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滋賀県愛荘町 愛知川宿
Echigawa post town,Aisho town,Shiga

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Jan.2011 撮影/文:中山辰夫

愛荘町愛知川

近江商人発祥の地・五個荘町(既報)を過ぎて、愛知川(恵智川とも書く)の橋を渡ると愛知川宿に入る。
旧宿内の街道筋は現在商店街となっているが、宿駅だった名残を残している所が少なくなっている。
「此宿は煎茶の名産にして、よく水に遇うなり。銘を一渓茶という」と木曽路名所図会にある。水のよさが当時から注目されていた。
中世この一帯には愛知川市(いち)、長野市など市場が開かれていた。名残はあるだろうか。
中山道の街並みに沿って宿内を辿る。

御幸橋
旧愛知川町愛知川
愛知川は今や穏やかな流れだが、昔は「人取り川」の異名を持つ暴れ川で、水害などでしばしば旅人が命を落とすことがあった。
「無賃橋」が架かる以前は徒歩渡りだった。
江戸時代の橋は、天保12年(1831)に完成して木橋であった。渡り賃を取らないことから「無賃橋」と呼ばれていた。
明治10年(1878)、明治天皇巡幸のために橋が架けられ、その後、地元の有志に払い下げられた。
大正15年(1926)鉄筋コンクリートの新橋となった。
この橋には歴史上の幾多の履歴が埋まっている。御幸橋については別途《明治天皇巡幸》に記載する。

常夜燈
江戸時代初期。愛知川畔に古くから建てられたもので、対岸の小幡にもこれと同じ常夜燈がある。河川をわたる場合の安全を願い建てられたもので、現在のものは弘化3年(1846)に再建されたものである。
愛知川及び対岸の五個荘町の寄進者、世話方、石工の名前が刻まれている。

祇園神社
愛知川にかかる無賃橋は天保2年(1831)に完成した。天保9年(1838)に、祇園神社が無賃橋の守護神として勧請された。
愛知川宿の氏神である八幡神社の南側で牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)として祀られていたのを、彦根藩に申請して遷座された。
「橋神」と鋳込まれた湯釜が残されてあり、7月の祭礼時に使って湯立神楽が奉納される。また、納涼花火大会は、平成22年で129回を迎え、滋賀県最古の伝統を持つ花火大会として知られている。

愛知川宿の冠木門アーケード。ここから宿が始まる。

不飲(のまず)橋
不飲川にある小さな川。江戸時代は水田に小船で通う水路であり、田への用水路であった。
川の由来は、平将門の首をこの川の源、野間津池で洗ったため池の水は血で濁り、不飲川と呼ぶようになったとされる。

一里塚
「岐蘇路安見絵図」には周囲は榎が描かれていて、不飲川橋の南西側に位置する。今はちょっとした空き地に立つ。

明治天皇御聖蹟
明治時代初期。民情視察に明治天皇は北陸道、東山道を巡行された。その際、御休憩所として料理旅館竹平楼を利用された。
料理旅館・竹平楼に玉座が設けられた。天皇巡行については別途記載する。

竹平楼
料理旅館で、現在も営業中である。明治天皇巡行の小休所となった。

つけもの屋(マウマタ)
赤かぶら漬物が有名

脇本陣跡と高札場跡
八幡神社の常夜燈脇に石碑が立つ。

八幡神社
このあたりは八幡神社につづく町並みが感じられる。

宝満寺

本陣跡と(株)ユニックス旧本社
もとは近江銀行愛知川支店として建てられた建物。愛知川流域で現在残る戦前に竣工した唯一のコンクリート造の建造物である。
内部には金庫や営業室の高い天井の後が残る。

書状集箱
珍しい黒いポストがポケットパークに置かれている。明治4年に作られたものと同じ形である。他のポストと同じ扱いである。

ここで右に折れて町道(愛知川ー栗田線)を進む。近江鉄道線路や新幹線下を通り過ぎる。町役場もある。

近江上布伝統産業会館

旧愛知郡役所庁舎
通りに面して右側に建つ。現在保存のための活動が展開されている。
大正11年(1922)に愛知郡役所庁舎として建てられた。

愛知川てんてまり館・図書館
まるいびんに収められた不思議な「びん細工てまり」。数あるびん細工工芸の中でも、びん入り手芸の巧みさと手まりの雅やかさがあいまって、優雅で神秘的な雰囲気を漂わせている。

豊満神社
深い森の中に根を生やした社殿。名前通りのゆたかな寺域である。

再度、中山道へもどる。

蓮泉寺・井上神社

御菓子司しろ平老舗
創業1864年(慶応元年、幕末の新撰組 京都寺田屋事件の頃)中山道宿場町にて外郎、他、本発酵の甘酒饅頭を提供して早や百四十余年、 歴史、時代とともに味覚の変化に対応しつつ、今日の低甘味時代にふさわしい銘品を創作し販売している。

近江商人亭(旧田中新左衛門邸)
中宿の街道沿いに建つ料亭である。ここは初代田中源治が文政元年(1818)に近江産の麻織物や蚊帳などの行商を始めた場所である。

“るーぶる愛知川”愛知川駅コミュニテイハウス
伝承工芸品や郷土物産、観光情報などを集めた情報発信基地として、町の小さな美術館としての機能を持つ。

宿の冠木門

河脇神社・勝光神社

沓掛遺跡
圃場整備事業の際に建物柱穴や土師器、須恵器の破片が多数出土した。中には墨書のある土器も含まれ「沓掛遺跡」とされた。
沓掛は中世期、近江守護の佐々木氏の勢力下にあり、「沓掛商人」として歴史上に登場する。
八風街道を往還して伊勢地方と交易を行った。いわゆる「保内商人」を輩出した。

北の地蔵
昔は堺町までが神崎郡愛知川村で中の橋川を堺として愛知郡中宿村となっていたため「郡分の地蔵」とされた。
地蔵堂前に愛知川宿入口の碑が建つ。

沓掛の交差点を左に進むと藤居本家と大隴神社(だいろうじんじゃ)がある。

長野東地蔵堂
堂内では、後半部が仏壇・厨子となっており、地蔵尊は地面に石を重ねた上に立っている。地蔵堂はこの地蔵尊の覆屋である。
紅梁や木鼻、蟇股、厨子の彫刻もよく、小粒ながら質の高い遺構である。堂の周囲には多くの地蔵が祀られている。

光沢寺
表門は安土?見寺旧門を移築したものとされる。薬医門の形式をとるが、もとは棟門であった。
この様式の遺構は、新薬師寺東門(重文)、近江では東近江八木町の春日神社神門(重文)がある。
中世の楼門の姿を伝える貴重な遺構である。

藤居本家

大隴神社(だいろうじんじゃ)
町の北部、静寂の中ひっそりと建っている。祭神は伊邪那美大神、相殿四柱。大門、長野、三ケ村の産土神。
古くは大領(だいりょう)神社と呼ばれていた。
大領とは古代の郡役所の長官のことで、ここには古代の郡長官が奉祀されている。
境内の静けさが心に染み入る神社である。藤居本家と向かい合わせに建っている。

文献

中山道に戻り沓掛交差点を直進すると、徒歩15分、距離1.2kmほどで宇曾川となり、歌詰橋を渡ると豊郷の町中に入る。


木曽街道六拾九次之内 恵智川 広重画
恵智川宿の南を近江国第一の大河恵智川が西流していた。この川の北岸から南岸を望んだのがこの絵である。
遠方左に見える山が観音寺山であろう。恵智川のかかる橋は、恵智川宿の町人成宮弥次右衛門画藩主に申し出て他の4人の同士とともに3年の歳月をかけて天保2年(1831)に完成したもの。
彼らは慈善のためとこの橋の通行料を無賃にしたため「無賃橋」と呼ばれた。
橋の袂の標柱には「むちんはし はし銭いらず」と記してある。

参考資料《近江愛知川町の歴史、中山道、総覧日本の建築、近江の文化財教室、ほか》




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