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滋賀県東近江市 永源寺 
Eigenji,Higashiomi,Shiga

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January 28,2017 大野木康夫 movie

雪の参道

         

総門から山門

           

伽藍

晴天で雪が溶けだして落雪が盛ん

                                                                                    

帰路

       


Nov.25,2014 瀧山幸伸 movie

A camera
                                                                                                                                                                                                    


B camera
                                                                                                                                                                                                                                   

                     


May 19,2013 大野木康夫 HD video

滋賀県でも有名なモミジの名所です。
青モミジを見に行きました。
総門より中は三脚が使えません。

                                                                





Jan.2011 撮影: 中山辰夫

東近江市永源寺町高野41

臨済宗永源寺派
本尊:聖観音像

見事な紅葉で有名な臨済宗永源寺の総本山。
愛知川の上流近くの景勝地にある禅刹である。濃い樹林の中の境内に建ち並ぶ諸堂の佇まいは、訪れる人を静寂の世界へと導く。
秋の紅葉期には多くの観光客で賑わう。
境内には、庫裏・鐘楼・方丈・仏殿・開山堂などが建ち並ぶ。開山堂には国指定の文化財である寂室源元光和尚坐像が安置されている。
他にも国指定の文化財が多くある。
本尊の聖観音像は秘仏で、俗に「世継ぎ観音」とも呼ばれている。
また、永源寺はこんにゃく料理でも有名で、開山堂の近くに芭蕉が詠んだ「こんにゃくのさしみもすこし梅の花 はせを」の句碑が立っている。
   

鎌倉時代、寂室源元光和尚(じゃくしつげんこうおしょう)が伽藍を建立したのが始まりといわれている。
寂室和尚の死後も永源寺には高僧が集まり、佐々木氏の庇護の元盛時には2000人もの学僧が集まって大いに栄えたとされる。
その雅、兵乱で一時衰えたが、江戸時代には東福門院により再建され、さらに彦根藩主井伊氏の庇護によって諸堂が整えられた。
 

愛知川旦度橋(たんどはし)とその周辺
4年の歳月をかけて昭和7年(1932)に完成。高野地区と相谷地区を結ぶ橋である。
             

大けつ橋(修行僧が俗界と決別して聖域に入る入口)
湖の高欄は坂本日吉大社の大神橋のものを模したとされる。
    

雷渓山の石崖の十六羅漢像と羅漢坂
120段の石段を登りつめた岩上に安置されている。年代は不詳。数百年は経過する石のユニークな表情の古仏が語りかけてくるようだ。
        

苔むす石垣
    

井伊家の零廟
総門に入る手前の山手の少しの高台にある。瑞垣に囲まれた石塔は、永源寺の興隆に尽力した井伊直興公の墓である。
公の遺命で建立された。上り口に句碑が建つ。森川許六の「白雲に迄も染めいる紅葉かな」の句が刻まれている。
     

洗耳水
  

総門
永源寺の参詣で最初にくぐる門である。総門は康安元年(1361)佐々木氏頼によって創建されたが、明徳元年(1390)兵火で焼失。
その後寛政5年(1464)に再建された。寺内の建物では一番古い。
一間一戸の簡素な四脚門で軒板は後補。門の両側に土塀をつけた風格のある総門である。
        

山門
五間三戸、二階二重門,桟瓦葺、門内両側に階段がある。各柱から前向きに大きな木鼻が出ている。
樹林に囲まれた豪壮な山門は永源寺のシンボルである。寛政7年(1795)に着手し、享和2年(1802)に完工した。
随所に江戸時代の木造建築の巧みな技が含まれている。
三門とも呼ばれ、三解脱門の略されたものとされる。
豪壮な山門の楼上の内部には釈迦・文殊・普賢の三尊像と両脇には表情豊かな十六羅漢が安置されている。
            

境内描写
永源寺の横を流れる愛知川に沿って広い領域を占める。
                    

茶所
     

鐘楼
一間一間、袴腰付、入母屋造、桟瓦葺。当初は柿葺とされる。組物は質素である。
梵鐘は戦時の金属供出で失われ、昭和23年(1948)新たに鋳造された。
   

宗務所・書院
明和2年(1765)の建立された栗が老朽化したため、昭和55年(1980)竣工した。化縁募財して建てられた。座禅研修の道場である。
       

方丈(本堂)
普通寺院の本堂にあたり、別名を「安心堂 あんじんどう」という。
五間4間(身舎で)、一重、入母屋造の大建造物である。葦葺の圧倒される大きな屋根がすばらしい。
葭葺(よしふき)で、厚さだけでも1.5mという大規模なものである。面積は約920u
            

法堂
大雄宝殿と称し、佐々木氏頼によって創建されたが、火災で焼失。現在の建物は、享保13年(1728)に再建されたもの。桁行五間 梁間4間の4柱造。
正面の左右は禅様式の火灯窓で飾る。内部は丸柱で、黒の瓦桟敷。その正面には釈迦・迦葉・阿難の三尊像が安置 されている。本山永源寺古例の諸法事を行なう道場である。
      

禅堂
別名を木衆堂という。禅堂とはこの宗の綱要、「直指人必見性成仏」の端的を研鑽究明する座禅の道場。
 

開山堂と芭蕉の句碑
法堂の横に並ぶ。大寂塔とも称され、寂室元光禅師の墓所である。永和3年(1377)に創建された。その後、兵火で焼失。
享保年間(1716〜35)に彦根藩主井伊直惟から能舞台の寄進を受け建立されたのが現在の建物である。
桁行三間、梁間4間、入母屋造で正面は唐破風の向拝付きである。
堂の近くに、芭蕉が詠んだ「こんにゃくの さしみもすこし 梅の花」の句碑が建っている。
     

経堂
三間三間、一重、宝形造、銅板葺であるがもとは柿葺であった。
現在の経堂は、延宝4年(1676)に再建された。三間四方、宝形造の端正な姿の建造物。内部には、寛文12年(1672)南嶺禅師が住持のとき奉納された明国の大蔵経がある。
   

含空院と庭園
民家風の屋根の妻が見える。かつては塔中寺院の一院であった。住持の居所であるため住宅風・民家風である。
応永21年(1414)将軍足利義持が来山したとき、含空院の額を奉納され、寺号となった。
正保4年(1647)に再興され、以来永源寺歴代住持の居所となった。
庭園は、池泉と木石が見事な調和を見せ、有名である。紅葉に時期には美しさが一層引き立つ。
      

道場
   

塑像寂室和尚坐像
国重要文化財
開山堂に安置されている。像高:約83cm、本体は彩色が施されている。南北朝時代の傑作。再度の兵火の難を逃れた。尊厳な姿である。
像が光っているのは、かつて毎朝「洗面諷経」を読破しながら、お身ぬぐいをしたためで、今は止めている。
  

文献-永源寺「県文化財教室資料」
    

文献ー永源寺「県文芸員」
 

方丈の大屋根・羅漢像「近江の美(朝日新聞社大津支局)より引用」
  

永源寺会館のお弁当
 

参考資料《永源寺町史、その他》



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