
   
固められて残っている当時の土塁跡と竹林
     
向田坂
    

寺内町散策
寺内町にある約500棟の建物の内、江戸時代から昭和初期までに建てられた181棟の建造物が、1997(平成9)年、国の重要伝統的建造物に特定された。
保存地区には成立期以来の町割りがよく残り、街路沿いには入母屋造又は切妻造で平入・本瓦葺の大規模な町家が軒を連ねている。
居住されており、殆どが非公開で外観のみの観賞である。
  

じないまち絵図
  

重要文化財・興正寺別院を中心に門前四周に七筋八町の町割に整備、南北の通りを「筋」、東西の通りを「町」という。今もそのままの町割が残されている。
筋は東より西へ数えて、東筋、亀が坂筋、城之門筋、富筋、市場筋、西筋の六つ。
町は北から南へ数え、壱里山町、富山町、北会所町、南会所町、堺町(堺筋)、御坊町、西林町、東林町の八町名。
メインストリートである「城之門筋」は延長約400メートルで、1986(昭和61年)に「日本の道百選」に選ばれた
大阪府下では城之門筋のほか御堂筋 (大阪市)とフェ二ックス通り (堺市)が日本の道百選に選ばれている。

先ず「城之門筋」を北から南へ散策する。各町との交差点で写した。西・東は交差点から見た町の西側、東側、北・南は城之門筋の北側・南側である。

保存地区内における通常道路から見える建物等の外観の現状を変更(増改築、改修、模様替え、色彩の変更、新築、除却など)する時には、予め市教育委員会・文化財保護課に申請して許可を得る仕組みとなっており、伝統的民家(町家)は白壁、板塀、格子戸など往時の姿のままに外観の保存・復元・修景作業を終えて、人々が生活の場として暮らしながら、素朴で静かな佇まいを今に伝えている。

城之門筋 
メインストリートらしく、寺院や材木商や醸造業、油屋などを営んでいた大きな旧家が立ち並ぶ。
一区画に一軒という、現在の大阪ではあまりお目に掛かれないような大邸宅に当時の繁栄ぶりがうかがえる。

一里山町から林町まで、城之門筋をめぐる。

一里山交差点―北・南(城之門筋)〜東・西(一里山町)
    

富山町交差点―北・南(城之門筋)〜東・西(富山町)
    

北会所町交差点―北・南(城之門筋)〜東・西(北会所町)
    

南会所交差点―北・南(城之門筋)〜東・西(南会所町)
    

堺町交差点―北・南(城之門筋)〜東・西(堺町)

    

御坊町交差点―北・南(城之門筋)〜東・西(御坊町)

    

西林町交差点―北・南(城之門筋)〜東・西(西林町)

    

日本の道百選顕彰碑とその周辺
     


町家散策
寺内町にある約500棟の建物の内、江戸時代から昭和初期までに建てられた181棟の建造物が、1997(平成9)年、国の重要伝統的建造物に指定された。
保存地区には成立期以来の町割りがよく残り、街路沿いには入母屋造又は切妻造で平入・本瓦葺の大規模な町家が軒を連ねている。
居住されており、殆どが非公開で外観のみの観賞である。
   

町中に存在する多くの町家のうち代表的なものを時代順に並べる。

旧杉山家住宅・国重要有形文化財指定−所在:富山筋・西林町−富田林保育園の横:建築年代:1644(寛永24)年
        
町の創設にかかわった旧家、酒造世栄えた、最大最古の建物は神内町のシンボル、マンホールの蓋に描かれている。石上露子の実家である。

田守家住宅−所在:城之門筋・堺町(堺筋)−杉田家、妙慶寺と筋を挟んで向かい合う−建築年代:18世紀前半−杉山家住宅に次ぐ古い建築
      
屋号を「黒山屋」と称し、代々木綿商を営む。「一に杉山、二に佐渡屋、三に黒さぶ 金が鳴る」とうたわれた。

木口家住宅−所在:所在地−建築年代:1753(宝暦3)年−城之門筋を挟んで中井家住宅と向い合っている:屋号は木綿屋(木綿庄
      

橋本家住宅−所在:城之門筋・東林町−建築年代:18世紀後半−東林町に面している−屋号は別井屋と称し、酒造業を営んでいた
      

仲村家住宅−大阪府有形文化財指定−所在:富筋・西林町−建築年代:1782〜3(天明2〜3)年−富山筋に面している−屋号「佐渡屋」
       
造り酒屋として河内国で最高の石高を誇った。はやり歌にも歌われた。松尾大社(京都)の参道に名入りの石灯籠が並ぶ
酒造業廃止後は縮小、表屋造の母屋と、土蔵、乾蔵(道具蔵)、米蔵、中蔵、醤油漬物蔵などが残る
この屋敷には文人墨客が数多く訪れ、長州藩士の吉田松陰や、頼山陽も訪れたと言われている

杉田家住宅−所在:城之門筋・堺町(堺筋)−建築年代:18世紀後期−当家は代々「樽屋善兵衛」と称し、もとは油屋を営んでいた−屋号「樽屋」
     

奥谷家住宅−奥谷家は奥谷本家と分家の東奥谷、南奥谷と三軒ある。

奥谷家住宅−所在:城之門筋・富山町−建築年代:1818〜29(文化15〜文政12)年−代々屋号を「岩瀬屋」と称し家業として材木商を営む。
  

東奥谷家住宅−所在:城之門筋・富山町−建築年代:1826年 (文政9年) −奥谷家の分家で油屋を営んでいた
        

南奥谷家住宅−所在:城之門筋・北会所−建築年代:19世紀後半分家−本家6代目の時にこの家を興した。味醂製造業を営んでいた
      

葛原家住宅−葛原家住宅は二軒ある

葛原家住宅−所在:−建築年代:19世紀初期−所在地: 富筋・南会所町−酒造業時の屋号:十津川屋−廃業後の屋号:田葉粉屋
       

南葛原家住宅−所在地:富筋・南会所−建築年代:1854(安政元年)−葛原家の分家新宅。
       
母屋の東に中庭を経て茶室と三階蔵があり、日本に少ない貴重なもので、寺内町のランドマーク的存在
    

佐藤家住宅−所在地:亀ケ坂筋・北会所−建築:1820(文政3)年:家業:紅梅酒味醂の醸造:当家は仲村家 (佐渡屋)より初代・藤兵衛が出た。
           
母屋の入口は亀ケ坂筋にある。母屋から城之門筋までの一帯(区画)が敷地である

      
母屋から蔵を利用した貸店舗「喫茶店・ほか〜分家「明治時代の建築)が続く。

            
蔵の内部の造りと中庭〜奥に広がる土蔵の建屋、敷地内には多くの味醂瓶が埋まっていると聞く

橋川家住宅−所在地:壱里山町、建築:明治時代初頭
   

橋川家の並びに、阿部家住宅(江戸・公営社)、小田家住宅(明治)、渋谷家住宅(大正〜昭和)、岡田家住宅(大正)が並び江戸〜昭和の比較ができる。
      

上野東洋一家住宅−所在地:富筋建築:19世紀中期
        

越井家住宅は三件ある
越井家住宅(本家)−所在地:富山町、建築:明治、材木商・林業、屋号:平尾屋、
             

北越井家住宅(分家)−所在地:東筋・富山町)、建築:明治末、
      

越井家(毛人谷・えびたに)−市立図書館横、建築:明治末
      

まだまだ多くの町家が並ぶが、今回はここまでとする
          
参考資料≪昭和49・58年調査資料、ボランテイアガイド、などから引用≫


旧田中家住宅
富田林市本町7番2号

国登録文化財

江戸後期に当地に移ったと伝えられる田中家(建築:1892・明治25)年)は、幕末、明治期には素封家(明治44年「大阪府河内和泉資産家一覧」)に数えられる名家でした。2004(平成16)年に富田林市に寄贈され、改修を経て2012年5月より一般公開されている。
  

住宅外観
        

建物の特徴
主屋、乾蔵、巽蔵等主要部分は明治25年に建築されたもので、門戸を構え南北両側に前栽を整えるなど、邸宅風の近代和風住宅としての特色がある。
住宅内に入る
          

欄間
          


中内眼科医院
富田林市富田林町21−28

国登録文化財
富田林寺内町のほぼ中央に建つ洋風建築。1924(大正13)年に建設された銀行の本社屋。
1階の大きな半円アーチ窓、連続するその窓は木製の桟が使われている。2階の半円錐窓台、当時の姿を残す内部空間などが見られる。、町屋建築が主体のこの町にあって、近代の町の活動を知る上で歴史的な価値ある建造物とされる。
              

町屋建築が主体のこの町にあって、近代の町の活動を知る上で歴史的な価値ある建造物とされ。純和洋の建物が並ぶ町に斬新感を与えている。
  


仲村家住宅
富田林市神内町

大阪府指定文化財

仲村家は寺内町のほぼ南端に位置する旧家で、かつては屋号を「佐渡屋」と称し、1734(享保19)年以降は「徳兵衛」を名乗ってきた。初代は富田林8人衆の子孫にあたるとされる。1785(正徳5)年以降酒造屋として大層発展し、1785(天明5)年の酒蔵米高は河内国で最高2135石に達したとされる。
和泉国・仲村家(佐渡屋)の名前が刻まれた石灯籠が、京都・松尾大社の参道に立つ石灯籠中にみられる。
  

屋敷地は一区画「」を占める広大であった。
           
母屋は表屋(おもてや)造りで、北側に土蔵・乾蔵(道具蔵)・米蔵・中蔵・醤油蔵などが残る。
出格子に竹格子入り丸窓などこった建築様式。
屋敷の屋根の造理が立派で、3〜4棟組み合せた「八つ棟づくり」である。
屋敷には、吉田松陰や頼山陽が訪れたとされる。

撮影できなかったが、母屋の屋根切妻部分には仲村家の家紋である「三階菱」(表紋、左側)と「蔓柏」(裏紋、右側)をそれぞれ意匠に取り入れた通気口がある。
「三階菱」の家紋は、屋根の丸瓦の文様にも施されている。

通りを挟んだ向かい側の上野家住宅は、元々仲村家別宅であったもので、屋根丸瓦には仲村家の家紋「三階菱」が入っている。








September 15,2014 大野木康夫 movie

石川西側の河岸段丘上に室町時代末に開かれた興正寺別院を中心とする寺内町。
現在もほぼ寺内町の町割りをとどめ,街路に沿って江戸時代以降のつし二階,本瓦葺,平入の大規模な町家が軒を連ね,全体として重厚な歴史的景観を伝えている。
(国指定文化財等データベースより)


                             






May 31, 2014 野崎順次 movie

大阪府富田林市本町7−2
旧田中家住宅
(Former Tanaka Family Residence, Tondabayasi City, Osaka Pref.)

国登録有形文化財 築明治25年

由来
江戸後期に当地に移ったと伝えられる田中家は、幕末、明治期には素封家(明治44年「大阪府河内和泉資産家一覧」)に数えられる名家でした。平成16年(2004年)に富田林市に寄贈され、改修を経て2012年5月より一般公開されています。

建物の特徴
主屋、乾蔵、巽蔵等主要部分は。明治25年に建築されたもので、門戸を構え南北両側に前栽を整えるなど、邸宅風の近代和風住宅としての特色があります。

(「富田林寺内町の探訪」ウェブサイトより)

建物外部

       

建物内部
第五回空ノ庭陶芸展が開催されていた。

                          





March 2, 2014 野崎順次 movie

パンフレット、現地説明板

      

近鉄富田林西口駅から寺内町へ。

          

東奥谷家住宅

         

それから

  

奥谷家住宅

         

それから

     

南奥谷家住宅

    

田守家住宅

           

杉田家住宅

         

日本の道百選、城之門筋

                  

木口家住宅

          

中井家住宅

       

府文 仲村家住宅 江戸中期 天明2−3年(1782-83)

        

上野家住宅

      

それから

  

南葛原家住宅

                   

葛原家住宅

       





Sep.2010 野崎順次

大阪府富田林市富田林町周辺
重要伝統的建造物群保存地区
富田林 寺内町

戦火と一揆の絶えない戦国時代、富田林は一向宗の興正寺別院を中心に、土壁や堀割を巡らせる宗教自治都市だった。当初の町は六筋七町、東西約400メートル/南北約350メートルの外周4カ所に木戸門を設け、夜間はその門を閉鎖して治安を維持していたという。かつての整然とした区画が今もほぼそのまま残り、部分的に姿を留めた土壁の跡や用心堀がはるか昔を偲ばせる。中心部を南北に貫く城之門筋は、現在600軒ほどある町家のうち、約250件が伝統的な民家のままで、歴史と風格が漂う。町の南西に建つ「旧杉山家住宅」は国指定の重要文化財、「仲村家住宅」は府指定の有形文化財。

パンフレット

    

近鉄富田林駅から寺内町に向かう。

            

北口地蔵尊から寺内町へ。

     

奥谷家住宅

          

東奥谷家住宅

          

それから、
   

越井家住宅

           

佐藤家住宅

        

南奥谷家住宅

     

あて曲げ(直交する2つの道路をわずかにずらすことで、遠方がまっすぐに見通せない構造)

   

南葛原家住宅

      

それから、

       

杉田家住宅

     

田守家住宅

           

城之門筋、日本の道百選顕彰碑、妙慶寺、興正寺別院

           

橋本家住宅

         

木口家住宅

      

中井家住宅

     

それから、

   

上野家住宅

      

大阪府指定文化財 仲村家住宅

       

勝間家住宅(内部公開)

                             

帰途、近くに高さ180mのPLの塔がある。

      


旧杉山家住宅
(Former Sugiyama Residence, Tondabayashi, Osaka)


参考資料
寺内町パンフレット
大阪観光情報HP



May 2004 瀧山幸伸 Preview video 500Kbps HD Quality Video FAQ

寺内町は、宗教に基づく理想郷づくりを目指した自治自衛都市である。富田林の寺内町は、今井寺内町とともに今でも当時の姿を色濃く残していることで知られている。
当地は石川の崖上に立地し、天然の要害として地理的に恵まれている点に注目し、永禄3年(1560年)西本願寺派興正寺の証秀が当地の四町四方の台地を金百貫文で購入し、近郷四村(中野、新堂、毛人谷、山中田)の庄屋八人衆に町づくり、興正寺別院の建立の協力を仰いだ。八人衆は年寄役となり町の行政を行った。支配者から徴税権(諸公事)を放棄させ、裁判権も獲得した。石山合戦においては、教義の同じ本願寺側につかなかったことから信長の焼き打ちを逃れた。江戸に入ると天領となり、物資の集散と製造に携わる産業都市として発展する。主な取扱品は、綿、菜種、酒であるが、特に元禄時代の酒造業は町内の酒造家で河内全体の2割を占めるほど栄えていた。
寺内町は、外周に土塁と掘割を巡らせ、出入口は四か所のみの木戸門で守られていた。町内は興正寺を中心に碁盤目状の街路が形成され、東西約400m、南北約350m。平成9年(1997)には寺内町、在郷町として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 



  
             

旧杉山家住宅
      

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