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滋賀県東近江市 阿賀神社

Agajinja, Higashiomi city,Shiga

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Nov.21,2020 瀧山幸伸

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July 2010 撮影: 中山辰夫

太郎坊 阿賀神社(あがじんじゃ) 通称:「太郎坊宮」 成願寺を含む

東近江市小脇町2247

阿賀神社 (アガ) 〜(太郎坊宮)

祭神:正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊( まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと 天照皇大神の第一皇子神) 

近江鉄道太郎坊宮前駅から北へ約1km、標高350mの巨岩が露出した赤神山の中腹にある通称「太郎坊宮」は

『太郎坊さん』の名で親しまれている。美しい円錐形の山容を誇り、古くから神体山として地域の人に崇められてきた。

明治初年の神仏分離で成願寺と太郎坊山徒の関係は切れた。

明治9年(1876)に山麓から急な石段を約700段上がった中腹に社殿が建てられ、阿賀神社「太郎坊宮」となった、

 

『太郎坊』とは京都鞍馬の次郎坊天狗の兄天狗でこの社を守護しているといわれている。

厄除け・開運・商売繁盛にもご利益があるとされ、年間を通じて多くの参拝者が訪れる。

往古には、聖徳太子や最澄も最澄も参拝したといわれ、また神秘的な霊山として修験社たちの修行の場になっている

赤城山と太郎坊宮社殿の遠景

                       

近江鉄道太郎坊前駅を降りると直ぐ一の鳥居、参詣路はほぼ真直ぐにのびる

       

途中に遥拝所とお田植え祭の行われる御神田が現れる。

     

社殿の配置

 

直ぐ二の鳥居である。ここまでくると全容が分かる。少し進むと右側に成願寺が見え、前方には石段が現れる。

       

太郎坊宮の参道は石段である。しかも750余段続く

     

不上石

石段の途中にある。魚獣肉食結界の石

明治頃までは参拝当日魚・鳥・肉類を食べた者はこの石より上へは登らず、この所で拝礼したことから

不上石の名あり。太郎坊山表参道ふもとより登る途中にある。

     

途中から石の鳥居が木製の鳥居にかわる。全て寄贈による。 到着した所は林道を車できた際の駐車場の位置である。

     

参集殿

車で行くとこの前に来る。広場は駐車場であり、お火焚き大祭の会場でもある

昭和48年(1973)竣工 八棟 千鳥破風 銅板葺 鉄骨コンクリート造 地上三階地下一階の近代神社建築

       

いよいよ本殿に向かって進む。石段の連続である。本社までは110mと表示がある。

祭器庫前を過ぎ、長楽殿まで進む。残り60mの表示がある

       

龍神舎

長楽殿の前にある。霊水が湧き出している。この場所は赤神山頂上や瓦屋寺参拝路の出発・到着点である。後に記載

       

拝殿

龍神舎から石段をのぼる。入母屋造 間口三間 奥行三間

       

拝殿・神楽殿である。大きな岩に囲まれて拝殿・神楽殿が建つ。

     

まさに絶壁の立地である。

       

さらに石段を登る。山側は大岩が露見して迫ってくる。

夫婦岩

10mをはるかに越える屏風のような二つの岩が寄り添って立つ。

左側が男岩・右側が女岩の「夫婦岩」と呼ばれる。

       

大神の神力により、幅約80cm、長さ12mにわたり真二つに押し開かれたとされる。 男岩と女岩のわずかなすき間を通って社参する

       

「この岩の間を通って参拝する者は、即座に病苦を除き諸願が成就するが、悪心ある者は岩に挟まれる。」ともいわれ子供には悪戯

をしたり嘘をついたら岩に挟まれると教え、戒めの場ともなっている

夫婦岩をくくって出ると真正面が本殿である。「海抜250m」

本殿

       

権現造向拝付 間口三間 奥行三間 大岩の上に建つ。

     

この場所からは湖東平野が一望できる。

     

本殿からは下りとなり、裏参道とされる。。

     

岩が両側を囲む参道には、多くの境内社や七福神などの石像が並ぶ。

             

一願成就社

昭和58年(1983)に特殊神事保全の目的で裏参道に造営された。木造入母屋造 銅板葺で、殿内は本漆塗 極彩色、金箔

を施し、天井には二尺角格子天井94枚絵で、国内自生の花94種が描かれている。

       

裏参道に並ぶ境内社に参拝しながら絵馬殿まで来ると、表参道と合流し、境内を一周したことになる。

       

赤神山の頂上を目指す

龍神舎横の山道をのぼる。山頂までは約700m。この道は瓦屋寺にも続いている。

       

赤は丹朱を意味し、この色彩に神秘な霊力を認め赤神として祀ったとも、露頭する岩石を磐座として祭祀の対象とされてきた。

分岐点

右は瓦屋寺、左は山頂。山頂までは残り約200mである

       

山頂と景色

       

主な祭礼日

5月 24日 お田植え大祭 

紀元二千六百年を記念して、以後毎年神饌田(約25アール)で行われる五穀豊穣を祈る祭り。

敬神講社の各支部持ち回りで、奉耕手(小・中学生約70名)の奉仕によって、昔ながらのすげ笠に手甲脚絆姿で、

お田植え歌とお田植え踊りに合わせて苗を植える。

     

12月 8日 お火焚き大祭

現在の規模になったのは30余年前。

全国各地の崇敬者から捧げられた神木30余万本が形代(身替り)となって忌火で焚き上げられることから、奉納者の

罪穢は祓い清められて、身心ともに清浄な姿で新年を迎えるという祭り。

当日は約百人の修験者によって山伏問答・火渡り神事等が行われる。

また当神社敬神講社から奉仕される山伏稚児が祭りに彩りを添える。

     

由緒

神道に天台山岳仏教と修験道の信仰が相交わり、特殊な信仰形態のもとに、今日の太郎坊信仰が確立された。

当社は八日市市が一望出来る赤神山の中復にあり、全山巨岩が多く、見るからに神秘な霊山で、神体山信仰、盤境信仰の

発祥の地であるといわれている。

山上には奥津磐境、山麓には辺津磐座と祭祀場がある。この辺は昔蒲生野と伝えられ、社伝には欽明天皇の御代聖徳太子

が又伝教大師が参籠され、広大なご神徳に感銘され、五十余社の社坊を建立して廟社を守護させられた。

近江の国主佐々木秀義の頃源氏敗れて源義経が奥羽に向かう途次、当山に登り源氏再興を祈願した故事があり(吾妻鏡)

義経休憩の「腰掛岩」が保存されている、又頼朝上洛の時、佐々木定綱と共に当社に幣帛を献じた。

佐々木氏と織田氏の戦により五十余の社坊は殆んど焼失し、現在成願寺と行万坊、石垣坊の一寺二坊だけが残存している。

郷土史上有名な高句麗よりの帰化人「狛の長者」創建の金桂宮を初め郷土の諸神を明治年間に合祀し全国各地の信者の

浄財寄進で、本殿の拡張をはじめ諸殿舎が造営された。

成願寺(じょうがんじ)

東近江市八日市小脇町

宗派:天台宗

本尊:薬師如来

建指定文化財:本尊薬師如来坐像

阿賀神社へ登る急峻な石段の途中にある。

延暦18年(799)の創建で、最澄が開基と伝える。

明治初年の神仏分離により太郎坊宮と切り離された。

         

薬師如来坐像

滋賀県重要文化財

木造(ヒノキ材 一木割矧造) 漆箔 像高:52.5cm

12世紀の通形の薬師である。バランスがよく、衣文も類型化していない佳作である。

   

由緒

最澄は当寺建立の際、太郎坊山の天狗の助力を得たという伝承あり、中・近世を通じ太郎坊山を祀る天台系脩験の寺であった

本尊は最澄作とも伝え、薬師の縁日が毎月8日であることから、この日に市が立てられたのが八日市の地名の由来となったと説

もある。

天正年間(1573〜92)織田信長と六角氏の戦いで坊舎の殆どが焼失した。

檀家をほとんど持たないため、再興は万人講奉加によって実現し、その後も一切の危難を滅除するといわれる太郎坊権現の利益

を願う広い地域からの参詣者により支えられた。

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