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滋賀県近江八幡市 大中の湖南遺跡

Azuchi Onaka Konan iseki


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June 2010 撮影: 中山辰夫

近江八幡市安土町大中安土駅から北3kmほどのところ、県農業試験場のそばに、「国史跡、国名勝」に指定されている。大中の湖南遺跡がある。大中の湖南遺跡は、安土町大中から能登川町きぬがさにかけて、かつての小中の湖岸に接する地にある縄文時代から鎌倉時代にわたる一大集落跡で、昭和40年(1965)から41年にかけて発掘調査された。現在、現地には弥生式住居1棟が復元され、水田・用水遺跡なども整備されており、案内板も立っている。

 

発掘調査の結果、弥生時代中期の遺構・遺物が、多量かつ良好な状態で発見され昭和42年(1967)国史跡に指定された。遺構には、灌漑施設や水田跡・住居跡などがあり、遺物には多量の木製農具や狩猟具・漁具・日常用具がある。

具体的には、こけし型人形(神像)2体、鏡などのほか、農耕に使用した鍬・鋤類・石斧・石鏃・石包丁・環状石斧などの石製品、漁業関係としては、丸木船・櫂・魚錘などがあり、貝塚などが発見された。住居・灌漑用水溝・水田は、この三機能合わせて1単位を形成し、計4単位が確認された。約7m幅の溝や矢板杭の護岸も見つかった。

同遺跡では、湖畔沿いの小砂浜に点在して集落があること、掘立柱建物であったこと、農業以外に漁業・狩猟具が認められるなどに注目点がある。さらに、静岡県登呂遺跡よりも古い遺跡であることがわかった。

大中の地は鎌倉時代以降、水位の上昇で水没したとされている。

 

大中の湖遺跡の復元模型や、出土資料などは安土城考古博物館第一常設展示室に展示されている。(撮影禁止)

 

大中の湖干拓事業近江八幡市安土町大中、近江八幡市大中、東近江市能登川町大中にまたがってあった琵琶湖最大の内湖で、現在は干拓され陸地となった。

当湖の南方には中洲に隔てられ同じく内湖の伊庭内湖・安土内湖・西の湖(三湖合わせて小中の湖ともいう)が広がっていたが、前二者のほとんども、昭和47年(1972)に完了した小中の湖干拓事業により陸地化した。

大中の湖は直径4kmほどの円状の内湖で、面積は15.4平方キロ、水深は最深部で約3m、湖底は沖積層で覆われるほぼ平坦な土地である。戦後の食料不足解消のため、昭和21年(1946)干拓が開始された。

漁業補償問題や台風などの影響で工事は遅れがちだったが、昭和32年(1957 )から本格的な工事に入り、39年干陸、43年(1968)に面積1300ha分が竣工した。41年に153戸、翌年に63戸が入植し、一戸当り4haの耕地が配分され、その後さらに147戸には1haを配分。43年(1968)には1集落72戸の北部・南部・西部の3集落が成立。

米の生産調整を契機に、現在では肉牛・乳牛・豚の飼育・施設野菜の栽培に力を入れている。

 

参考資料《滋賀県の地理、滋賀県歴史散歩、滋賀県文化財学習シート、他》

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