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埼玉県深谷市 日本煉瓦製造

Nihon renga seizou Fukaya city,Saitama

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深谷市上敷面字中島28-2 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 ホフマン輪窯六号窯 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治22(1889) "ホフマン輪窯六号窯一基 煉瓦造、建築面積1,044.2㎡、煙突付、木造覆屋附属" 19970529

深谷市上敷面字中島28-2 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 旧事務所(日本煉瓦史料館) 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治21(1888)頃木造平屋建、建築面積433.6㎡ 19970529

深谷市上敷面字中島28-2 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 旧変電室 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治期 煉瓦造平屋建、建築面積22.3㎡ 19970529

深谷市上敷面字西本郷290地先 日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 備前渠鉄橋 重文 近代/産業・交通・土木 明治 明治28(1895) 鉄製単桁橋、煉瓦造単アーチ橋附属 19970529


Apr.2015 柚原君子

福川鉄橋

(プレートガータ橋)

深谷市指定文化財・近代産業遺構

旧中山道歩きをライフワークとした昨年から、京都に向かって北上中の私ですが、深谷宿の煉瓦の多さに、宿の歩きとはまた別の面から深谷市を訪れてみたいと思い、宿歩きの数日後に深谷駅に立った次第です。今日は歩きたくないので駅の近くで電動自転車を借りました。(一日1000円)。快適に一日が過ごせました。駅前で朝マックとコーヒーで今日の計画を練りました。

埼玉県立深谷商業高等学校の撮影後はあかね通りを北上してプレードガータ橋、その先の日本煉瓦製造株式会社で国指定の文化財の撮影。その先は国道45号線を大塚、血洗島の方に向かって旧渋沢邸を撮影し、その後は大塚の交差点に戻り右折して深谷警察署の交差点に出る前に、誠之堂と清心館を撮影、その後市内の煉瓦建物を撮影、という遠大な計画を立てました。実行!

電動自転車で、桜並木が一直線に続く道を北上し続けました。途中何度か地元の人にあかね通りはここですか?と訊きましたが案外と知らない人ばかりでした(後にこのあかね通りこそが上敷免鉄道の跡地だったと解りました。JR高崎線の深谷駅から約3.5Kmにわたって続いています。その最終場所にあるのが日本煉瓦製造の工場です)。

ガータ橋も、もしかしたらあれかい?という地元の感触でした。それもそのはず、町の案内には「プレートガータ橋」とありましたが、その橋の前に立ったら案内板の名称は「福川鉄橋」でした。

福川鉄橋は日本煉瓦工場が製造した煉瓦を輸送するために1895(明治28)年に福川に掛けられた、通称「プレートガータ橋」です。1975年に廃止されましたが、深谷駅と連絡されていた、日本初の民間専用線専用線の鉄橋です。

日本煉瓦製造が製造した煉瓦には、煉瓦の平の面(最も面積の大きい面)に刻印(サイズは5cm×1.5cm)が付けられているはずです(刻印の文字は時代を経て[上敷免製]、[日煉]、[日本]へと変わっている)が、橋台に刻印のある煉瓦を探しましたがどこにもありませんでした。

手前の橋脚のないものが、福川に掛っていた福川鉄橋(プレートガーダー橋……I字形の鋼板を橋桁とする形式)で、先の橋脚のあるのが避溢鉄橋(ボックスガーダー橋)で水田の中に架けられていたものです。橋台と橋脚は初めから煉瓦造りだったそうです。イギリス人の鉄道技師:チャールズ・ボーナルの設計によるもの。アーチの綺麗な群馬県松井田町の碓井橋梁群(煉瓦アーチ)も彼の作品です。

備前渠鉄橋

(国指定重要文化財)

所在地:埼玉県深谷市上敷免(じょうしきめん)28番地

備前渠鉄橋は専用線に設けられた鉄橋の中で最長。橋台の赤れんがは日本煉瓦製造の製品。平均実測寸法は、225×108×58mm。煉瓦の積み方はイギリス積み。橋台の桁支承部には、建設当時のままに床石が残っていますが、残念なことに、備前渠鉄橋は建設当初の形態を留めていません。歩道橋へと改築された際にレールは取り外されてアスファルト舗装されてしまったからです。普通の橋に見えましたので「国指定重要文化財」と書いてあるのに橋がない!と探してしまいました(笑)。渡ってしまえば小さいなんでもない橋のようですが、川のほうに降りて写真を撮ったら、けっこうな歴史の重みが感じられました。

日本煉瓦製造株式会社 旧変電室

(国指定重要文化財)

所在地:深谷市上敷免28番地

蒸気機関から電動機に切り替える為に、明治39年、市内で最初に電灯線を引き、変電室として建てられた建物です。間口5.83メートル奥行き4メートルの煉瓦造り平屋建て、切妻屋根コロニアル葺き。内部の壁は漆喰塗。床は板張りです。煉瓦の積み方は小口積み。煉瓦の小口のみを千鳥(ジグザグ)に積む方式です。ドイツ積みとも呼ばれています。屋根のひさし部分は、煉瓦を組み合わせて蛇腹(じゃばら)装飾が施されています。(案内資料・他より抜粋)

因みに『恋は緑の風の中』という原田美枝子さん主演映画のロケに使われたことがあります。

建物の前にあった立て札案内板の内容は下記の通りでした。

『明治39年頃の建造と言われている。室内には変電設備が設置されていた。日露戦争後の好景気による建築・土木事業の拡大がもたらした煉瓦需要の増加に対応するため、日本煉瓦製造株式会社は、設備投資の一環として電力の導入を開始した。諸産業への電力利用の普及もあり、従来から使用していた蒸気式原動機を電動機に転換することにしたのである。明治39年8月、会社は高崎水力電気株式会社と契約を締結、電灯線を架設し、電動機を導入した。これは当時の深谷町に電灯が導入される1年前のことであり、先端技術を積極的に導入しようとする会社の姿勢をうかがうことができる。変電設備事態はすでに失われているが、建物は建設当時の外観をとどめている。当時の煉瓦業界の隆盛を物語る貴重な建物である』

可愛い小さな煉瓦のお家。三匹の子豚の物語に出てくるような愛らしい重要文化財でした。

日本煉瓦製造株式会社 旧事務所

国指定重要文化財

所在地:深谷市上敷免28番地

煉瓦工場の建設および煉瓦の製造指導にあたったドイツ人煉瓦技師チーゼの居宅兼事務所として、1888(明治21)年に建てられました。間口27m、奥行16mの木造平屋建。寄棟造、瓦葺、外壁板張り、煉瓦積基礎で裏側に幅3mのベランダ。内部の天井と壁は漆喰塗り、天井は円形唐草模様の造り出し装飾があり、床は総板張りとなっているそうです。翌年にチーゼが帰国してからは事務所として使用され、1978(昭和53)年からは煉瓦史料館として史料等を展示。(案内資料より抜粋)

フェンスが張られているし、一般公開は昨年の11月にあったのみのようで入ることが出来ません。建物の前にあった立て札案内板の内容は下記の通りでした。

『建物は明治21年頃の建設で、煉瓦製造施設の建造と煉瓦製造技術の指導にあたったネスチェンテス・チーゼ技師が住宅兼事務所として使用したと伝えられている。地元の人々からは「教師館」「異人館」の名で呼ばれていた。日本煉瓦製造株式会社は、明治政府が計画した洋風建築による官庁街建設を推進するため、煉瓦を大量供給する民営工場として、渋沢栄一らが中心となって設立された。工場建設地は、当時政府に招かれていた建築技師ウィルヘルム・ベックマンやチーゼらのドイツ人技術者の指導により選定され、良質の粘度を産出し、水運による東京への製品輸送が可能であることから、当地(現・深谷市上敷免、深谷市新井)に決定された。チーゼは娘クララと共に明治22年12月に帰国するまでここで生活し、彼の帰国後は会社事務所として使用された』旧事務所内の資料には下記のようなものがあるそうです。

■日本煉瓦製造會社株金負担人名(金拾万圓 池田榮亮、金五万圓 渋澤栄一、金貳万圓 益田孝、金壹万圓 木村正幹、金貳万圓 隅山尚徳。)

※当時の金五万圓は現在の価値に直すと3億円くらいになります。

■渋澤栄一が逓信大臣伯爵黒田清隆に出した『深谷 上敷免間 鉄道敷設願』 (明治27年7月23日)

※河川を使った煉瓦の運搬には限界があるので、鉄道を使って速く大量に運びたいということで、提出。画期的な申請だったことになります。

■中央停車場(現在の東京駅)向け煉瓦の請求書 (明治40年8月21日)

大正3年に完成した東京駅で使用したものの請求書です。

※納入した東京駅の構造用煉瓦は8332000個.分割払いだった様です。

■煉瓦の刻印紹介するコーナー。

時代によって、また煉瓦の種類によって、刻印が変わったようです。(桜の花の刻印の普通煉瓦)、(○を2つ重ねた形の刻印が入った四分の三形(七五)煉瓦 ……大正初期)、(梅の形の刻印がある明治期の普通煉瓦)、(“日本”という刻印入りの普通煉瓦)、(“日煉”という刻印が入った横迫煉瓦)。などなど。

※町で刻印捜す楽しみが出来ました。ちなみに、有楽町や新橋のJRガード下に残るレンガもこの工場の製品です。どのような刻印があるでしょうか?

菜の花が咲いている風景。奥にある旧変電室とともに絵になる風景でした。


July 6, 2014 瀧山幸伸 source movie

旧事務所

旧変電室

ホフマン輪窯 六号窯 - 長さ56.5m、幅20m

備前渠鉄橋

福川鉄橋(避溢鉄橋)

福川鉄橋

福川鉄橋(避溢鉄橋)


Jan. 2005 瀧山幸伸  source movie

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